きものと仕事 三砂ちづる

2021.4.12

14下着

 

 寒くても、きものの下に長袖シャツなど着ると、きものの良さがわからなくなる、と以前の連載の「防寒」の回で書いた。きものの良さってなんだろう。伝統衣装としての美しさはもとより、もともとは、大変快適でこの国の気候にあった衣装であるところにある。もちろん今は、洗濯も簡単で安価で良い洋服がたくさん出回っているのだから、わざわざきものを着なくても、快適にくらせる衣類はたくさんあるわけだけれど、伝統的で、かつ美しい、というのは、着ている人を強くするものだ。

 ブーダン人の敏腕観光ガイド、というか、観光ガイドという名前ではおさまらない、哲学者のようなペマさん(辻信一さん作成のビデオに登場する[i])は、「伝統衣装を着ていないと、ニーズがわからなくなってしまうでしょう」と言っていた。ニーズ? ニーズですか?  Needs?「どのような顧客のニーズがあるか」みたいな、そういうニーズのことですか?
 GNH(Gross National Happiness)、国民総幸福でよく知られたブータンでは、公的な場、仕事の場で伝統衣装の着用が義務付けられている。男は「ゴ」、女は「キラ」、という衣装を着る。ゴもキラも、もともと、日本のきものと着方が似ている。ゴは、体の中心を確認してそこに巻きつけて着付け、ひもでとめる、という着方をする。キラは、もともと厚手の布を上半身にも下半身にも巻きつけていくようにして、ピンや紐でとめて着るのが、伝統的な着方であったらしい。高齢の女性たちにはそのようにしてキラを着ておられる方もあるのだが、現在よく着られているキラは、割と厚手の布をつかった、すそぎりぎりの大きくひだを一つ取ったロングスカートに仕立てられているもので、それにえりをうちあわせたブラウスを合わせるタイプのキラである。
 東南アジアの多くの国の女性の伝統衣装は、長い巻きスカートふうのものなのだが、動きやすいように、すそぎりぎりではなく、床からは5センチとか10センチとか上くらいの丈のものが多い。ラオスのシンと呼ばれる伝統的なスカートも、もともとは、丈が長かったようだが、最近のシンはひざ下10〜20センチくらいの結構短い、いわゆる日本で言えばミディ程度の「スカート丈」になったりしている。ブータンのキラは、布地が厚手であり、さらに、靴を履いて、すそぎりぎり、くらいの丈で着ている人が多い。床ぎりぎりでひきずらないくらいの丈である。山の気候で結構気温が下がるブータンでは、この床ぎりぎりの厚手のスカートは保温に優れていて、あたたかい、と感じた。裾の長いロングスカートは寒いところでは防寒となるのである。それはきものも同じで、丈が長いから、体温をキープでき、寒い時期でもあたたかい、というところがある。
 ブータンの女性衣装キラのシルエットと、えりのうちあわせは、日本のきものを思わせるような仕上がりになる。数年前ブータンを訪れたとき、わたしはきものを着ていたのだが、まわりがみんなゴかキラを着ているブータンでは、わたしのきもの姿は似たようなシルエットになるため、むしろ日本よりも目立たない、と感じたものである。ブータンの方々は日本でよく会う人たちと本当に似ていて、あ、あの方はうちのおじさんとそっくり、とかあの女性は同僚とうりふたつ、という方に多く出会うことになる。顔が似ているし、伝統衣装のシルエットも似ているわけだからブータンでは日本のきもの姿はさらに目立たなくなるのであった。

