きものと仕事 三砂ちづる

2022.8.8

29上布


 きものには一枚一枚思い出があり、ストーリーがある。誰かにいただいたきものならもちろん、それぞれにその人の思い出、そのきものの思い出、が付与されるから、尚更のことだが、誰かに買ってもらったきもの、というのも、またその買ってくれた人のことを忘れがたい。
 きものは、長く、親が嫁に行く娘に揃えてやるものであった。もちろん、そこそこお金に余裕のあるお家のことである。きものなんか娘に持たせる余裕のない家も多かった。だから娘がきものを揃えてもらって嫁に行くことは、ある意味、長く、若い娘たちの憧れであったことだろう。しかし、時はすぎ、「娘が嫁に行く」という言い方自体がポリティカルに正しくなくなり、そういった状況も、前世紀のものとなり、娘にきものを持たせる母の方も、きものの着方自体がわからなくなったり、娘もちっともきものが欲しくなくなったり、もらっても困ったりし始めたので、親が娘にきものを持たせる、ということは、よほどやんごとなきお家か、和装に親しみがあるような職業の家庭でしか行われなくなったと思う。現在60代の私の世代では、親にたんす一竿分のきものを揃えてもらった人もいるにはいるが、みんな、きものは文字通りたんすの肥やしとなり、はっきり言って持て余している人も少なくない。時代は変わったのだ。今どき、親に買ってもらうきもの、というのはあっても、成人式のきものくらいではないだろうか。それもレンタルが増えているので、あまりないかもしれない。そもそも成人式の振袖は、おおよそは、若い頃しか着ないものであるから、自分の娘に譲りはしても、親に買ってもらったきもの、と思って生涯大切に着るようなきものではないのである。
 親の次に女性にきものを買ったのは、もともとは配偶者、夫、であった。こちらも今はすっかり変わってしまったが、そもそも、甲斐性のある男性は、女性にきものを買ってあげることが喜びである、という時代もあったのだ。妻に買ってあげるのみならず、芸者さんたちは、「旦那さん」からいつもきものを買ってもらっておられたものだし、情けをかけられる、ということと、きものを買ってもらう、ということがほぼ同義だった時代もあったような気がする。「情けをかけられる」も、また、今は、ポリティカルコレクトネスに反する言葉遣いではあるが。とにかく、今は昔、のお話なのである。
 私は親にもらったきもの、というのはないのだが、亡くなった夫には、何枚かきものを買ってもらっている。紺色の、とてもすっきりした能登上布は、夫と金沢旅行をしたときに買ってもらった。兼六園のそば、伝統産業工芸館のショーウインドウに何枚かの、実に美しく、心奪われるような能登上布が飾られていた。この工芸館のものは、買える。工芸館のガラスの奥の展示品などとても買えないと思っていたのだが、想像していたより、一桁安くて、勤め人同士の夫婦がちょっとがんばれば手に入れられる、と思うような値段であったわけだ。夫に買ってもらったその反物を、のちに仕立て、夏によく着ている。夫が亡くなったのは6月の末だったから、毎年7月になれば、能登上布を着て、夫を思い出す。
 上布、というのは、端的に言えば、麻のきものである。苧麻などの植物を原料とし、そこから繊維を取って糸に紡いで折り上げる。少しごわっとした感じになるが、肌にくっつかず、大変涼しい。トンボの羽のように薄く、美しい。常々、きものは夏物が最も美しいと思っているが、上布もまた、代表的な美しい夏のきものなのである。上布の何が良いかというと、汗をかいたら、自宅で洗濯できることである。絹ではなく、麻のきものなので、家で洗える。夏物なのだから、どうしても汗をかくから、できるだけ、着物も洗いたい。丸洗いに出す、洗い張りをする、などでなく、家でそのまま洗えることはとても助かる。
 ちなみに絽の紋付や訪問着などではない夏の普段着の時は、私は長襦袢は使わない。暑い時なのだから一枚でも少なく、涼しく着たいからであるし、夏はきものはともかく、下着としてつけているものはできるだけ毎日洗いたいからである。上は、袖口にレースのついている、襟付きの肌襦袢に絽の美容襟を縫い付けたものだけ。下は、裾よけだけのことも多い。居敷あてのついている夏物のきものは透けることがないので、裾よけだけで着る。ついていない透ける着物の時は、裾よけを2枚つけたり、湯文字と裾よけを合わせたりして着る。どちらにせよ、美容襟のついた襟付き肌襦袢も裾よけも湯文字も毎日洗う。少なくとも下着だけは毎日洗える状態で着ているわけである。
 もともと、苧麻は日本のあちこちで栽培されており、男たちが収穫して、女たちが糸を紡ぎ、折り上げていた。それが上布である。現在、上布、と呼ばれて、最もきもの好きの間でよく知られているのは、宮古島で織られる宮古上布、八重山地方で織られる八重山上布であろう。こちらは、収穫から、織り上げるまで大変な作業が必要で、手間のかかるものであるから、購入しようとすると、六桁ではなく、七桁の単位のお値段になってしまうようなきものである。しかし、もともと、市販の衣服などが手に入らなかった頃、上布は家の周りに植えられている苧麻を使い、家庭で織り上げられ、作られるものであったのだ。八重山地方で生まれ育った、2022年現在、70代後半の男性は、幼い頃は、普通の衣服が手に入らなかったので、いつも、母親が織った上布や芭蕉布のパンツやズボンを履いて学校に行っていた、と話しておられた。上布のパンツはさすがに履き心地がいまひとつだったかもしれないが、ズボンはさぞや涼しくて快適であったに違いない。ちなみに上布は苧麻から繊維を取って糸にするが、芭蕉布は、糸芭蕉から繊維を取り出し糸にする。今は沖縄本島中部の喜如嘉の芭蕉布がよく知られているが、以前は八重山地方でも盛んに織られていたという。
 現在、八重山地方で70代くらいの男性は祖母や母たちが賢明に機織りをしていた姿を明確に記憶している。悲しい人頭税の時代はすでに終わっていたが、人頭税の時代に強要された美しい布を織る技術は、まだ娘や嫁に伝承されていたのである。衣服というものは、地場の植物を使い、糸を紡ぎ、機にかけて、家族のものを織るものであったのだ。八重山の母たちは、上布や芭蕉布を洗剤で洗うといたむので、シークワーサーと呼ばれる沖縄の柑橘を使って洗っていたのだという。シークワーサーの季節になると、山ほど取ってきて、シークワーサをたくさん絞り込んだ水で上布、芭蕉布を洗う。今、ここに記したように、上布を家で洗うというと、普通の洗剤で手で洗うか、ネットに入れて洗濯機で洗うか、ということになってしまうのだが、もともとは、自然の素材で汗や汚れを落としていた、ということらしい。
 そんなふうに先島の暮らしに根付いていた上布であるが、今はもう、作家として以外に、織る人はいなくなってしまった。きもの自体を着る人が本当に少なくなったこの頃、生活の上で作るものではなく、作家さん方の作るものとなった上布は、普通の人の手には届かない値段がついている。それでもかりゆしウエアをはじめとするシャツの上質の素材として使われるようになっているし、上布自体はすたれることがなさそうだ、というのが唯一の救いであろうか。


次回、2022年9月9日(金)更新予定