「猫の手も借りたい」というのは、とても忙しいときには、非力でも良いから加勢してほしい、という意味だと思っていた。ああ、猫の手でも借りたいわね、ほんとうに、仕事が終わらなくて……みたいな意味で使うのだと思っていた。猫を飼い始める前は。
猫を飼い始めて、「猫の手」というのは、「非力である」ということではなくて、「邪魔しかしない」ということであることがよくわかった。猫は気ままだからこちらが呼んでも来ない。しかし、自分が来たい時にはどこでも来る。だいたいパソコンでこうやってキーボードをたたいていると、どこからともなくあらわれて、「猫の手で」キーボードをおさえる。ほおっておくとキーボードの上に座り、スクリーンに頭をもたせかける。仕事ができなくなる。こんなことは猫と共に暮らしてきた人にはごく当たり前の日常なのだろう。しかし、幼い頃に猫アレルギーがあって、おそらく自分は猫が買えないだろうと思っていたけれど、新型コロナ・パンデミックによるステイホーム月間とともに、我が家に犬と猫がくることになって、きてみたら、アレルギーなどでなくなっていることがわかり、「猫の手」について観察する機会も得たわたしには、知らないことだらけだったのである。
猫がものすごくはりきるのは、きものを出している時である。きものを着ようと、下着やらひもやら帯枕やら帯締めやらいろいろ用意しているとその気配を察して、猫が、たたた、と、走ってくる。たらりとたれさがったものとか、ふわりと動く布とか、端的に、ひも、とか、そういうものが猫は大好きなのであって、きものを着る作業は猫にとってパラダイスであることがうかがわれる。すそよけをつけようとすると、すそよけについているひもに、はしっ、と手を出す。長襦袢につけている美容衿のさきが引けない、とおもうと、端っこに猫がぶら下がっている。長着を羽織ると、猫がとびつく。帯にツメ、たてないで! 帯締めを手に取ると、もちろん、また、はしっ、と猫の両手が帯締めをつかむ。猫の手、いりません。「猫の手も借りたい」というのは、「非力なものでも、力を借りたい」ではなく、正しくは、「邪魔しかしないようなものであっても、力を借りたい」ということなのであった。おそらく。
きものを着る時だけではなくて、もちろん、片付けるときにも猫はやってきて、「猫の手」で、あのひも、このひもをおさえ、たとう紙のひもにとびつき、たんすのひきだしにとびこもうとするのである。邪魔だってば……。ことほどさように、猫はひもが好きであり、きものライフにはひもが多い。
洋服を着る時と、きものを着る時のもっともおおきなちがいのひとつが、この猫の喜ぶ「ひも」系のものの多用である。立体的に裁断、縫製してあり、ボタンやファスナーで、からだにぴったりするようにつくられている洋服には、からだをその洋服にあわせて、「入れていく」のであるが、きものは直線の布地のままで、立体的にはなっていないから、自分のその日のからだにあわせて、ひもでまきつけていく。きものを敬遠する一つの理由が、ひもの多さかもしれない。猫は喜ぶが、人間は、ひもが多いのは嫌いで、着付けをしてもらった時に、何本もひもが巻かれるので苦しい、と思った人も多いのではあるまいか。
仕事の際にはいつもきものを着ているので、とにかく、ラクにきること、着ていて快適であることが第一である。いきおい、使うひもは少なくなる。少ないほど、よかろう、と思う。きものを日常的に着るようになって15年、「腰ひも1本だけ」の着付けで、落ち着いている。腰ひもをかけたあと、着付けにもう1本、ひもをつかうが、そのひもは帯を締めて、着付けができあがった後は抜いてしまう。伊達締めやコーリンベルトなどは使わず、着付けが出来上がった時点では、ほんとうに「腰ひも1本だけ」使っている状態である。
「腰ひも1本だけ」の着付けは、着物研究家、笹島寿美さんの本で学んだ。この方法を知らずにいたら、きものを日常着として着ることにはならなかったのではないか、というくらい画期的なものだった。くわしくは、笹島さんの着付けの本を参照していただきたいが、きものは摩擦の大きな“布”を重ねていくのだから、きちんと重ねて空気を抜きながら着付ければ、着崩れることがない、という発想に基づいている。
まず、きものを着て、腰ひもはしっかりしめる。ここはどうしても必要で、腰骨の上か、人によってはもう少し上で、きゅっとしめる。この締め方の塩梅(あんばい)、つまりはどのくらい締めればゆるまずに着ていられるか、苦しくないか、というのは、なんども自分でしめて感覚を覚えていくしかないのだが、これは慣れればそんなに難しくなくて、自分のその日のからだときものの材質で、ぴたっときまる締め具合がかならずわかるようになるので、大丈夫。
そのあと、胸元をきものの布の流れに合わせて空気をぬきながら、胸ひもをかける。これから帯を締めるので、帯を締めている間にきものの胸元がずれないように、「仮どめ」をするための胸ひもである。帯を締めた後に、その胸ひもを抜くことができるように、ひもの端は、おはしょりの上あたりで軽く結んでおく。そうして、「仮どめ」をしてある状態で帯を締めていく。帯も、布の流れに合わせて空気を抜きながら、締めていく。帯が締め上がったら、さきほどの「仮どめ」をしていた胸ひもは、おはしょりのあたりから、抜いてしまうのである。そうすると、胸元があまりきっちりした感じにならず、ふわっとやわらかい感じで仕上がり、着崩れたりはしないけれど、こなれた感じの着方になる。それに、だいたい、胸元に締めているひもがないから、着ていて本当にラク、なのである。
きものになじみのない方は私の書いていることがなんのことやらさっぱりわからないと思うのだが、とにかく、ぎゅうぎゅうひもをたくさん締めることなく、きものを着ることができますよ、ということで、そういうゆったりした着方のほうが、自分もラクだし、他の人から見ても、ゆったりした着方にみえて、なかなかよろしいですよ、ということである。きものになじみがあり、ここに書いていることはだいたいわかるけれど、詳細が不安だ、とおっしゃる方は、ぜひ、笹島寿美さんの着付けの本を見ていただきたい。いろいろ参考になる写真付きの本をたくさん出版なさっているので頼もしい。
きものは腰ひも1本で着て、その上に、帯を締めている。帯を締めれば、その摩擦できものはさほどずれたりしないから、胸元のひもも、伊達締めも、普段着を来ている分には必要がないということになる。名古屋帯でお太鼓にするときには、実際に胸元には胸ひもがなくても、帯枕やら、帯揚げやら、で、胸元を安定させるような「ひも類」を結果としてつかうことになるし、最終的には、帯締めを締めていれば、帯は、そこでとまるし、ずれない。それらひとつずつを、余分な空気をぬきながら、着付けていく。慣れれば、それは、楽しみでもある。いくら、「ひも」をなるべく少なくしても、結局、ひらひらした帯揚げとか、房がふわふわの帯締めなど、猫にとって魅力のあるものにはことかかないきものの着付けであるから、きょうも、猫が「手を貸しましょうか」と寄ってくるのである。
次回、2020年11月27日(金)更新予定