きものと仕事 三砂ちづる

2022.5.16

26ミンサー

 

 ミンサーは、私の最も愛する帯である。一貫して、そうだった。2003年にきものを日常技として毎日着始めると決めた時、私のきものメンターたる女性が、まずこれを買いなさい、と勧めてくれたのが、黒を基調としてオレンジや黄色が配されているミンサーの名古屋帯だった。まさに、仕事をしたりする普段着きものの帯としては、本当に使いやすく、あたたかみがあり、私にとっては博多帯と並び、日々の仕事をと日常を支えてくれる帯なのである。
 ミンサーには馴染みがあった。20代に琉球大学大学院で学んだ時、八重山芸能研究会に入れてもらって、1年だけだが、八重山の踊りを習い、踊っていたことがある。八重山芸能研究会は、大学の部活であるが、八重山の島々で古老から踊りや歌や芸能を習い、それを舞台にあげる。どの島でも、教えてもらえるものと教えてもらえないものがあるのだが、その時に、教えてもらえたことを大切に、研究会の財産として、後輩たちに伝え、さらにまた取材を重ねて、それらを舞台にあげていたのである。沖縄復帰前、1968年に結成されてから、2019年春に解散するまで、50年間続いた、学生の部活というにはあまりにも質も高く、ハイブロウな活動であったと言わねばならない。発表会の最後には、「浜遊び(はまあしび)」という、若い男女が浜で踊り歌う、という設定でさまざまな踊りを披露していたのだが、その場面で男はドタティ、女はムイチャーと呼ばれる労働着を模したきものを着る。ムイチャーを着るときに締めていたのが、ミンサーの細帯だったから、ミンサーがなんであるか、はその時からずっと知ってはいたのだ。
 知ってはいたが、そのミンサーが名古屋帯になっていることは、迂闊にも、40代半ばできものを日常着として着始めるまで知らなかったわけである。ミンサーはもともと、竹富島をはじめとして、沖縄八重山地方で織られているた木綿の帯である。「ミンサー」という名前の、ミンは、綿、サーは細帯のことであるらしい。もともと、男性が締めるような細帯であり、女性たちが、心を込めて、思いを寄せる男性のために織っていたのである。五つと四つの絣の模様の両側には真っ直ぐな思いを表す線があり、帯の縁には、ムカデの足のような模様がついていて、竹富の言葉でその模様は「マーザヌパン」と言われ、足繁く通う、とい意味であったらしい。つまりは、「いつ(五つ)の世(四つ)までも、ムカデのように足繁く通ってください」という意味であったと言われているのだ。その意匠はとても印象的で、一度見ると忘れることはない、シンプルで力強く、美しいものだ。紺と白の細帯で、そういう、女たちが織る細帯だったのだが、近年、名古屋帯や袋帯として織られ、自然な染料や化学染料で色々な色のものが出てくるようになった。八重山芸能研究会を通じて、八重山の歌と踊りを愛するようになり、踊る機会はなくてもずっと心に携えてきたから、きものを着るようになって、まず、ミンサーに出会った時は、本当にうれしかった。
 もともと、ジーファーという沖縄のかんざしをさした髪型に憧れていたことはすでにこの連載でも書いたことがあるが、ジーファーと沖縄のきもの、そして八重山のミンサーは、私の憧れを体現したものなのである。愛さずにいられようか。ミンサー帯は、木綿の帯であるから、少し雨模様だったり、天気が悪い時にも、あまり気にせず使うことができる。むしろ今日は、雨が降りそうだな、と思うときは、木綿のきものにミンサーの名古屋帯で出かけると安心である。
 きもので仕事ライフを始めた2003年、最初に購入した名古屋帯の一つがこの黒のミンサーの帯であったが、あまりに使いやすいので、この20年でいくつも揃えることになった。現在は、名古屋帯は、ミンサーの色違いを四本持っている。まず最初に求めたのが、この黒地にオレンジや黄色の配色の名古屋帯。これは紬のきものであれば、どんな色でも映えるので、合わせやすい。だから最も愛する帯で、最も頻繁に使っている帯なのだが、20年近く使ってきても、びくともしない。今までで数回、洗いに出しているが、その度にすっきりとぴかぴかで戻ってくる。どこのほつれもなく、色も褪せない。絹の帯と比べると、それほど高価ではないとはいえ、安くはない伝統工芸品のミンサーの名古屋帯だが、まさに、酷使に耐える丈夫な帯であることは、実際に使ってみてしみじみとわかる。
 二本目に購入したのは、黄緑色のミンサーの名古屋帯で、こちらもやさしい色で仕事に着るような紺色、茶色などの色のきものによく似合う。とりわけ春先にはよい。三本目は、まさに化学染料ということがよくわかる可愛らしいピンク色のミンサーで、やはり紺色の木綿や紬によく映える。この三本は全て、石垣島で織られたもので、三本もあれば、十分に使いまわせるのであるが、あるとき、手入れをお願いしているチェーンの呉服屋さんで、持っておられるきものによく合うミンサーが入ったのですがと、見せてもらった帯がある。こちらは自然染料(何で染めたのだかを聞き忘れてしまった。今度、しっかり調べてみる)で染められ、竹富町で織られたグレーのミンサーの名古屋帯で、その色のなんともいえないあたたかみに惹かれて、ついふらふらと四本目のミンサー名古屋帯を購入してしまったのである。
 これらの四本のミンサー名古屋帯の他に、ミンサーは赤い半幅帯と白い半幅帯、それに細帯も一本、持っている。赤い半幅帯は、友人の日本舞踊の発表会で盆踊りのようにみんなで踊るから、出て、と言われて、浴衣に締めるために購入したもの。白い方のミンサーの半幅帯は、石垣島で戦後、生活改善普及員をなさっていた女性にお話を伺いに行ったときいただいたもので、真っ白な地色に紺色の模様が描かれていて美しい。細帯は、まさに踊りのお稽古の時に締めるものである。つまり私の手元には、現役として常に活躍し続けるミンサー帯が七本もある。
 この20年間、これらのミンサー帯を最も使いやすい仕事用の普段着の帯として使ってきた。木綿だからすべらないので初心者でも締めやすい。私が勧められたように、普段着のきものを着ようとする人全てに、まず、ミンサーの名古屋帯を買ってみたはどうですか、とお勧めしたい。ミンサー織自体は今や沖縄を代表するお土産品となっており、帯としてよりも、ハンドバッグや、ポーチ、名刺入れや財布、コースターなど、かわいらしい小物として人気があり、値段も手頃なので、多くの人に求められていると思う。きものを着る人がどんどん減っていって、もちろん、帯としてのミンサーだけでは、立ちゆかないから多くの小物が作られているわけだが、帯としてのミンサーの、締めやすさ、扱いやすさ、美しさなどの実力を知れば知るほど、ミンサーが小物にされているのは、少し悲しいし、歯がゆい思いが残る。
 きものを長年着ていると、それらのきものに導かれることも多い。ミンサー織を次世代にシステマティックに伝え、現在のミンサーの普及に尽力したという方のお孫さんにも会うことができた。20年ずっと身につけていると、ミンサーの継承に尽力された方の元にも、辿り着くことができる。その女性は当然すでに他界されておられるが、そのお孫さんから、ゆっくりとミンサー伝承について伺ってみたい。きものを着ているだけで、縁が繋がれてゆくのである。

 

次回、2022年5月27日(金)更新予定