2003年から日常着、仕事着としてきものを着始めて、そろそろ20年になる。40半ばで着始めたのだから、そろそろ齡、60半ばになろうとしているわけである。きものを着て暮らすと、それだけで十分に目立つ。普段着として着ているわけだし、職場である女子大の学生とふつうに接しているから、自分としては特別なことをしているという気持ちはすでにないのだが、ときおり、きものを着ておられる方とすれちがうと、目にとまるし、やっぱり、目立つし、ああ、きものか、珍しいなあ(自分も着ているのに)、とか思ってしまうから、周りは私をそのように見ている、ということである。その自覚はありながら、20年きものを着てくらしてきた。まあ、しょうがないか、目立っても、という感じで。
そんなふうに着てきて、だいたいこういうきものをこういうふうに着たいなあ、ということを、20年の間にひとつずつ実現してきた。お金をためてがんばって新調したり、ずっと探し続けてリサイクルの一品を見つけたり、偶然にいただいたものがずっと欲しかったものだったり。さまざまな出会いがあって、「着たいきもの」を着てきたのだ。何度も書いているが、沖縄のきものが好きだし、大島紬が好きで、琉球弧というか、南西諸島というか、そちらのほうのきものをとりわけ愛して着ている。最初にもとめた夏大島の涼しさに感動したし、教え子のおじいさまのおつれあいのものをいただいた古いバンジョー柄の紺地の琉球絣はいまも最も気に入っているきものである。芭蕉布は尊敬する女性の先輩からゆずりうけ、ミンサー帯は連載にも書いたが何本も揃えて一年中、つけている。そうやって、着たいものは20年かけて、すこしずつ、着てきたのだ。
そんななか、まだ、持ってもいないし、着たこともない、憧れ続けているのが、「うしんちーで着るきもの」である。うしんちー、とは、沖縄で着られていた、帯をつけないきものの着方で、「うしん」というのは「うしくむ(押し込む)」ことで、「ちー」は「着方」であるらしい。対丈の単衣のきものの、まず、下前を半襦袢の上にしめた紐(ウエスト位置くらい)に押し込み、さらに上前もその紐に上から押し込むようにして着付ける。対丈のきものではあるが、腰まわりはふわりとしたふくらみがでるように着付けるため、そのように仕立てられている。帯を締めるきものの着方とは、根本的に発想からして、ちがう、というべきであろう。帯を締めない後ろ姿は、腰のあたりがふわっとしていて、なんともいえない色気がある。この「ふわっとさせかた」にそれぞれの個性もあり、好みもあったらしい。袖は、広袖、つまり、ふつうのきものだと袖口の下は縫い閉じてあるが、うしんちーで着るきものの袖は、袖口が上から下まであいている。当然、涼しい。
琉球舞踊に「浜千鳥(ちじゅやー)」という女踊りがある。くじりごーし(崩れ格子)とよばれる大きな模様の入った紺地のきものをうしんちーで着付けて、踊る。華やかな紅型で踊られる舞踊ともちがい、短めのきものに細帯で踊られる雑踊りともちがい、なんともいえず、女らしく、色っぽい踊りで、この「浜千鳥」が踊りたくて琉球舞踊を始められる方も少なくないようだ。2022年現在60代の、わたしと同世代の沖縄の女性たちは、祖母たちの世代がうしんちーのきものを着ていたことを記憶しているが、現在、那覇の街角でうしんちー姿の女性を見かけることは、まず、なく、きものの女性をみかけることが日本全国どこでも珍しくなくなった以上に、来ている人をみかけない、うしんちー姿、となっている。要するに、踊りの衣装以外、見かけることがなくなった着姿、なのである。
夏のきものは、美しい。盛夏に薄い夏物をさらりと着るよろこびは特別なものなので、一年中きものを着ていても、とりわけ夏は、きものを着ることが嬉しい、と思いながら着ている。きものは涼しいんですってね、あるいは、きものって暑くないですか、と、夏にきものをきていると、しょっちゅう、どちらかのコメントをいただくのだが、まあ、どちらもあたっていなくは、ない。西洋下着をつけないできていると、きものは、脇、すそ、えりもとがすっきりとぬけているから、夏場も十分に涼しい。からだと衣服の間を風がぬけていくようだ。つまりは、きものは涼しい。しかし、同時に、帯の下にはかなり汗をかく。冷房がきいている部屋などではちょうどよいのだが、夏場に外を歩いているとやはり、何枚も巻いてある帯の下は、軽い夏帯であろうと、しっかり汗をかく。きものは、暑い、というのもあたっているのだ。帯は、夏場は、なくてよいのではないか、あるいは、もっと細い帯で着ても良いのではないか、と思っていた。
亜熱帯、暑い沖縄では、きものは、そのように、帯なし、あるいは、細帯、で着られていたのである。新聞の記事や文献などでは、帯なしのうしんちーでの着方と、細帯を締める着方は、時代や場所によってちがうように書いてあることもあるが、ようするに、体を動かして仕事や作業をするときは、基本的には、細帯を前で結んで締めていたのではないかと思うし、うしんちーは、お家で着るというか、おでかけの服装、というかんじだったのではないか、と思っている。夏のきものは基本的に涼しく、暑いのはとにかく帯なのだから、帯を締めなければ涼しい。夏きものを着るたびに、毎年、いつか、いつか、きっと、うしんちーのきものを着て、夏をすごしたいものだ、と憧れていた。でも、現在、着ている人をみたこともないし、これはもう、覚悟がないと着られないな、とは思っていた。
しかし、そこは、きもの暦20年、年齢も還暦が過ぎたら、もう、覚悟もできてくる、というか、別に私が覚悟を持たなくても、周囲は、「ああ、あの人はまた変わったことをしている」と納得してすませてくれるようになったというか、そもそも、60代の女性が何をしようが、誰も何も言ってもくれない、というか、そういう自由を得ているかと思うので、もう、ここで、夏は、うしんちーできものを着ようと思う。那覇でさえ、だれも着ていないうしんちーであるが、那覇生まれ那覇育ち、那覇の市場の隅々まで知り尽くしている友人が、リサーチをしてくれていて、うしんちーのきものを仕立ててくれる店もすでに特定してある。ここ10年くらい結構足繁く通って、いつかは、うしんちーをつくりたいです、と、お店のおねえさんにもお声かけしてきた。手のかかる琉球絣はもともと高級なものではあるが、その店では手の届く値段で、うしんちーにするとよいような琉球絣を扱っておられるのだ。ここまでで、足りなかったのは、よし、ここでつくるぞ、うしんちーで着るぞ、という決意だけであった。
きものを着て女子大の教壇に立っていると、おりにふれ、学生が「先生、きものいいですね、私もいつか着たいです」と言ってくれる。今は着ていなくても、敷居が高くても、40過ぎたくらいで、ああ、きものずっときていた先生がいたな、と思い出してくれて、きものを着てくれるようになるといいと思っている。大学教師としての時間も終わりに近づいている今、そろそろ、うしんちーのきものを着て、教壇に立ってよいであろう。これは、沖縄のきものの着方なのよ、この年齢で初めてきているけれど、きっと若い頃に着ると、とっても色っぽいと思うわよ、とか言いながら、学生の記憶に、うしんちーを組み込みたい。
この夏に、仕立てよう、うしんちーのきもの。
次回、2022年8月12日(金)更新予定