きものと仕事 三砂ちづる

2021.11.18

21色留袖

 

 女子大の教師を、かれこれ、もう17年くらいやっている。若い頃、自分が女子大の教壇に立つことなど、夢にも考えていなかった。大学の先生というのは、みんな研究者なのだが、研究者になることも、考えていなかった。若い頃になりたかったのは、いわゆる国際協力ワーカーであった。薬剤師の免許もとることになっていたし、アフリカの飢餓や医療格差のことも耳に入ってきていたし、若いころは、世界のためになにかしたい、と思うものだし、私の場合は国際協力ワーカーなることだったのだ。でも国際協力ワーカーってどうやってなるのかわからなかったし、教えてくれる人もいなかったので、まずは現場に行こうと思って、アフリカでボレアンティアをしたり、いやあ、勉強が足りないなあ、と思って公衆衛生の大学院に行ったり、留学したり、いやいや、もっとフィールド経験が必要だよなあ、と思ってブラジルで調査をしたり、イギリスの大学で働いたりしているうちに、研究者という立場で、国際協力に関わるのは、なかなかいいな、と思えるようになったのである。イギリスにいて、国際保健ワーカーとは、大学とNGOと国際機関を、転職しながらぐるぐるまわるような仕事であり得ることを知ったこともある。そうやって、結果として研究者になった。母子保健、という分野の奥の深さがわかって、女性のありようを追求していきたい、と思うようになったことも、ある。
 そんなこんなの中で、女子大にたどりつくわけだが、勤め始める少し前からきものを仕事で着始めた。女子大だからといっていまどき、きものを着て授業をする先生などいないのであって、ほんとうに、変わった人だと思われているであろう。小さな女子大なので、毎日きものを着ていると当然目立つ。「きものを着ている先生」として、私は有名であり、学生の間では、この大学で(って、そもそも小さい大学だけど)私を知らないと、もぐり、とか、言われている。大学教員は、研究業績がはなばなしい、とか、授業の質が高い、とか、本来ならそういうことで有名になるべきであろうが、そういうものじゃなくて、きものを着ていることで学内で有名になるのもどうかと思うけど、まあ、そうなってしまった。きものの力。

 結果として、思うのは、女子大とはきものを着るのにまことに良い職場であるということだ。普通、職場にきものを着て行くのは敷居が高いと思われるが、だいたい、おおよその大学の先生というのは、みんな、かわりものなので、だいたいどこの大学でも、教員はどんな服をきていても、あまりとやかく言われることもない。そもそも、他人に寛容であることは大学教員に強く望まれる資質でもあるので、誰も何も言わない。何も言われないので、きものを着るのもハードルが低かった。さらに女子大に勤めていると、普段着だけでなく、それこそ「やわらかい」特別な時のきものを着る機会も結果として多いので、きものを着る楽しみを堪能できて、「タンスにしまい込んで死蔵しているきもの」というのが、ほとんどなくなり、手持ちの着物は、全部活躍してくれる、というありがたいことになるのだ。

 色留袖、というきものがある。既婚女性の第一礼装は、五つ紋の黒留袖であることはよく知られている。結婚式で、新郎新婦の両親などが着ている、あの黒留袖である。黒の地色で上半身は柄がなく、裾まわりに縫い目をまたいで縁起のいい絵羽模様が描かれているきものだが、色留袖とは、この黒留袖の地色の部分が黒以外の色の、きものである。五つ紋がついた色留袖は黒留袖と同格と言われている。結婚式で、新郎新婦の姉妹とか、いとこの女性とか、そういう親戚筋の人が着るのにふさわしいきものといわれている。また、宮中では黒留袖を着ることは避けられているので、宮中に参内する叙勲、褒章などのときには色留袖を着ることになっている。どちらにせよ、色留袖を着る機会、というのは、ひとりの女性の人生に、あっても数回、という程度ではないだろうか。そもそも、とても特別な時のものだからそんなに着る機会はないようなきものである。だが女子大の教師をしていると、ありがたいことに、色留袖を着る機会が多い。
 色留袖は、教え子の結婚式に出て、主賓としてスピーチするときなどにもふさわしいきもの、と言われているのだ。私は、すこし灰色の入ったような紫地の色留袖を持っているのだが、あまりに何度も着たので裾が擦り切れた。女子大の教師なので、結婚式にひんぱんに呼んでもらう機会がある。結婚式の祝辞は「新郎上司」、「新婦恩師」というくみあわせが、スピーチの順序としてはわりとすわりがよいらしく、「恩師」として呼んでもらっている、というありがたい話なのである。だいたい、大学の先生たちは、結婚式に呼ばれると、「一切でない」ということにしている人と、「全部出る」という人のどちらかであるようだ。元教え子に招待されて、誰かの結婚式には出るが、別の人の結婚式には出ない、というのは、まことによろしくないことだから、そういう場にあまり出たくない方は「一切、でない」方針を貫いておられる。私は女子大の教師は、結婚式に出るのも仕事の一つではないだろうか、と勝手に考えていて、呼んでいただくことがあったら、喜んで、都合をつけて、よっぽどのことでない限り出席するようにしてきた。そうすると結果として年に何度も結婚式に出る機会があることになり、女子大の教師を20年近くやっていると、数えていないけれど、かなりの数の結婚式に出席していることになり、色留袖を、数え切れないほど着たので、裾が擦り切れてきたのだ。おめでたい席に着るきものだから、もちろん手入れして着ることになるが、色留袖の裾が切れるほど着る機会があるなんて、女子大教師をやっているからこそ、だな、ありがたいしごとだな、としみじみ思う。
 おそまきながら、それほど着る機会があるのだし、だいたい同じ学年の同じゼミの学生が結婚式をするのに、あまりにいつも同じきもので行き続けるのも申し訳ない気がしてきた。かといって、色留袖を二枚も仕立てるのは、気持ちとして、いくらなんでも、ちょっとやりすぎじゃないかしら、と思うので、ネットで裄と紋があう、元々持っていたのとはまったくちがう淡い色の新品の色留袖を探し当てて、2枚目の色留袖を手に入れた。手に入れたら、新型コロナパンデミックになってしまって、結婚式がすべて延期になってしまって着る機会がまったくない。残念。
 ともあれ、女子大で教師をしていると、色留袖が擦り切れるほどの光栄な機会が多いのだ。入学式、卒業式も毎年ある。そういうときには色無地で袋帯で出かけることが多いが、訪問着を着るのにふさわしい機会でもある。結果として、たんすで「死蔵されがち」なやわらかいきものも大活躍している。女子大教師は、きものフレンドリーな職業なのだ。
 普段、木綿やつむぎなどの「かたいきもの」を仕事に着ていると、ときおり袖を通す「やわらかいきもの」の美しさはひときわ感じられる。小紋のきものはほとんどもっておらず、やわらかいきものは、無地、江戸小紋、訪問着、色留袖、なのであるが、そういったきものに袖を通し、動いてみるとその地のからだに添うてくるしなやかなかんじや柄ゆきに、ため息をつきたくなるくらいの喜びを感じる。これは普段「かたいきもの」を着ていればこそ感じられる、人生の大きな喜びの一つだ、と思う。

 

次回、2021年12月20日(月)更新予定