着物を脱いだ渡り鳥 ― 落語家をやめて、落語のことを考えた。 ナツノカモ

2020.3.27

03また、どこかで

 

 大学を卒業し、僕はプロの落語家になった。

 とは言っても、落語界はライセンスが存在しない。弟子入りというシステムが今も採用されている。公演後に楽屋待ちをしておいて、突然「弟子にしてください」と訪ねたりする。世襲制の歌舞伎などと違うところだ。

 僕もそうやって弟子入りを果たした。その瞬間、プロになったということだ。

 最初はとにかく「怒鳴るように演りなさい」と教わった。ウケなくてもいいから、大きな声で。

 ぼそぼそと喋る落語に身体が慣れてしまうと、そのサイズの表現しか出来なくなってしまう。おそらく演劇の役者さんも同じ行程を踏むと思うけれど、大きな演技が出来る人は、小さな演技も出来るもの。まずは大きな演技を身体に入れ込むことが大切だという。

 誰しも、どんなジャンルでも、最初は自惚れから入るものかもしれない。

 「自分には才能があるはず」という根拠なき自信は、時に自分の背中を押してくれるから。

 落語界では、まずその自惚れを叩き割られる。怒鳴った発声で、お客さんが笑うわけがないからだ。日常会話の声量からは遠く離れた、不自然なやりとり。怒鳴り合い。

 そこから、ちょっとずつ調整出来るようになっていく。大きな音量でも怒鳴っているようには聴こえない発声、囁くような音量でも客席の後ろにまで届く発声、それらを自然に身につけていく。そして少しずつお客さんが笑うようになり、新しい自信を獲得していく。プロらしくなっていく。

 けれど、僕にはその最初の自惚れがそもそも無かった。

 何しろ『酒かす』を100回稽古しても覚えられなかったのだ。トザワさんに「面白くない」とはっきり言われたのだ。

 大学の四年間で、とにかく練習した。練習して練習して、少しずつ技を習得し、それが笑いという結果に繋がる経験をした。

 そこで生まれたのは、「根拠なき自信」ではなく、階段を一段一段上がっていくことでようやく獲得した「確かな自信」だった。

 不自然な怒鳴り合いの落語から入っても、最初はウケなくても、僕は大丈夫。僕は出来るようになる。そのことを僕は知っていた。

 僕はプロの落語家への道の入り口に立った。

 

 「フラ」という言葉が、落語界にはある。

 「その人自身から滲み出る、独特なおかしみ」といった意味だ。

 同じ噺を演っていても、面白い人とそうでない人がいる。技術の差では説明し切れない、言語化不可能領域ということだと思う。そこに「フラ」が作用する。

 本人すら気づけないはずの、滲み出るおかしみを、人工的に作り出すことは出来ないか。

 プロになって最初の数年、僕はそればかり考えていた。

 噺そのものに工夫を凝らすことを始めは許してもらえない。テキスト上に個性を出すことを封じられる。基礎を固めるとはそういうことだからだ。ならばウケるためには、工夫していないフリをして、工夫するしかない。「フラ」を意識的に作ることが出来れば、例え噺の中身そのものがつまらなくても、ウケることが出来る。僕はそう考えた。

 「フラ」を作る、という言葉はそもそも矛盾している。しかし、コンマ数秒の間のズラシ、目力の調整、喋っていない時間の口の開き具合い、眉の上げ下げ、など意識して演技することは出来る。

 僕の「フラ」が一体どこにあるのか、僕は必死で探した。

 ある時、終演後のお客さんのアンケートに、「とぼけた味わいがある」と書かれた。これだと思った。

 「とぼけた味わい」をもっと出すための演技を、僕は研究し続けた。

 



 プロになって5年目ごろから、固定のお客さんがつくようになった。つまりはファンのことだ。そして僕の落語会を企画してくれるような人も現れ始めた。自分の芸の何が良いのかなんて自分では分からないけれど、わざわざ時間を作り、お金を払って観に来てくれる、そんな人たちのことを信じてみようという気持ちが芽生えて来た。

 創作落語というものにも挑戦するようになった。自分でお話を書き、自分で演じる。

 落語を好きになり、追いかけるようになると、「はじめて聴く噺」の数はどんどん減っていく。それは噺の数が「有限」だからだ。

 知っている噺を聴き、安心してクスクス笑うのも楽しいものだが、まだ知らない噺、聴いたことのない噺に出会いたい。落語ファンは心のどこかでそれを願ってもいる。それは僕自身が落語ファンだからよく分かる。

 0から1を創り出す能力が自分にないことは自覚していた。あったら最初からやっていただろう。

 なので、落語に出てくる人物たちをそのまま使わせてもらうことにした。八っつぁん、熊さん、ご隠居さん、与太郎など、既にキャラクター像が定まっている者たちに、自分の創る落語に登場してもらう、ということだ。これは落語の特徴と言えると思うが、同じ名前の人物が違う噺にも頻繁に出てくる。固有名詞の数が少ないというのか、八っつぁん、熊さんなどは特に様々な噺に登場する。

