私のイラストレーション史 南伸坊

2015.9.16

02私はこのようにしてデザイナー志望者となった。

 

 ずいぶんワケのわからないことで、人は将来を決めてしまったり、ナニかのファンになってしまったりする。
 という体験が、私にはもう一例ある。
 自分がなぜ、小6で「将来デザイナーになる」などと宣言したのだったか、それをギモンに思ったのは、そのことが根拠なのだった。
 同級生のカセくんの家は、工場を経営しているお金持ちで、表門と裏門に一頭ずつ土佐犬をつないでいた。二頭は闘犬の横綱で、居間には優勝のトロフィーと写真が沢山飾ってあった。表門には千代ノ山、裏門には栃錦という表札のついた、立派な犬小屋が「建って」いた。
 土佐犬は、小学生から見るとライオンくらいに大きく、ものすごく凶暴な吠え声が、心底、恐ろしいのだ。
 犬が吠えるたびにカセくんのお兄さんや、工場の人が「チヨ!」とか「トチ!」とか言ってなだめるので、犬小屋のむずかしい字が、それぞれチヨノヤマとトチニシキだというのを覚えたらしい。
 その頃私は小2だったから、おそらく、栃錦は横綱になったばかりだったはずだ。栃錦と入れかわるように引退した東富士は、当時人気絶頂だった力道山にひっぱられてプロレスラーになったところだったと思う。
 小3くらいから、私は大の相撲好きになって、場所中は学校から帰ると、サンキュー食堂で相撲中継を見つづけるようになる(サンキュー食堂は、おじさんが初仕事でカンバンを描いた近所の大衆食堂で、ラーメンもカツドンもカレーもモリソバも出すという食堂だった)。
 その頃には、私は相撲にすっかり詳しくなっていて、幕内力士の名前はすべてソラで言えたし、呼出しや行司のマネもそっくりにできた。栃錦と若ノ花の名勝負なら、取口の細部まで覚えていたが、これは覚えようとしたのではなく、自然に頭に入ったのだ。
 しかし、当時、子供の間では圧倒的に人気のあった若ノ花ではなく、どうしてケツにおできのある横綱・栃錦の方を偏愛しているのかについて、さかのぼって考えることはなく、おそらく土佐犬・千代ノ山号と栃錦号については、キレイさっぱり忘れてしまっていたのだろう。
 たとえば栃錦については、彼が東京出身であること、出羽錦といっしょに、しょっきりをつとめたことがあること(しょっきりは、相撲の道化のようなものだが、これをした力士が後年大成する例は極めて珍しい)など、その知識はますますオタク化していたのにである。
 つまり、キッカケはいわば関係ないのだ。自分が栃錦のファンである、千代ノ山のファンであると決めた時から、トチやチヨの美点にファンは一つずつ気づいていくのであり、そしてどんどんそれは詳細になっていくのだ。
 同じことが、私のデザイナー志望についても言えるのだろう。キッカケは親戚のおねえさんが美人だったかもしれないが、私は少しずつ、少しずつ、デザインに注目していくコドモになっていたらしい。
 いま、タイムマシンで、あの時代にもどったなら、小学6年生はあるいはこんな回想をしていたにちがいない。 「そういえばボクは、昔から、デザイン周辺のことに興味を持っていた」
 大工さんや左官屋さんが仕事しているのを見るのが好きだったし、キタイケ(北池袋)の駅前の土手のところで、カンバン屋さんが小さい図面(ヒナガタ)を見ながら、カンバンを仕上げていくのを、半日見ていたこともあった。

  トクロウくんのお爺ちゃんが、マッチのラベルを「せっ!!」と言って一枚ずつ刷っていくのを、やっぱりずっと見ていた。
 トクロウくんは、ほんとはイクロウくんだったのだが、野球解説の小西得郎と名字も同じなので、トクロウなのだった。トクロウくんちは、木造二階建ての北池荘の二階にあって、お父さんお母さんの姿は見たことがなく、お爺ちゃんがいつも、木版刷りの広告マッチのラベルを刷っていた。
 お爺さんは、近所のコドモ(私)が、
「ごめんくださーい、小西くんいますかあ」と言って勝手にあがりこんできて、自分のすぐそばに座るのは、孫に用があるのじゃなく自分の仕事を見にきているのだ、とのみこんでいたと思う。
 黙々と一回ずつ版に色をつける。見当をあわせる「せっ!!」と言ってバレンでこする。そういう一連の動作をくり返していた。
 私は黙ってそれを見ていて、お爺さんの仕事が一段落すると「さようならあ」と言って帰ってくるのだ。

 銭湯・越ノ湯の隣りにあった「絵びら」屋さんの店先でも、ずいぶん長いことその仕事を見学していた。絵びらというのは、手描きのポスターのこと、B全くらいの模造紙を50枚くらい、重ねておいて、絵皿に溶いた染料で、直にいきなり太い筆や刷毛で、まるで字を書くように色を置いていく。
 はじめのうちは、何を描いているのかまるきりわからない。黄色、水色、ピンク、グリーン、アイと、キレイな色が、同じストロークでぐいぐい描かれて、すぐ横に置かれ、同じパタンがどんどん描き重ねられていくのだった。
 しばらくすると、それが大黒さんが打ち出の小槌を振っているところだったり、エビスさんが鯛を釣っているとこだったりするのが、だんだんわかってくる。

 最後に使うのが黒と赤で、目鼻やリンカクが描かれて絵が完成していくのだったが、コドモ心に、そこに本日開店だの、出血大売出しだのと文字が書き加えられていくと、なんだかせっかくのキレイな絵が台無しになってしまうのがとてもザンネンだった。

 

 

(第2回・了)

 

この連載は月1更新でお届けします。
次回2015年10月21日(水)掲載