きものと仕事 三砂ちづる

2020.7.13

05心を映す色無地

 

 迷ったら色無地、だろう。出て行く場所がどこであっても、寒色系の色無地さえ着ていれば、おそらく大丈夫で、失礼にならない。寒色系の色無地とは、具体的にいうと、紫とかグレーとか紺色とか濃い緑などの色無地である。仕事をする女性が、黒や紺などのスーツを着ていれば、まず問題はなかろう、という程度において、寒色系の色無地は、失礼にならないきものである。とにかく、こういった色の一ツ紋の色無地を着て、適切な帯を締めていば、どこにでも行ける。
 色無地とは、文字通り、無地のきもの、柄が何にもない、単色のきもので、「やわらかい」染めのきものである。きものには、「やわらかい」きものと「かたい」きものがあって、やわらかいきものは、絹の生糸でおられた白い生地に、色をあとからつけて染めていく。やわらかいきものは、だから、「染めのきもの」とも呼ばれる。いわゆる、正式な場所、つまりは、冠婚葬祭とか、入学式、卒業式、何かの授与式、とか、なんとか式、と呼ばれるような場とか、お茶席とか、格式が求められているところには、やわらかいきものを着ていくことになっている。逆に、糸を染めてから、織り上げるきものが、「かたい」きもので、絹や、木綿や麻やウールなど、素材はいろいろある。きもの好きを魅了してやまない紬のきものも、「かたい」きものの仲間である。かたいきものは、文字通り、ちょっとごついかんじで、マットな触感で、あたたかみがある。「織りのきもの」ともよばれる。「かたい」きものは、扱いとしては、普段着である。普段着といっても、「式」に着るきものより安価かと言われるととんでもなくて、結城紬や大島紬、さまざまな草木染めの着物など、びっくりするような値段がついていることも、まま、あるが、こういったきものは、あくまで普段着で、「式」のつくようなところには着ていくことはできない。
 この連載のタイトルは「きものと仕事」、おおよその「かたい」きものは、文字通り仕事にはむくので、ふだんはそういうきものをきて着ていればよいのだが、仕事の場でも、ややフォーマルとか、何らかの式とか、あるいは特別なお客様とか、何を来たら良いのか、ちょっと迷うこともあると思う。そういうとき、何らかの意味で、「今日は何を着たら良いのかわからない」と思う時、ふさわしいのが色無地なのだと思う。きものを着る人が少なくなっている今、きものを着ていること自体で、ものすごく目立つのは確かだが、きものを着ているとはいえ、あまり目立ちたくない時もあるだろうから、そういうときにも、色無地は、適している。「かたい」きものである普段着は、ふさわしくない、とはいえ、花柄のやわらかい小紋のきものもちがう、というとき、とにかく色無地、寒色系の色無地に献上柄の博多帯を締めれば、おおよその仕事の場では、まず問題がない。気持ちに合わせて帯揚げや帯締めを明るいものを使ったり暗めの色のものを使ったりすると、洋服でいえばダークスーツに白いブラウス、少ししゃれたスカーフ、に近い、あまりめだたなくておとなしい装いに仕上がって、不安がない。

 2003年にきものを着始めた時、きものメンターたる友人にまず仕立てることをすすめられたのも、一ツ紋のついた濃い紫の色無地であった。きものを日常着にしようと思い立って、自分のお金で仕立たきもの第一号が濃い紫の袷の色無地、もう15年以上着ているわけだが、まだ大活躍している。40代半ばで日常的にきものを着始めた当初、教師という職業柄からしても、訪問着や色留袖など、いわゆるはなやかなきものは、自分が目指すところではないと思っていたので、買う気もなかったから(その後、そういうものも必ず欲しくなってくるのが、きものの道のおそろしいところなのではあるが)、結婚式にも、この紫の色無地一ツ紋に重ね襟をつけ、金銀の入った袋帯をして、出かけていた。不祝儀には、喪の帯を締めて出かけ、日常的な仕事にも、すでに書いたように、博多帯を締めたり、塩瀬の染め帯を締めたりして、出かける。この紫の色無地は、合わせられない帯はない、というくらい万能なのであった。その後、うすいグレーや、緑などの色無地も持つことになるが、この濃い紫一ツ紋のきもの以上に活躍することはなかったと思う。
 教師なので、いろいろな場に居合わせる必要がある。勤め先の学校で、在学中に亡くなった学生さんの親御さんに卒業証書をわたす、という場に居合わせたことがある。不慮のできごとで亡くなられ、本当に悲しく、さびしいことだったが、卒業に十分な学びは重ねておられた。その日々をしのび、関係者のみで、ささやかな卒業証書授与のあつまりをすることになったのだ。親御さんにはなんどかお目にかかっており、この日も心からのお悔やみの気持ちはあらわしたいのだが、同時に、そこまでがんばって学び、卒業にいたるまでの努力を積み重ねた学生さんの充実した日々に敬意をあらわしたい思いもある。若くして亡くなることは、本当に悲しく、とりわけ親御さんのお気持ちを思うと、ただ、つらい。しかし、どのような生も、多くの人に喜びをもたらし、豊かな関係性のうちに存在していたものなのだから、その日々は、ことほぎの思いとともに語られるにふさわしい。お悔やみと、そして卒業までのがんばりへの敬意をあらわしたいときに、着ていけるきものについて、考えた。
 迷うときはやはり、この一ツ紋の紫の色無地で、このきものに私のお悔やみと敬意をこめたい、と思ったが、どんな帯をつけたらよいのだろう。お悔やみの喪の帯は、違う。半喪の帯とも違う。博多や塩瀬では軽すぎる。袋帯をつけると、派手すぎて、それもまた、お悔やみの気持ちがあらわせないような気がする。わたしのきものメンターである日舞の師匠で着付けの教授である友人に相談すると、「派手さのない白っぽい銀色の袋帯」がよいだろう、という。想像してみても、そのような帯があれば、そこには私の気持ちをうまくのせられるような気がする。自分では持っていなかったが、日舞を仕事とする若い友人が「わたしのお気に入りの銀の袋帯がお役に立てると思います」と言って、貸してくれることになった。袋帯ではあるが、厚みもあまりなく、とてもやわらかく、しなやかで、全体が薄い銀色である。地模様もおちついていて、華やかさはあるのに、少しも派手さはない。こういう帯があるのだ。
 その日は、紫の色無地に、この柔らかい銀色の袋帯を締め、白い帯揚げに白い帯締めで参加した。卒業後の日々を重ねることはできなかったけれど、あなたがこの学び舎に来てくださってよかった。ここで学んだ日々と、紡いだ人間関係は、あなたがいなくなっても、決して消えることなく、この学校の織りなす日々に組み込まれ、記憶され、ここに続く若い人たちにかならずやよき影響を与え続ける……そういう思いを、紫の色無地と銀の帯にうつしとってもらったようで、わたしは、その場にいることがゆるされている気持ちになることができた。

 お祝いの場、お悔やみの場、どちらでもありうる場、普段の仕事、ちょっとしたおでかけ、色無地にはどのような思いものせることができる。心を映す色無地、なのである。


次回、2020年8月10日(月)更新予定