 『道灌』などでお馴染みの、町内の生き字引である「ご隠居さん」と、『真田小僧』などでお馴染みの、小憎らしい子どもの「金坊」が同時に出て来る噺はない。落語にはこの二人の会話がない。二人ともお馴染みの人物なのに、直接は話したことはないのだ。もしこの二人を話させたら、一体どんな会話が生まれるだろう。

 そこから『お化けの気持ち』という作品を創った。

 ご隠居さんのもとを金坊が訪ね、「お化けって本当にいますか?」と質問をする。子どもが相手だからと適当に答えてしまうご隠居さんに、理路整然と金坊が詰め寄る。そして追い込まれた結果「お化けはいる」と答えてしまったご隠居さんは、その夜、お化けの恰好をして寝ている金坊の前へ現れる羽目になる。そんな噺だ。

 落語の従来のキャラクター像をそのまま拝借したその作品は、落語ファンの心をほんの少しだけ、くすぐったようだった。

 どんな場所でも、よくウケた。

 

 プロ8年目。

 僕は30歳になった。相変わらず落語をしていた。テレビやラジオで存在を紹介してもらう機会もあった。メディアに自分の顔が出ると、親や親戚が喜んだ。昔の友達が公演を見に来てくれ、楽屋に会いに来てくれた。

 演じる時は、ひたすら画が浮かぶ落語を意識した。「そこにないものが見える」という稀有な体験、それが落語の醍醐味だと思っていた。イナベさんに褒めてもらった、あの大学時代から一貫してブレない、僕の「落語観」だった。

 創作落語をいくつも創った。厳しい結果になる時もあったけれど、もっと落語のことを知りたいという思いが最も満たされるのは、「自ら創っている」時間だった。

 ごく稀に、自分でも信じられないくらい良い出来になる日があった。身体が乗って、言葉が淀みなくスラスラ出て、アドリブがことごとく決まる。当然、ものすごくウケる。そんな時は、ひたすらお客さんに感謝した。落語はたった一人きりの話芸だけれど、決して一人で空間をすべてつくり上げるわけではない。その日の客席が、僕を乗せてくれたのだ。

 あの一体感は、忘れられない。お客さんのおかげで、そんな思いが出来た。 

 20代を、僕は落語という芸に捧げた。

 

 --僕はふとんの上にいる。スマホを握っている。書くべきことは決まっていた。でも、どう書いていいかが分からない。

 「僕は落語家をやめました」

 そこから先が進まない。天井の木目模様を見つめ、ただ時間だけが過ぎていく。

 一週間前、持っているMDをすべて捨てた。大学時代に夢中で集めた、落語の音源だ。200本あった。

 ゴミ捨て場に一度捨て、拾いに戻って、再び捨てた。

 使っていた着物は、後輩たちに譲った。もう着ることはないはずだから。

 あとはやめた報告をみんなにするだけだ。

 

 落語家をやめると決心してから、実はもう一年が過ぎていた。ずいぶん長いこと、落語をしていない。突然消えた僕を、みんなはどう思っているだろうか。

 落語家は「高座」と呼ばれる舞台の上で、すべてを完結させる役者だ。だから、やめたことを報告する場所は本来ない。ただ消えていくだけ。多くの「やめた人たち」もそうしていた。

 わざわざTwitterを使ってその報告をしようとしている僕は、一体何を考えているのか。

 つらつらと書いてみたら、400字になった。

 ネガティブな言葉はなるべく避けたいと思った。事実の報告だけをしたい。「残念ながら」「申し訳ない」「悩んだ末に」などを削除した。

 自分にどれくらいのファンがいたかは分からない。けれど、スマホを打ちながら浮かぶ様々な顔があった。一文字削ると、それを届けたかった相手の存在そのものを消してしまうようで、忍びなかった。

 三日間の自問自答を経たツイートは、わずか70字になっていた。よし。これを送信しよう。「送信」を押せ。さぁ、押せ。

 「心配しないで。生きてます」

 ただ、それだけを伝えたかった。

 再び天井を眺める。相変わらず何もない。三日目の夜になっていた。外は暗い。部屋の中も暗い。

 しばらく考えたあと、最後にもう一行足した。

 「また、どこかで」

 

 「リツイート」と「いいね」の数が、今までで一番多かった。落語家人生の最後に少しだけ目立ったのだろうか。

 届けたかった人たちに届いていることを願うばかりだ。

 畳にスマホを放り出し、天井を見上げる。空を見るように三日間、眺め続けてきた天井だ。ずいぶん小さな空だなと思った。あの線とあの線は雲に見えなくもない、かな。

 スマホが鳴った。

 「事情は分からない。何があったのかは知らない。だけど、きっと勇気のいるツイートだったと思う。お疲れ様。せっかくの縁だから、繋がっておこうよ。ゴハンでも行こう」

 ある落語家の先輩からだった。

 先輩どころか、お会いしても話しかけることすら躊躇われるほど、大御所の方からだった。数回しか接したことのない同業者の方で、自分のことを気にかけてくれている人がいたことに驚いた。

 真っ暗な部屋の中、握ったスマホのその画面だけが、光っていた。

 

 

(第3回・了)

 

本連載は隔週更新でお届けします。
次回:2020年4月10日(金)掲載予定