黄色、である。普段着には、黄色の差し色。絶対そうだ、と思っている。きものをきているときの8割がた、わたしのえりと帯締めと足袋は黄色である。
女子大の仕事にきものをきて出かけるようになって、もう15年以上経っている。いわゆる、普段着として仕事にきものをきているのだ。ふと思うと、普段着きもののカギとなる色は圧倒的に「黄色」なのである。仕事に着て行くきものの、えりや、足袋や帯締め、帯揚げ……そういった小物にとにかく黄色いものが多い。わたしの好みで、黄色が好きです、ということのほかに、黄色は普段着に本当に合わせやすい色なのだと思う。
白いえりに白足袋は、きりっとしてなんともすてきなのだが、普段着として来ていると汚れる。もともと、白えりに白足袋は、フォーマルな機会のためのものだったと思うし、品の良い方、昔ふうに言えば、それなりの格の高い方がお召しになるものだった。日本民俗学の祖、柳田國男が白足袋の学者、というふうに言われていたことはよく知られている。民俗学者は、もちろん、足で稼ぐ、というか、とにかく足を使って歩き回り、調査をするわけで、当然白い足袋を履いていると、汚れて大変なわけだが、柳田國男はそういう場合でも白足袋をはいているような方だった、ということが言われているのだ
白い足袋は、履けば、汚れる。そして、白い足袋は、汚れていては、いけない。白い足袋を履く時は真っ白でなければならない。お茶のお稽古をなさっている方が、「お茶のお稽古の時は真っ白な足袋でないといけないので、たいへんですよね」と知り合いに言われた、という話を聞いたことがあるが、これは、要するに、「下駄、ええ音しますなあ」と京都で言われたら「下駄の音がうるさい」と理解すべきであるという京都風皮肉の延長線上の言い方なのであって、「お茶のお稽古の時には真っ白な足袋しか履いてはいけない」というふうに翻訳して聞くべきことなのである。お茶席や、なんらかの式、などフォーマルな席では真っ白な足袋を履かなければならない。だから、一昔前まで、白い足袋は、専門に洗ってくれる方が近所におられた、と聞く。白足袋の方、ということは、白足袋をよく履く機会のあるような方であり、また、足袋をだれかに洗ってもらうことができるような方である、ということも意味していたわけであろう。
いまどき、ご近所に白足袋を専門に洗ってピカピカの真っ白にしてくれる商売はなく、また、わたしの履いた白足袋を、奥様、洗っておきましょう、とせっせと洗ってくれる女中さんがあるはずもなく、白足袋を履いて家を出たら、専属運転手が目的地まで連れて行ってくれて公共交通機関を使う必要などない、というはずもないので、白足袋を白く履くことは、自力更生である。白足袋を履いたとしても外を歩き、公共交通機関を使わないと目的地に着けない現代的知能労働者(大学の教師である)は、必ず到着地で履き替えるための、替えの白足袋をもつか、あるいは、足袋カバーと言われる伸縮性のあるカバーを足袋の上から履いてでかけるのだ。
白足袋を履いている真っ白な指先は、かならず100%の割合で、電車で他人に踏まれます。まちがいない。だから足袋カバーが必須、なのだが、この足袋カバーは、化繊でできていて伸縮がきき、はきやすく脱ぎやすいものなので、便利ではあるのだけれど、これをはいていると、すべる。草履の上で、つるつるすべるのである。いきおい、歩きにくいし、危険。60代以降、最も気をつけるべき健康上の課題は「転ばないこと」であることを考えると、「白足袋に足袋カバー」は、まことに危険な装いであるといわねばならない。みなさま、足袋カバーをした時は、歩き方に気をつけたい、また、気をつけられない方には、あまり歩くことはおすすめできない。とはいえ、足袋カバーは温かくもあり、冬場にはこれ一枚履くだけで指先がつめたくならないから、防寒にもなるので、ここは、すべりやすい足袋カバーをはいて、草履を履いても、すべらないように工夫しながら歩く、という新しい鍛錬の機会、と思うのが良いのであろう。夏ならいっそ、裸足で出かけて、目的地に近いところでお手洗いにでも入って足袋を履く、というウルトラCも、試してみる甲斐はありそうだ。
そして、履いた後は、家で洗う。白い足袋を白く履くために、みなさま、いろいろなご苦労をなさっていて、インターネットなどにも様々な知恵の集積がみられる。友人は、入浴する時、足袋を履いて風呂場に入り、風呂場で、足袋をはいたまま、せっせと足袋をブラシで洗う、と言っていた。型崩れもなく、足袋の裏も洗いやすいそうである。わたしは上記のように汚れないように気をつけた上で、履いた後は、あっさり白足袋の裏にポイント用洗剤を塗ってネットに入れて洗濯機で洗っている。こんながさつなことをするのだから、一番の対策は「白足袋は履かない」のが何よりなのである。繰り返しになるけど、おおよそ、式、と名前のつくところやお茶席などには白い足袋を履いていかねばならないが、普段着としてきものを着る時には足袋は白でなくても良い。だから、「黄色」なのである。
とにかく、黄色い足袋を履いている。汚れが目立たないように、という意味では別に黄色じゃなくて別の色でも良いのだが、普段着として着る紬や木綿のきものには黄色が合う。普段着のきもの自体もやっぱりあんまり汚れないほうがいいから、いきおい、色が濃いものをきることになりやすい。教師として教壇に立つのがメインの仕事のため、なんとなく濃い色のきもののほうが、気持ちも落ち着くし、なんだか、仕事にふさわしい色、と思って安心するのだ。これはスーツを着て仕事をする女性が、おおよそは、紺とか黒とかベージュとかグレーとか、そういう色をきておられるのとおなじ心境で、国会議員以外は真っ赤なスーツとかあんまりお召しにならないのと同じかと思う。紺や茶色の琉球柄のきもの、が、季節を問わず最も多くなり、そういったきものには、黄色い足袋はよくフィットする。
足袋も汚れるが、えりも汚れる。白いえりをかけていると必ず毎日洗わねばならない。普段着きものの時は、二部式じゅばんに美容えりを縫いつけているのだが、その美容えりも黄色いものをさがして着けている。白えりほどにはよごれないから、ときおり、二部式じゅばんごとネットに入れて、洗濯しているのだが「黄色い美容えり」というのが、なかなかみつからない。今のところ、手持ちのもので間に合っているが、使い古してしまったら、白い美容えりを紅茶か何かで染めて黄色っぽくしてみようかと思っているが、まだやってないので、本当にできるかどうかはわからない。
足袋とえりが黄色ならば、帯揚げと帯締めも黄色っぽい方がよく合う。帯揚げは無地の黄色いものを何本か持っていて、使いまわしている。帯締めは、東京は上野、池之端の道明さんのゆるぎの帯締めしか使わないのだけれど、うっとりするくらいいろいろある黄色系の帯締めのなかで、「支子(くちなし)」、「山吹」、「鬱金」、「黄朽葉」の四色を、季節ときものと気分に合わせて使い分けている。「山吹」の帯締めなどは、きもの生活15年ですでに何本か、擦り切れるほど使い倒してしまった。これから何本「山吹」の帯締めを買うほど生きられるだろうか。人生に寄り添う、山吹色、共に生きる黄色、なのである。
次回、2020年5月14日(木)更新予定
きものと仕事 三砂ちづる
2020.4.14