僕はその日まで「落語家」だった。
--ふとんに仰向けに寝転び、スマホを握っている。同じ姿勢のまま、もう三日が過ぎていた。時々、起き上がって食事をしたりトイレに行ったりするほかは、ずっと和室の畳に敷かれたふとんの上にいた。
カーテンを閉めきった暗い部屋の中で、ただ天井を眺めていた。これだけ眺めていたら、そのうち木目模様が何かの形に見えてきたりするのかと思ったけれど、あいにくそんなことはなかった。
スマホの画面にはTwitterの自らのアカウントが映っている。プロの落語家になってから始めた、芸名でのアカウントだ。告知をしたり、たまに思いついたどうでもいい思索をつぶやいたりしていた。
新たに綴る言葉をこの三日間ずっと探している。書いては消し、消しては書き、しかし「送信」を押すことが出来ずにいた。
一行目だけが、三日前から決まっている。
『僕は落語家をやめました』
時は12年前に遡る。
東京の大学に入ってすぐ、落語研究会に入部した。
もともとコントや漫才は好きだった。高校生活がつまらなくて、日常で笑う時間が少なかった僕は、
「いつでも笑えるように」
という理由で、テレビのネタ番組を録画し、それを繰り返し見ていた。誰もが寝静まった深夜、自分の部屋で芸人さんのネタを見ているその時間だけ、僕は笑うことが出来た。
ビデオテープが擦り切れるほど何度も見ているうちに、自然と台詞を覚えた。特に好きなネタは、頭の中ですべてのやり取りを再現できるほどにまでなった。
いつからか想像の中では、そのネタを演じているのはテレビの芸人さんではなく「自分」になっていた。登下校中も、身の入らない授業中も、僕の頭の中では、自分が舞台に立ち観客を笑わせる、そんな映像がずっと流れていた。
これをやりたいと思った。
そんな時、当時好きだった芸人さんが「落語は素晴らしい」と、ラジオやエッセイでよく言ったり書いたりしているのを見聞きした。本当かなと思った。
落語なんて古臭い芸だと思っていた。よく知らないからこそ描いていた勝手なイメージだ。お爺さんが着物を着てダジャレを言う、その程度のものだと僕は思っていた。
大学の授業がひと通り落ち着き、桜も葉桜となった頃、僕は落語研究会の部室を訪ねた。落語がどれほどのものか見極めてやろうと思ったのだ。落語なんてすぐに出来るようになるだろうから、それを最初のステップにして、ゆくゆくはコントや漫才をやる人になろう。
始めはそう思っていた。落語に興味があったわけではない。「勉強のため」という意識が強かった。
はじめて訪れた部室で、僕はトザワさんという先輩と出会う。
「あの、落語研究会に入りたいんですけど」
意気揚々と、迷うことなく辿り着いたその部屋のドアを開けると、トザワさんは窓際に置かれた椅子に座ってタバコを吸っていた。一人だった。
「ん、ああそう。今日は活動日じゃないんだけど」
チラリとこちらを見て、トザワさんは言った。ずいぶん強面の人だなと思った。活動日じゃないのは知っていたのだが、まぁきっと誰かいるだろうと軽い気持ちで部室を覗いた僕は、その選択を後悔した。落語ってこんな怖い感じの人がやる芸なのだろうか。
「あ、すいません」
思わず謝ると、「いや、まぁいいんだけどさ」と言いながら、トザワさんは壁の棚に視線をやる。そこには落語のCDやカセットテープがズラリと並んでいた。『落語の言語学』『落語のレトリック』といったタイトルの本もある。
「なんか、凄いですね」
トザワさんは「うーん」と何かを考え込んでいる。僕の適当な感想は流された。一体なんなんだろうと、その時は思った。「はじめまして」も「よく来たね」もない。新入生を歓迎する気がないのだろうか。
次のひと言に困ってなんとなく目をやった反対側の壁には、おそらく落語家のものであろうサイン色紙がいくつも貼られていた。なんとか亭だとか、なんとか屋だとか。染みのついた、年季の入ったものもいくつかあった。
そして部屋の真ん中にある机の上は、散らかってずいぶん汚かった。
「まぁいいや。じゃあ、そうだな」
頭を掻きながらようやく立ち上がると、トザワさんはその散らかった机の上にあるプリントの束から一枚抜き取り、
「これ」
と、いきなり僕に渡してきた。
「あ、なんでしょうか」
「いや、ここにあるCDを貸そうかと思ったんだけど、おれ部長とかじゃないからさ。四年なんで。あ、おれトザワです」
「はい」とひとまず僕はその紙を受け取る。横書きで、カギかっこ付きの台詞がたくさん並んでいる。左上には『酒かす』と書かれていた。
それが僕が人生ではじめて出会った「落語」だった。
「読んで、覚えて来て」
それだけ言うと、トザワさんはまたもとの椅子に座り、タバコの続きを吸い始めた。
