きものと仕事 三砂ちづる

2022.1.17

23段取り

 

 よく考える必要もなく、洋服の時代である。みんな、洋服を着ている。きものなんか着ている人は、ふつうにはいないのである。この数世代の間に起こった変化は、どの分野でも大きかったが、「衣」の分野でもまことに大きなことだったのだ。1958年生まれの私の世代が、祖母になる年齢になって久しい。孫もいるようなこの世代、すなわちいまどきの「おばあちゃん」の世代ですら、きものを自分で着る人は、まれなのである。私どもの祖母の世代は、全員日常的にきものをきていた。母の世代は、きものももっていたし、自分で着てもいたが、圧倒的に洋服姿の方がすでに多かった。この世代、つまりは昭和一桁とか10年代生まれの人たちがこそが、日本人を洋装に変えていった世代であった。もともと和裁をしていた腕を、洋裁にきりかえ、家族の洋服をどんどん、縫ったのである。当時の女性が憧れて買うものの筆頭にミシンがあったわけで、母の時代の女性雑誌はこぞって、洋裁の型紙を特集していたものである。多くの母たちが、家族の洋服を縫い、冬になれば、セーターを編んだ。決して広くもなければ機能的でもない一昔前の家に、かさ高いミシンとか、自動編み器とかが鎮座していたのが、1960年代から70年代にかけての日本であった。
 当時の母たちは自分で服を作るが、ここぞ、というときの自分や子どもの「よそ行き」の服は、生地を買いに行って、近所の洋裁を仕事にしている人のところで仕立ててもらっていた。どのようなタイプの洋服でも既製服として見つけることができる今からすれば、隔世の感があるのだが。当時を思い出してみると、びっくりするほどおしゃれですてきな服を作ってもらっていたわけでもないのだが、生地屋さんにいって、レースや花柄のきれいな生地をえらび、寸法を測ってもらって、仮縫いをして、出来上がってくるワンピースを楽しみにしていた記憶は、若かった母の記憶と重なる甘い思い出では、ある。思えば、これは、「よそゆきのきもの」を呉服屋さんに発注するのと同じプロセスで、「よそゆきの洋服」が出来上がっていた、と言えるのだろう。まさにきものの延長に洋服、も、あった。
 つまり、この昭和一桁とか10年代生まれの人たちが洋服を常着とし始めた第一世代であるが、この世代は、けっこうていねいに洋服の下着を着こんでいた。洋装の下着というものは、まず、パンツ(いまはパンツはズボンのことで、下着はパンティとかショーツとかいうが、もともと下ばきをパンツ、と言っていたのだ)、ブラジャー、そして、かならず、シュミーズ(これは現在はスリップと呼ばれているものである)、そしてパンツのうえにはガードルをつけて、それから洋服を着ていた。母の世代がそのようにしていたから、娘の世代もパンツの上にはガードルをはき、ブラジャーをつけてシュミーズを着て、と、ていねいに洋装の下着をつけていたものである。中学校の制服の下にも、しっかり、下着をつけていた。Tシャツ文化などがビートルズの音楽とともに入ってくるようになっても、娘たちはTシャツの下に、下着をきていたものだった。「上に着るもの」の下には、かならず「パンツやブラジャー」以上の何らかの下着、すなわち、シュミーズとかシャツとかガードルとかが、必要であると信じていたものだ。ボディスーツみたいなものを日常的につけている人もいたような気がする。1980年代の終わりにイギリスに住むようになり、西欧の女性たちの友人も増えて、部屋をシェアしたり、旅行したりしてみてわかったのは、彼女たちはパンティーとブラジャー以外の、おおよそ「下着」と呼ばれるようなものは一切つけていないということであった。わたしがスリップやガードルをもっているのをみて、「なんとクラシック!」と、あちらの方がおどろいていた。当時すでにスリップやガードルなどの下着をつけるような西欧女性は、ほとんど、いなかったのである。
