きものと仕事 三砂ちづる

2020.3.14

01憧れの力

 

 女子大の教師をしている。大学に入学したばかりの女子学生は、なんだかまだ高校生みたいで、背伸びはしてもまだ子どもっぽくて、お化粧もおしゃれも身についてない感じの人も多いのだが、新しい年があけるくらいの時期になると、それなりにみんな、大学生らしくなってくる。わたしの勤め先では、一年生からゼミがある。ゼミというのは10名前後のごく少人数の学生と教員がお互いの顔を突き合わせて、その場に参加しながら学びを積み上げていく、いわば、大学らしい勉強の仕方のことだ。一年生のゼミとは、そのような大学での学び方を学ぶゼミ、つまりは、「ゼミの練習をするためのゼミ」なので、人前で話したり、レジュメをつくってきたり、調べて着たことを15分くらいで発表したり、司会をしたり、テーマを決めて議論をしたり……そういうことを練習してもらう場である。
 私のゼミでは、入学したばかりの一年生に、毎週一冊新書を読んできてもらっている。まさか新書とは何か、知らないってことはないと思って、「新書を読んできなさい」とただ言っていたこともあるのだが、「新書」とはなにか、知らない人もあることを知り、それからは最初の授業の日には、見本、として、いろいろな出版社の新書を10冊くらいもっていって、「こういう大きさの、こういうものを新書と言います。図書館の新書コーナーとか、本屋さんの新書コーナーにあります」と説明するようにしている。そして毎週ゼミの最初に、クジをひいてもらい、当たった人二人に読んできた新書について、数分その本の紹介をしてもらっているのである。たとえ、サークルが忙しい、宿題で時間がない、いろいろあって読む暇がない、などの理由があっても、クジに当たったら「読んでいませんでした」と言ってはいけないことになっている。たとえ、読んできていなくても読んだふりをしてその新書の紹介をしなければならない。
 新書はできるだけ借りないで、買いなさい、そうすると一年生が終わる頃には自分の本棚に50冊くらいの新書が並び、自分の興味もわかるし、そうやって本がずらっと並んでいると、大学生になったような気分になるから、と、言ってある。いまどき、新書もまさに玉石混交で、歴史に残るような一冊もあるけれど、実に軽い内容のものもあるので、お金を払って買っていると、「ああ、こんなものにお金を払わされた」と思えば、次回、本を選ぶときにもっと真剣になれたりするのだ。
 と、そういうことを一年生のゼミで約十五年、毎年やってきているのだが、この、一週間に一冊新書を読みなさい、それをリストにして出しなさい、ということができなかった人は、今まで一人もいない。別に、私の指導がすごいでしょう、などということが言いたいわけではなく、この程度のことは、やれ、といわれれば、みんなできる、ということが言いたいのだ。そして、そうやって少なくとも一週間に一冊くらい新書を選ぶ習慣をつけていると、一年ほど経つと、なんだか大学生らしい顔つきになってくる。
 先日も学生が言うのだ。「『ああ、来週はゼミの発表だ』と言いながら、パソコンに向かっていると、なんだか、自分で、わたしってかっこいいじゃない、と言う気になるんですよ。今週はこれを読まなきゃいけない、って、選んだ新書を急いで一日で読み上げる、とか、大学生っぽじゃない、みたいなかんじで……。高校生の時憧れた、大学生っぽくなってるなあ、って思うんですよ」と。「それ、ちょっとうれしいですよね」と。
 人生、だんだん、なりたい自分になるように生きている。この、「憧れた姿」に少しずつなっていく、というのは、結構大事なことだ。自分の人生なんだから、すこしずつ好きな自分になっていける、と言うのは悪くないのだ。

 私は日常的にきものをきている。なぜ、着ているのか、というと、まずは、これ。わたしは、きもの姿に憧れていたのだ。……というと、誰のきもの姿に憧れたんですか、杉村春子ですか、長谷川時雨ですか、とか、いろいろ聞かれたこともあったし、たしかに、わたしが学生の頃、上智大学では鶴見和子先生がずっときもので教壇に立たれていたことは知っていて、いつかきもので教壇に立てたらいいな、と、ちらっと思ったことがあるような気はするものの、鶴見先生に憧れてきものを着ようとした、ということとも、ちがうと思う。「きものを着ている自分」になりたい、と憧れていたのだ。きものが自分で着られるわたしになりたい、きもののことがわかっているわたしになりたい、きもので生活しているわたしになりたい。中年以降は、きものを着ているわたしでありたい。
 憧れと現実には、当初、多くの乖離があるものだ。女子高校生と、「大学生っぽい」ゼミの準備などする自分とに、大きな乖離があるように、きものを着るようになるまでのわたしは、きものを着るようになったわたしとあまりにかけ離れていたと思う。
 まず、ひとつめ、わたしはきものを持っていなかった。まずは着るべききものが、ない。しかるべき家庭に育ってしかるべきところにお嫁に行った女性は、結婚するときにそれなりのきものをそろえてもらったりしていたものだが、わたしは、しかるべき家庭にも育たず、お嫁に行く、などという言葉には反発して、勝手に結婚したり離婚したりしたため、しかるべき年齢にそろえられるべききものなど、もってはいなかった。母や祖母や親戚がありあまるほどきものを持っている人で、よろこんでわたしにたくさん提供してくれる、などという環境にも、なかった。
 そして、ふたつめ、わたしはきものの着方など知らなかった。わたしがだらしなかっただけではない。昭和三三年生まれ、この原稿を書いている今、六一歳、という老齢に達しているが、わたしの年齢の女性はおおよそ、きものの着方など知らずに育った。わたしたちの母の世代が、日常着としてのきものを捨てた世代であったため、また、伝統的なものは、捨てれば捨てるほど良いと思っていた高度成長時代のどまんなかに主婦をしていた世代であったため、娘にきものの着方なんか教える気は、さらさらなかったのである。おおよその私の世代の女たちと同じく、わたしは自分で自分の国の伝統衣装の着方を知らなかった。
 そして、三つ目。わたしはきもの着方を知らないだけでなく、きもののことを何も知らなかった。きものにはどのような種類があるのか、きものの下着はどういうものなのか、なにをそろえたら、着られるのか、季節によってどうちがうのか。どうやって手入れして保管すればよいのか、なんにもわかっていなかった。
 それでもわたしには、憧れがあり、憧れている姿があった。その姿と今の自分との間の乖離をできるだけうめたい、と考えていた。その憧れだけに導かれて、四十五歳になった年にきものを着始め、十五年以上経つ。もはやきものは私の肌の延長のようになじんでいる。ゼミの準備をしながら、自分が大学生っぽくなって、ちょっとうれしいんですよね、という女子大生と同じレベルで、わたしは、うれしい。中年過ぎたら、きものが着たいんだよなあ、と思っていて、晴れ着というより、日常着としてきもの着ることに憧れていて、きものを着て仕事をしたい、と思っていた。これからも死ぬまで、わたしにはきものがある、ということがうれしい。いま、なにもなくても、憧れが、自分を導いてくれる。そんなふうにして生きていけるんだ、と、きものが教えてくれたのである。


次回、2020年4月14日(火)更新予定