着物を脱いだ渡り鳥 ― 落語家をやめて、落語のことを考えた。 ナツノカモ

2020.3.13

02君の落語は、画が浮かぶんだよ

 

『火焔太鼓』という噺にチャレンジしたのは、入部から半年後のことだった。

 『酒かす』を覚えて発表し、落語を演じる歓びを感じた僕は、次々と色んな噺を覚えた。長い台詞を一気にまくしたてる噺『金明竹』、お爺さんがブツブツと小言を言う噺『小言念仏』、オウム返しと呼ばれる手法を使った失敗噺『子ほめ』、死んだ奥さんが幽霊となって現れる噺『三年目』、病気になった友達のため夏にみかんを探す噺『千両みかん』など。すべてサークル部員に向けて演じて見せるだけの、自己満足なものだったと思うが、何かを覚えて人前で発表する時間というのは楽しかった。

 そして、いよいよ自分のことを知らないお客さんに向けて落語を演じる機会がやって来た。学園祭だ。僕はそこで演じる噺に『火焔太鼓』という25分もあるものを選んだ。プロの落語家でも、その日のトリを飾るために演じるような長い噺だ。
 「大丈夫?」とトザワさんに聞かれたが、「覚えるだけなんで」と僕は返した。これまで半年間、数多くの落語を聴いて来たが、その中でいちばん好きな噺だったから、やってみたかった。
 落語にはテキストがある。昔から残っている「噺」がある。そこに創意工夫を施す必要はなくて、丸暗記するだけでいい。なんの個性もなく、お話を創る能力もない僕は、「覚えるだけ」にすがるしかなかった。

 その頃には、もうコントや漫才のことは忘れていた。新たに出会った落語という芸の虜になっていた。これをもっとやってみたい。落語のことをもっと知りたい。
 部室にあった、「昭和の名人」と呼ばれた落語家の『火炎太鼓』のビデオを借り、自分の部屋で一時停止を繰り返しながら何度も見て、噺をそのまま記憶した。台詞も、間も、音量も、口調も、動きも、完コピした。それが僕の稽古方法だった。高校時代、好きな芸人さんのネタの台詞をすべて覚えた、あれと同じだ。

 亭主が慌てて家に帰って来て、女房に話しかけるシーンがある。

 「はぁ、はぁ、まぁ、落ち着け!」
 「お前さんが落ち着くんだよ!」
 というくだりが、とても面白いと思った。何度もビデオで確認しているうちに、「はぁ、はぁ」と「まぁ」の間にわずかな「溜め」があることに気づいた。映像の中の名人はそこで唾を飲む動きをしている。この「溜め」が笑いにつながるに違いない。コピーした。

 人物の切り替えが初心者にとって最も難しいところだった。しかし名人を見ていると、首を左右に振ってはいるが「感情を切り替えているわけではない」ように見えた。

 「お前さんって人はどうしてそう商売が下手なんだろうね」
 「なにが」
 「なにがじゃないよ」
 というくだりで、いちいち台詞に感情移入をしていない。
 「お前さんって人はどうしてそう商売が下手なんだろうね。なにがなにがじゃないよ」
 と、ひと続きに覚えてみると、案外しっかり落語に見えることに気づいた。首は振りながらも、感情は動かさない。コピーした。

 最後の台詞、つまりオチの言い方が独特だった。その瞬間、人物から演者本人に戻り、お客さんに語りかけるようになる。

 「半鐘はいけないよ。おジャンになるから」
 というのが『火焔太鼓』のオチだったが、「半鐘はいけないよ。おジャン」あたりまでは人物の台詞で、「になるから」で前を向き、お辞儀の初動に入りながら、客席に「噺はここで終わりです」を伝える。コピーした。

 学園祭前日、サークル内で予行演習があった。覚えた『火炎太鼓』を先輩や同級生に向けて発表するのだ。毎晩、自分の部屋で呪文のように台詞を唱え続けてきた、その成果を見せる時だ。僕が尋常じゃない熱心さで取り組んでいることを知っていたから、みんな固唾を飲んで見守っていた。
 結果、一つも間違えることなくパーフェクトに演じ切った。先輩たちからの講評の時間、「すごい」「すごい」と口々に褒められた。「こんなに完璧に覚えてくる奴は今までいなかった」

 僕は『酒かす』の頃とは比べものにならないほどの達成感を覚えていた。心が高揚し、みんなの褒め言葉を聞いて、満たされた気持ちになった。
 しかし、みんなの意見を黙って聞いていたトザワさんが、最後に言った。
 「すごいけど、面白くはない」
 そう言えば、だれも笑ってはいなかった。

 



 二年生になっても、僕は落語ばかりしていた。
 「あいつはおかしい」「どうかしてる」とみんなに言われた。何しろ授業もろくに出ないで、毎日部室で落語の稽古ばかりしているのだ。先輩も含め、そんな部員は誰もいなかった。
 だんだんウケる演技が出来るようになって来た。息づかいや表情や声色を、面白い人からコピーした。落語家に限らず、俳優さんでも芸人さんでも、面白いと言われる人の表現をとにかく研究し、盗んで、真似た。すると、僕の落語でみんなが笑うようになった。

 最初は部員が気を遣って笑ってくれているのかな、と思った。しかし、高校時代に心から笑うことの少なかった僕は、自分自身が気遣いの笑いや愛想笑いをよくしていたから、そこには敏感だった。他人のそれが「なんの笑いか」も分かるつもりだった。

