前回、なかなかに締める技術のいる半幅帯から帯の結び方を学び始めるのは、実は結構難しいから、きものを着始めるときは、名古屋帯を直接結ぶ練習をした方がいいのではないか、と書いた。半幅帯で外に出かけようとすると、浴衣などでない限り、羽織を着るのが前提になる。「いまどき、羽織を着る人なんかいるだろうか」と思うから、最初から、羽織なしで外に出かけられる名古屋帯を練習した方が良いのではないか……、と書いたのだ。大正から昭和にかけて、丈が長めの羽織が流行っていたし、戦後も、丈は短くなったが、お母さんたちは学校の参観日や何かの式には、羽織をきていたものだった。羽織はきもの生活において、長く必須のものであり、みんな羽織でおしゃれしていたのであるが、そうはいっても、洋装がひろがり、和装はめずらしいものになるいっぽうの今、では、羽織は流行らない、いまさら、半幅帯に羽織、ではあるまい、と、書いたのである。
そう書いたのではあるが、ひょっとしたら、ちがうかもしれないと思い始めた。最近いささかでもきものに興味を持っている若い方の中には、逆に、羽織が着たい、と、思っておられる方も少なくないのかもしれない。大正時代を舞台にし、大人気のうちに最終回を迎えた、少年ジャンプ連載のマンガ、「鬼滅の刃」には、羽織がたくさん登場するのである。大正時代を舞台に時代考証されているマンガなのだから、羽織が大活躍するのは、もちろんのことであろう。主人公、竈門炭治郎(かまどたんじろう)の妹、禰豆子(ねずこ)は、鬼におそわれて、鬼にされてしまっている、鬼にされてしまってはいるが、ほかの鬼のように人を襲わない、という設定である。彼女は、麻の葉の模様(よく知られた、魔除けの模様である)のきものに、市松模様の帯、それに濃い色の長い羽織を着ている。いかにも当時の女の子の着ていそうな、長めの丈の羽織である。なかなかかわいらしい。男性陣も、主人公は市松の羽織、主人公の友人は、うろこ柄の羽織、主人公の先輩は、片身替わりの羽織など着ていて、みな、それぞれにたいへんかっこいい。こういう格好に憧れてきものを着たい方もあるかもしれない。ネットで見ても、コスプレ用衣装なども多彩に展開されているようである。こういうことからきものに憧れと関心をもつのであれば、まずは、「羽織が素敵」と思われるかもしれないのである。
きっかけは、なんでもかまわない。憧れがあってこそ一歩踏み出せるのだから、マンガがきっかけ、で結構なのである。だいたい日本のスポーツシーンも、マンガに牽引されていたようなものである。1970年代の訪れとともに中学生になった私の周囲は、「アタック No.1」を読んで、バレーボールに中学生活を捧げたい女の子ばかりで、バレーボール部は新入部員だらけであった。ほどなくそれは「エースをねらえ!」にとってかわられ、新入部員殺到のクラブはバレー部からテニス部にうつっていくのである。世界で活躍するようになった日本のプロサッカー選手の多くがミッド・フィールダーに憧れ、優れたミッド・フィールダーがたくさん誕生したのも、「キャプテン翼」のせいというか、おかげなであることも、つとに語られている。「スラムダンク」があったから、プロ・バスケットプレーヤーが出て来るほどに日本のバスケット界も層が厚くなった。マンガによる憧れの牽引は、すでに半世紀の歴史のある我が国であるから、ここは、羽織が若い方に流行するかもしれず、それはそれで、楽しみなことである。
コロナパンデミック、日本では一山はこえたようで緊急事態宣言が解除されたが、感染症の歴史と、現在あるデータからは、全く予断を許さないことが示されている。生活は変わっていかざるを得ない。ずっと家で仕事をしているという人もまだ少なくないと思う。ほんとうは、このわたしたちの「人に会わない、ステイホーム」な生活は、人に会わざるを得ない、家にいることができない、医療関係者やスーパーマーケット、コンビニ関係者や、配送業者の皆様や、役場からゴミ処理まで公的な仕事についている人をはじめとして、多くの人たちの働きに支えられている。そのことに感謝をしつつ、いまだ家にいなければならないのなら、家でしかできないことをするのはどうだろう。
いつかはきものを日常着にしたい、いつかはきもので仕事をしたい、と思っておられる方には、これは絶好のチャンスなのではあるまいか。家にいるなら、少々着崩れても着直せば良い。家にいるから、きものはたいして汚れないから、下着以外のきものの手入れについあまり気にせず、トライすることができる。これから暑くなる季節で、外では汗を書くからいやだなあ、と思っておられる方も、おうちで冷房かけてきものを着ていればよいのである。着ようと思ってきられなかったきもの、いつかは着たい、と思ってしまいこんでいたきもの、someday never comes.、いつか、なんて、永遠にこないのだから、いつか着たいものは、今こそ着れば良いのである。ZoomやGoogle hangoutでオンラインミーティングです、という方もあると思うのだが、あなたがきものをきていることは誰の気にもならない。誰も気にしなくても、自分が気になる人は、えりもとがみえないように顔だけ出していれば良いのである。
おしゃれというのは、人に見せるものである、ということが前提ではあるのだが、それだけだろうか。自分が着たいものを着て、なりたい自分になって、おうちのなかで自分の服装を愛でる、ようなことから始まるところもあるのではないかと思う。今でこそ、コスプレは世界的に有名になり、イベントも多くて、人に見せるためのコスプレをみなさん競ってなさっているのだとは思うが、これももともと、おうちで、「自分のなりたい自分」になってみて、「自分のやりたい格好」をできる限り、凝って作ったり、買い集めてみたりしていたところから始まったのではないのだろうか。すごく凝ってやっているうちに、同じようなことをやっている人に見せたいと思うようになり、お互い見せて見ると、みんなで集まったらもっと楽しいんじゃないかと思うようになり、そのようようにしてイベントが始まったり、世界中の人に広まったりしたんじゃないかと思うのである。
きものも、まず、自分が着たいきもの、もう、派手な訪問着でも振袖でもアニメのコスプレの羽織でも、なんでもよろしい。もちろん、いつかは着たいとおもっている、素敵なつむぎのきものなら、なおさらのこと。おうちで着て、仕事を始めてみてはどうでしょう。きものを着ている、という自分が快適になり、気分も良くなり、おお、わたしってきもので仕事をしてるじゃないの、と思えるようになったら、それは外に着て出なくても、すごく楽しいことなのではないだろうか。そして、そこからしか、新しいおしゃれって、始まらないのではないだろうか。
大学の教師をしているので、春から一斉にオンライン授業を始めた。世界中の大学教師が、1ヶ月ほどの準備期間で、こういうことが得意な人も苦手な人も一斉に始めざるを得ない状況に置かれて、青息吐息でありながらもみんな対応してきたのだ。会ってないけど、世界中の同僚の皆様と、きいてくれている学生の皆様にすごい連帯感が湧いてくる。Zoom の画面ではよくみえないきものだけれど、桜のバーチャル背景にピンクのきものとか、藤のバーチャル背景に藤の染め帯とか、紫陽花のバーチャル背景に水色の霰模様の江戸小紋とか、おうちできもの、を楽しんでいるのである。
次回、2020年7月8日(水)更新予定