 いまでは、日本の女性も似たようなもので、下着というのはおそらくパンティーとブラジャーのみであとは、ヒートテックとか、みえてもいいようなシャツのような下着しか着けていないと思う。ワンピースでもシャツでもブラウスでも、ブラとパンティー以外に下着をつけない人も増えた。スリップは持っている人もいるだろうが、持たない人も少なくあるまい。日本も西欧並みになったのである。これはおそらく、以前は、ワンピースとかよそ行きの服はしょっちゅう洗うものではなく、ドライクリーニングに出したり、たまに洗ったりするもので、下着をていねいに着込み、下着をマメに洗っていたのだと思われる。現代では、ワンピースでも、ブラウスでも、だいたい洗えるようなものになっているから、別に下着をつけなくてもそのまま着て、上に着ているものも洗濯機であらえばよいものになっているのだ。
 いま思えば、あの母たちの「丁寧な洋服の下着のつけ方」は、きものの肌着のつけ方の延長にあったのだ。きものの下着は、まずは、肌につける「おこし」つまり、腰巻きと肌じゅばん。そして、その上から長襦袢をつける。長襦袢はあくまで、下着の扱いである。その上から、きもの(長着)を着る。この、きもの、すなわち長着は、季節ごとに洗い張りなどするものであり、しょっちゅう洗うものではなかったのだ。洋服を着るときには、おこしはパンツに、肌襦袢はブラジャーに、そして、長襦袢はシュミーズに、という位置付けであったのではないか。なんとなくそんな気がする。おそらくその頃は、いわゆる「下着の段取り」みたいなものが、和服と洋服ではそれほどちがわず、どちらの服を着ても、「着替える段取り」は、似たようなもの、と思われていたのではないだろうか。
 というわけで、現在はほとんどの人は洋服を着ており、また、その洋服を着るときには、下着は実に簡便なものになっているし、洋服自体も簡単に洗えるようなものになっているから、いざ、きものを着る、ということになったとき、その段取りがあまりにちがいすぎる。
 洋服では、ブラジャーどころか、ブラトップを一枚着れば、上半身は、オーケーみたいな時代なのだから、きものはどんどん敷居が高くなっていく。仕方がない。時間が経って、さまざまな段取りは失われてしまったのである。
 とはいえ、段取りというのは、つくってしまえば、流れ作業でできていく。ここはもう、洋服のことは全て忘れて、きものを着るときは新しい段取りを作るのだと、気持ちをきりかえて、モードを変えるしか、ない。洋服の延長線上に、きものは、なく、いまや、まったく切り離されたちがうものを身につける、と覚悟する。うーむ、覚悟って、たいそうだなあ。でも新しい段取り作りだから、仕方がない。きものを着るときは、洋服の下着はつけない。パンティーやブラジャーをつけていると、きものは苦しいものになってしまうので、つけない。まずは引き出しをひとつ空けて、そこにきものの下着や足袋などをすべていれる。きものを着るときはその引き出しをあける。きものを着るときは、とにかく、洋服とは違う段取りで、まずは、腰巻をつける。そして、肌襦袢をつける。その上から長襦袢を着る。そしてきものをかさねていく。書いていくと当たり前のことだが、このひとつひとつの着替えの段取り、というものが、今の洋服には、ないのだ、ということを理解して、新しい段取りを作り上げるのである。このきものの下着を適切に保管し、段取りをつけて着ていく、ということができるようになれば、実は、きものを着たり、帯を締めたり、ということは、付随してくるものだ、ということがわかってくる。まずは、新しい段取りを身につけること、つまりは、きものの下着のつけ方とその段取りに親しむことから始まるきものライフである。ああ、敷居が高いのも、むべなるかな。でも、やってみると、違う世界が広がって楽しいですよ、と、繰り言を重ねていたい、やっぱり。

 

次回、2022年2月21日(月)更新予定