 で、ペマさんは、「ニーズ」がわからなくなる、と言った。「ジャパニーズ(Japanese)、チャイニーズ(Chinese)、ブータニーズBhutanese」、みんなよく似ているんだから、ゴを着ていないとブータニーズ(つまりはブータン人)とわからないでしょう」と言うのだ。なるほど、その「ニーズ」なのね。「ゴは、結構重くて嵩高いから、スーツケースがいっぱいになっちゃうんだけどね」、世界中どこに行ってもゴを着ているとすぐお互いブータン人、ってわかるから、というのだ。こういうシンプルな感覚を、とてもいいな、と思う。きものは結構ユニバーサルに日本の衣装、と認識されているから、世界のどこで着ていても着ている人は日本の人だとわかると思うが、そのような衣装を身につけることがいつも誇りを持ってできるのかどうか、というのは、結構行き先によっても、本人の生きる方向によっても、左右されるような気がして、ペマさんがいうように世界中で誇りを持ってきものを着る、ということに、なれればいいな、と思うが、なれない、と思うところもあると思う。

 ともあれ、伝統衣装は着ている人を美しく、強くしうるもの、と冒頭に書いた。その根っこには、その地で着ていることの快適さがあるのだが、伝統衣装の快適さを享受するには、あまり「先進的な」下着などをつけないことが肝要である、と思っている。きものは脇とすそとえりもとが外に開いている。すそは長いと防寒になる、と書いたところであるが、防寒にもなるけれど、ズボンなどとはそもそもちがって、すそは外に開いても、いるのだ。脇とすそと、えりもと、というのは、人間がいちばん発汗するところであり、そこが外に向かって開いているというのは、身につける衣装の快適さとしてとても重要なことである。まあ、簡単に言えば、汗がこもらないのだ。そのようなきものであるから、きものの下着はそのような「汗がこもらない」ことを肌に一番近いところで支えているようなものとなる。女性の場合、下半身はすそよけ、上半身は肌襦袢、ということになろうか。すそよけは、腰に巻いていく一枚の布であり、パンティなどのようにお股に何かぺったり張り付いたりするタイプの下着ではない。肌襦袢は、脇とえりもとはあいている。からだで最も発汗する場所が外に向かって開かれたままにできるような下着、なのである。
 きものを、この、きもの用の下着とともに着ていると帯を締めていても特に苦しいと感じないし、大変快適に着ることができる。ここに、ふだんからずっとパンティあるいはズロース(死語であろうか?)などをはいているからといって、きものを着る時にもそのような「お股に布がぺったり」つくような下着をきて、かっちりブラジャーをして、寒そうだから、と、防寒の長袖シャツ、さらには、ハイネックの下着などを着ると、とたんにきものが「苦しく」なってくるのがわかる。お股がどうも気持ち悪かったり、脇が詰まっていたり、えりもとが閉ざされたりしていると、どうも気持ちが悪くなってきたり、帯が苦しくなったりするのだ。以前にも書いたことがあるけれど、日本の女性がきものを捨てたのは、パンティやブラジャーやスリップや長袖シャツなどの西洋下着を身につけるようになったからではないか、と思うくらいに、西洋下着ときものは相性が悪い。
 生まれて初めてフル装備、というか、ばっちり上から下まで完璧にきものを着付けてもらう機会というのは成人式、という方が少なくないと思うが、ふつう、成人式にきものを着ることになったら、普段の下着を突然変えようとは思われないであろうから、いわゆるパンティやプラなどつけたままできものを着る方が少なくないようで、それは、苦しい経験になるだろうな、と、想像がつく。成人式で「きものは苦しいもの」と学習してしまうと、どうしてもその後のきものへのアクセスは鈍くなってしまうと思う。だからと言って、若い人に西洋下着なしにきものを着ましょう、なんて言うと、さらに、きものへのアクセスを悪くするように思うから、あまり極端と思われがちなことは言わないほうがいいようにも思うのだが、やはり、「きものを着て仕事をしよう」と思われる方には、西洋下着全廃、をおすすめしたくなってくるのである。

[i]   辻信一 他  「タシデレ(幸あれ)!〜祈りはブータンの空に(ナマケモノDVDブック)」素敬SOKEIパブリッシング、2016.

次回、2021年5月20日(木)更新予定