きものと仕事 三砂ちづる

2022.6.9

27帯揚げ

 

 以前の連載(08)で、「腰ひも一本だけ」を残す着付けについて書いた。着物研究家、笹島寿美さんが提唱しておられるもので、彼女の出しているたくさんの本に詳細が書いてあるので、そちらを見ていただきたいが、要するに、腰ひも一本はしっかりと締めるだけで、胸ひもは仮ひもとして着付けの時に使うが、着付けが終わったら抜いてしまう。伊達締めも使わない。結果として、胸元に余計な紐がなく、大変、楽な着付けの仕上がりとなる。以前にも書いたが、この着付けの仕方を知らなければ、おそらく仕事着として毎日きものを着ることにはならなかっただろうと思うくらい、私にとっては大切なノウハウとなった。
 胸ひもや伊達締めがとりわけ必要でない、というのは、きものは空気を抜きながら一枚ずつ着付けていくと、きっちりとひもで留めていなくても胸元などはそう着崩れないものである、ということが前提である。それが前提なのではあるが、現実には、帯揚げとか帯枕など胸元で締めることになる「ひも様」のものは、結構あるので、わざわざ胸ひもや伊達締めは必要ではない、というところがあるとも考えている。仕事できものを着るときは、半幅帯ではカジュアルすぎるので、だいたい、お太鼓を締めることになる。お太鼓の帯結びをするときは、帯枕と帯揚げを使う。帯枕も帯揚げも胸元で結んで使うものだから、とりわけ胸ひもや伊達締めを使わなくても、帯枕と帯揚げを使えば胸元は安定する。だから胸ひもくらい抜いてしまっても大丈夫だし、伊達締めもいらないという結論になるのだ。
 帯枕には必ずひもがついているが、細いひもだけしかついていないものもあり、そのまま、細いひもで帯枕をつけて結ぶと安定しないのみならず、胸元が痛くなるので、ガーゼなどのカバーをつけて、そのガーゼでできたひも部分で結ぶ方が安定するし快適である。以前は、そのようにして、冬用の帯枕と、夏にはへちまの帯枕などに、ガーゼのカバーをつけて、季節ごとに使い分けていたのだが、今は、一年中、たかはしきもの工房の「空芯才」という帯枕を使っている。雑誌「七緒」さんの仕事を通じてご紹介いただいたもので、まず、フォルムが美しい。帯枕として理想的な高さと厚みがあり、お太鼓がとてもきれいに仕上がる。柔らかいので、背中によくフィットして気持ちが良いし、通気性の良い素材なので、夏もへちま並みに、暑さを感じにくい。ガーゼのカバーをかけなくても、前に結ぶひも部分も含めて、一体化していて、紐部分も柔らかい布でできているから、結びやすい。さらに、丸ごと洗濯できて、いつも気持ちよく使えるのも、うれしい。調べてみると、高さは、普通のもの、正装用、踊り用、と三種類あるようだが、私は、普通のもののみで、仕事の時に使う普段着から、訪問着、色留袖などの正装にも使っている。帯枕をつけた後、さらに帯揚げをかけるから、結果として胸ひもなどなくても、胸元は安定していくのだ。
 帯揚げ、というのは不思議なアイテムである。決して、きもの生活のメインに君臨するような、目立つものではない。だいたい、半幅帯結びの時には、使いもしない。お太鼓や二十太鼓や銀座結びで大活躍するものの、きもの姿が出来上がった時に、ほんの少しだけ控えめに見えるだけのものだ。それでも帯揚げの手触りの柔らかさ、色の美しさ、並べてみるときの艶やかさは、いわゆるスカーフのコレクションを並べてみるときの気持ちと少し似ている。きもの生活も20年近いので、いろいろな帯締めがそろってはいるのだが、現実には一年の8割がたは黄色の帯揚げをしており(連載02「黄色」に書いている)、それ以外は、ほとんど、「ゑり萬」の飛び柄の帯揚げをしていることに気づく。