 みんな思わず笑ってしまっている。僕にはそう見えた。

 そうなって来ると欲が出てくるものだ。誰かのモノマネでなく、既存のテキスト通りに演じるのでなく、自分の個性を出してウケてみたい。

 そこで自分で考えたギャグを噺の中に入れるようになった。アレンジと言うのか、マイナーチェンジと言うのか、プロの落語家もよくしていることだ。その頃、僕は週に一度は寄席に通うようになっていたから、よく分かっていた。それを「くすぐり」と言ったりする。

 描かれている時代の世界観を壊さないようなギャグが自分の好みだった。江戸や明治を背景にした物語で、いきなり現代の用語や時事ネタが入ってくるギャグも面白いものだが、自分なりに噺を語る時はそういうことはしたくなかった。お話の中の人物たちがその世界を出てしまわないような、違和感のない「くすぐり」を考えた。

 この頃から、トザワさんも笑ってくれるようになった。はじめてギャグを入れた時は少し緊張もしたが、笑ってもらい、「この噺にそんなくだりあったっけ?」と言われると嬉しかった。「僕が考えたんです」と返す時、少しだけ胸を張れた。

 トザワさんは留年して五年生になっていた。

 ある日、OBで漫才師をしているという先輩がサークルに遊びに来た。
 ちょうどその日は部内での実演発表の日で、僕も覚えて来た落語を部員に向けて披露した。
 部で借りた学生会館の和室で、その人は静かに隅の方に座り、僕の落語を最後まで観て行った。背が高く、紫のサングラスをかけ、紫の服を着た、不思議な風貌だった。

 演じ終わり、控え室で着物を脱いでいると、トザワさんがやって来て「君、あの人に呼ばれてるよ」と言った。
 最初は怒られるのかなと思った。落語は客席に初体験の人がいる可能性が高い。つまり、自分の演技が誰かにとっての「人生はじめての落語」になる可能性がある、ということだ。たかが落研の部員とは言え、そこには演者としての責任がある。自分のせいで「落語はつまらない」と思われてしまったら、落語に申し訳ない。何しろ僕自身が、知る前は勝手なイメージで落語を低く見ていたのだ。落語初体験の人にも楽しんでもらえるようなものをと、かなり意識していたつもりだったけど、足りなかっただろうか。
 「はじめまして」
 緊張した僕の挨拶を無視して、その人は言った。
 「君の落語は、画が浮かぶんだよ」
 めんどくさい社交辞令はよそう、大事なことだけ話そうぜ。そんな雰囲気だった。
 「オレにはあそこで戸の前を通りすがるお爺さんの姿が見えた」

 紫のサングラスの奥の目が、空中を見つめている。そのシーンを思い出しながら喋っているように見えた。
 「画が浮かぶようにっていうのは、心がけています」

 僕は応えた。長屋で会話をしている二人の後ろをお爺さんが通り過ぎ、それを一人が見つけるというシーンだったが、顎を少しクイと上げる動作によって「部屋の中から戸の外を見る」という距離感を表現したつもりだった。その頃は浴びるほど落語を見ていたから、誰かが使っていた技法を自分なりに真似たのだと思う。演者の意識に踏み込んだ感想をもらえたのが嬉しかった。背筋が伸びた。
 「そうだよね。プロにならないの?」
 プロ。ひたすらに落語だけをしていた僕だったが、実はこの時が「落語家になる」ことをはじめて意識した瞬間だった。
 名前を聞いたら、その人はイナベだと答えた。

 これがこの先の僕の人生を左右する、大切な出会いとなった。

 トザワさんが、わざとこの日にイナベさんを呼んでいたのだと、後日、知った。

 
 三年生になっても、四年生になっても、僕は落語ばかりしていた。
 就職活動はしなかった。もうプロになると決めていた。
 夏休みには、東京中の図書館を自転車で回って、あらゆる落語のCDを借り、MDにコピーした。これがきっと財産になると思った。
 過去の名人の音源をたくさん聴き、その特徴を分析しては、自分の演技に取り入れた。完コピだけをするのではなく、部分的に盗み、自分のものにする作業に没頭した。

 「この人の女役が上手いのは、声に湿り気があるからだな」「この人は歌うように落語をするから、聴いてて高揚感を覚えるのだな」「この人はリズム感があるから、三段落ちが決まるのだな」

 自分の部屋に籠もり、ずっと落語を聴いていた。

 ひと口に落語と言っても、様々な芸風がある。一人で演じる話芸である以上、どんなに同じ噺を演っていても、そこには必ず違いが出る。その人の個性が滲み出るからだ。大きな身ぶりで何がなんでも笑わせるという迫力ある芸も、静かに訥々と語って世界をつくる芸もある。

 なんでも吸収してやろうと思っていたが、次第に上品で清潔な芸に惹かれるようになった。そして自分でもそんなものを目指すようになっていた。

 落語のこと、自分のこと。分からないことが分かるようになっていく過程は、歓びだった。

 落語は噺を一席、二席と数える。落研にいる四年間の間に、僕は五十席の噺を覚えた。

 

 

(第2回・了)

 

本連載は隔週更新でお届けします。
次回:2020年3月27日(金)掲載予定