僕は戸惑った。これで帰されるのだろうか。仕方なくその場で立ったままプリントを黙読し、「また来ます」と伝えるために顔を上げると、トザワさんはもう窓の外を見ていた。
よく見ると、窓には破れかかった「禁煙」の紙が貼られていた。
『酒かす』は小噺というやつらしい。今度はきちんと活動日に顔を出した時、部長に教わった。普通に演じれば1分ほどでオチまで辿り着く、ごく短い落語ということだ。
新入部員はみんな、これを覚えて発表するのが通例になっているそうだ。
僕は少し遅れて入部したから、他の一年生が既に演じ終えていると聞いて、やや焦っていた。みんなどのくらい落語が出来るのだろうか。
結果からいうと、僕は『酒かす』を全然覚えられなかった。
落語は一人で座布団の上に正座し、複数の人物を演じ分けて物語を語る芸だ。そんなことも入部してからはじめて知った。ダジャレを言っておしまい、ではなかった。
高校時代、ただ空想の中で芸人をやっていただけの僕は、そもそも人前で何かを発表したことがなかった。だから「台詞を覚える」という作業そのものに緊張してしまい、言葉が全く頭に入らなかったのだ。
毎晩、自分の部屋の勉強机で、トザワさんから渡されたプリントを繰り返し声に出して読んだ。
「そこを行くのは与太郎じゃないか」
「ああ、隠居さんか」
「どうしたんだ、ずいぶん赤い顔をして」
右を向き、左を向き、人物を切り替えてみる。それが落語の技法だ。それだけ部長から教わった。しかしこれがとても難しい。そんな一瞬で、年齢や性格を違う役柄に変えるとは一体どういうことなのだ。一つの台詞を終えて、次の台詞を発するまでに時間がかかってしまい、会話がスムーズにいかない。
一ヶ月かけてもそうだった。ずっとコツが掴めない。
僕は落語への認識を改める。
それまで馬鹿にしていた落語というジャンルは、大学のサークル発表に到達することすら厳しいような、難しい話芸だった。
「どのくらい読んだら覚えられるんですか」
部室でトザワさんに聞いた。トザワさんの席はいつも窓際だった。
「さぁ。おれやったことないから」
ないのかよ、と思った。トザワさんは落語を観たり聴いたりするだけで、自分では一切やって来なかったそうだ。知識量が半端じゃなく、古今東西いろんな落語の歴史を教えてくれるこの四年生の先輩は、演じることに関してはなんのアドバイスもくれなかった。おまけに活動らしい活動もしていなかったが、部長も副部長も、トザワさんのことだけは放任しているように見えた。
「どのくらい稽古したの?」
煙を吐き出しながら、トザワさんは聞いてくる。
「100回くらい声に出して読んだんですけど、覚えられなくて」
一ヶ月間、自室で毎晩やっていた稽古を思い出しながら僕が言うと、トザワさんは笑った。
「馬鹿じゃないの?」
怒られた、と思った。その程度で根をあげるな、ということだろうか。
「やっぱり足りないですか?」
恐る恐る尋ねた僕に、大袈裟に手を振ってトザワさんは言った。
「やり過ぎだよ」
「え?」
聞いてみると、ほかの新入部員はそんなには稽古していないらしい。
「なんでみんなそれで覚えられるんですか?」
「覚えてないよ。紙を見ながら演ったりしてるよ」
なんだ、それで良かったのか。覚えろって言ったじゃないか。
だが僕は結局、200回近く稽古した。せっかくだから、きちんと覚えてから発表したいと思ったのだ。
落語研究会では、学生会館にある和室を借りて活動場所としている。ある夏の活動日、一人遅れて入部した新入生である僕のためにみんなが集まり、はじめての『酒かす』披露となった。
最初だからまだ着物は着なくていい、ということになり、僕は普段着のまま和室に入った。押し入れの中にあった座布団をすべて出し、十数人いる部員はそれぞれ畳の上にそれを敷いて座った。そして演者である僕は、押し入れの上の段に座布団を一枚だけ敷き、そこに正座をする。落語家が座って演じる舞台のことを「高座」と言うそうだが、それは押し入れの中に作った即席の「高座」だった。
「そこを行くのは与太郎じゃないか」
「ああ、隠居さんか」
みんなの準備が整ってから、僕は喋り出した。酒かすを食べて顔を赤くしてしまった与太郎が、酒を飲んだフリをしてみんなを騙そうとするのだが、間抜けな受け応えをしてそれがすぐにバレてしまう。『酒かす』はそんな噺だ。
緊張もしたが、誰もそんなにやっていないという稽古の成果もあって、僕は紙を見ずに最後まで演じ終えることが出来た。
「よく覚えたね」
と、先輩たちに褒められた。ろくに覚えずに演ったいう同級生たちも、「凄い凄い」と感心してくれた。
僕は達成感を覚えていた。
しかし、なぜかトザワさんだけは何も言ってくれなかった。
(第1回・了)
本連載は隔週更新でお届けします。
次回:2020年3月13日(金)掲載予定