「ゑり萬」の帯揚げ。きもの周りの小物の世界で、京都の「ゑり萬」の帯揚げと、東京の上野池之端の「道明」の帯締めは、やはり格別のものであるように思う。先般、働く場所は違うが日常的にきものを着ている方々と同席する場があった。踊りのお師匠さん、伝統芸能の異なるジャンルのお師匠さんお二人、そして女子大という仕事の場できものを着ている私、全員、全く異なる装いをしているにもかかわらず、見事に、帯揚げは、「ゑり萬」、帯締めは「道明」、だった。思い出してみても、花街の芸妓さんも、花柳界の奥様も、みんなつけておられた姿が目に浮かぶ。こんな、皆様がおつけになるような、上等のものをつけていてすごいでしょう、と言いたいのではない。「ゑり萬」の帯揚げも「道明」の帯締めも、もちろん安くはないが、他の帯揚げ、帯締め、と比べて、飛び抜けて高価、というものでもない。それでも、きものをなんらかの形で日常着とする人には、結果として、こよなく愛される帯揚げ、帯締めとなっているのは、両方、実に使いやすいから、ということに尽きる。「道明」の帯締めは絶対にゆるむことがないし、「ゑり萬」の帯揚げはどんなきものにも合わせやすい。結果として、どういうことか、というと、「ゑり萬」の帯揚げ、「道明」の帯締め、をつけているきもの仲間に会うと、「むむ、おぬし、できるな」と思う……というのは冗談にしても、この人は、きものをよく着ている人なんだな、きものに慣れているんだな、という、暗黙の了解に至るのだ。わかっている人がつけているのね、という、いやらしい言い方にならねばよいが、と思いつつ書いているが、逆に、初心者の方でも、この辺りから揃えていかれると間違いがない、ということでもある。
「ゑり萬」の帯揚げは、いろいろな柄あるが、最もよく使われていて、確かに使いやすいものは、白地にえんじの花の飛び柄の帯揚げである。きものを着て暮らしたい、と思うときに、最低限揃えるとよい帯揚げは、慶事の礼装用の白い帯揚げ、お悔やみごとの時の黒の帯揚げ、そして、礼装とお悔やみごと以外の時に使うように「ゑり萬」の白地にえんじの花の飛び柄の帯揚げ、があればいいのではないか、というのが勝手な結論である。
 結婚式などの礼装用には、金や銀の入った帯揚げも使われているが、真っ白の帯揚げをつけていて失礼になることはないので、礼装には、白い帯揚げ、それに白い帯締めがあればよい。お悔やみごとの時には、黒の帯揚げ、黒の帯締め、である。身内の葬儀の時には黒喪服をつけ、それ以外の葬儀には寒色系の色無地に喪の帯、黒の帯揚げ、黒の帯締めを使うし、法事には半喪の帯にして、そこに黒の帯揚げ、帯締めを使える。そういう白か黒の帯締めを使うような機会以外には、ほぼ、全て、「ゑり萬」の飛び柄の帯揚げを使えるのではないかと思うのだ。
 まず、きものの色を選ばない。この白地にえんじの飛び柄、という帯揚げは、考えうる限りのほぼ全ての色のきものに使うことができる。明るい色のきものにも控えめな感じで寄り添ってくれるし、仕事着としてよく使うような紺や茶の暗い色のきものの時は、えんじの花柄がちらりと見えることで華やかさも添えてくれる。さらに、素材も選ばない。お茶席など柔らかいきものに袋帯が期待されるような席での装いには、ぴったりである。どのような柄の訪問着にも合うし、色無地には帯揚げは柄物を選びたいから、そちらにもすっと馴染む。このように柔らかいきものに馴染むような帯揚げでありながら、つむぎなど、織の普段着にもまた、よく合うのである。
 きもの好きな方に何か、きものの小物をプレゼントしたい、と思うときは、まず、この「ゑり萬」の飛び柄の帯締めがおすすめである。白地なので、汚れやすく、洗いに出しているとぱきっとした白地ではなくなるので、新調したくなるから、同じものをもらってもとてもうれしい。持っていそうな人に差し上げても喜ばれるし、初めてもらう方はもっとうれしいはずである。

 

次回、2022年6月24日(金)更新予定