きものと仕事 三砂ちづる

2020.8.10

06きものとバーチャル背景と

 

 先の連載で、自宅で仕事をする時こそ、きものを着て仕事をしてみるチャンスである、と書いた。服装とは、その場その場の相手に対する礼儀であり、たしなみであり、社交の道具であり、身をまもるもの、でもあるわけだが、何より自らが着たいものを着て、その服装をつけている自分が気に入っている、という状態が何よりなのだから。家にいて仕事をする今こそ、着たい人がきものを着る絶好の機会、と書いたのである。

 私は、女子大で教師をしている。新型コロナ・パンデミックの中、20204月以降の授業は全てオンラインで行う、ということになった。大学の教員になる以前にも、いろいろな仕事の経験をしてきたし、大学の教員になってからもすでに15年以上経っているし、講義の仕方も、ゼミの運営も、学生の指導も、学務も、自分自身の研究についても、もう、だいたい、スタイルは出来上がっていた。そりゃそうである。もう、60歳を過ぎているのだから。大学教員だからこそ、まだまだ現役で働かせてもらっているわけだが、世間的にはすでに定年、という年齢なので、もう、今更、現在やっている仕事でドラスティックにやり方が変わる、などということは全く想像していなかった。書く仕事については、常に新しいことが立ち上がってくるものの、この「大学教師」という仕事に関しては、もう、仕事の掌握感、というものはかなりかっちり出来上がっていて、もう、だいたい想定通りに仕事がしていけそう、と思っていたのだ。そう、「全部オンラインに移行」ということになるまでは。
 感染状況の諸事情で、今までやってきた対面の教育ができなくなったからといって、大学をお休みにするわけにはいかない。休業要請も出て、大学は立ち入り禁止となったからといって、授業をやらないわけにはいかない。やらないと、現在在籍している学生さんたちが4年間で卒業できなくなってしまう。というわけで、日本に限らず、世界中の大学はオンライン授業に移行した。ネット環境とIT技術が、はい、それでは世界中で大学はオンラインに移行しましょう、と言えるほどに、発展していたからこそ、できるのである。これが10年前だったら難しかっただろうと思うし、20年前なら、不可能だったと思う。今だからこそ、できるのだ。「はい、オッケー、みんなオンラインに移行!」ということが。今まで教室でやっていた講義を、オンラインで行う、しかも準備期間は1ヶ月弱、で、ということが。
 オンライン講義にはいろいろなやり方があるとはいえ、もっとも多く使われたのは、zoomを使ったライブ授業であった。私の勤め先は情報科学系の学科があり、そこの先生方が率先して、さまざまな体制を整えてくださったので、ずいぶん助かった。大学はzoomと契約し、新しいメールアドレスを教員に配り、それぞれの講義ごとにzoom会議のアドレスを割り当てる。教員は、授業時間になれば、そのアドレスをクリックして、バーチャル教室に入る。学生たちは自分たちの取る授業のアドレスを時間割表をみながら確認して、そのアドレスをクリックすると、教師が待っている、ということになるのだ。アドレスさえ知っていれば、別の講義に入ることができてしまうのは、大学の教室というものが、基本的にはオープンであって、自分が履修していない授業でも教室に入れてしまう、というのと同じである。そしてパソコンを通じて、こちらは講義をし、学生たちはそれを聞く。この全く新しいやり方を、この歳にして、全て一からやらなければならなくなったのである。
 なんといっても、初めてのこと、もう、どうなってしまうのか、と始まる前はかなり緊張していた。とにかくお互い何が起こるかわからない。学生には、あらかじめ資料を渡しテキストも指定し、レポートの課題も出しておき、もしも見られなくても資料を見ればわかるように、いつもより詳細な資料を準備し、さらに、「何が起こっても動揺しないでください、授業を聞けなくても資料を見れば大丈夫。こういう状況だから、とにかくレポートを出すことを重視するから」などといろいろ説明していた。
 当初iPadを使って無線LANによるWi-Fiでつないでいたが、どうも安定しない。音声もいまひとつのようである。有線でLANケーブルでつないだ方が安定すると聞き、もう使わなくなっていたLANケーブルを引っ張り出し、やっぱりタブレットよりデスクトップのコンピューターの方ができることも多いことがわかったので、使用機器をiPadからデスクトップに移行し、内蔵マイクでは心もとないので、同僚から勧められた2万円近くする大きなマイクを奮発し……と、授業のスタイルが決まっていくまで数週間かかった。オンライン授業を始めて3ヶ月経つ今、経験値が積み重なり、結構自信を持てるようになってきたが、いやあ、「場の掌握感」なしでの講義になれるのは、大変であった。

 大学では一貫してきものを着て講義してきたのだが、オンラインに移行してから、いっそうはりきってきものを着ることにした。学生に見せたい、というより、きものを着てオンライン授業をする自分でありたい、と思ったからだ。どのような自分でありたいか、というと、「毎回、その時期に合わせた異なるきものを着て、そのきものに合うバーチャル背景を選んで、それを楽しめるような自分」でありたい。客観的状況は感染症のパンデミックの中、何もかもが制限を受けている。オンライン授業に移行して、よりいっそう楽しいことなど、まず、ない。対面の方が楽しいに決まっているのである。それなら、せめて、毎回登場するきものを変えて、バーチャル背景を選んで、楽しんでいたかった。
 春に始まったから、桜のバーチャル背景に、ピンク色のきもの、から始めた。ピンク色のきものは、志村ふくみさんの学校に通って草木染を習った元教え子が、私のために桜や梅の枝を使って染めた糸で織り上げてくれたきもの。誰かが自分のために織ってくれたきものは着るだけで元気になる。思えば、数世代前までは、家族はみんな、そのような「自分のために織られたきもの」を着ていたはずであったのだ、と思い出したりした。続いて、青々とした竹のバーチャル背景に紺の琉球絣のきもの。沖縄も行けなくなってしまったなあ、と思いながら、ほら、今日のきものは琉球絣です、帯は、八重山で織られているミンサーの帯です、とわざわざ学生に帯まで見せた。完全な自己満足。『週刊少年ジャンプ』で大人気の中、連載が終了したマンガ、「鬼滅の刃」の公式ホームページでオンライン会議にも使える壁紙が提供されていたから、着物にぴったりのバーチャル背景として、使わせてもらった。藤の季節だったから、藤襲山のバーチャル背景に、紫と白のきものに藤の花柄の帯。その次の週は、引き続き「鬼滅の刃」の鬼殺隊本部のバーチャル背景に、登場人物珠世さんの真似をして椿の柄の小紋。季節が進んで、紫陽花のバーチャル背景に、水色の霰模様の江戸小紋、あたりで、前期の授業が終了した。もう、全く自己満足の連続。冒頭に書いた「その服装をつけている自分が気に入っている」以外のなにものでもない。全ての授業が終わった後のコメントシートに「先生のきものとバーチャル背景が毎週楽しみでした」と書いてくださった学生さんが一人いらして、自己満足は少し救われた。
 やっぱり、きものに支えられ、きものに助けられた、初めてのバーチャル授業、だったのである。


次回、2020年9月8日(火)更新予定