猫と詩人 佐々木幹郎

2019.3.5

12女王のご帰還、完全回復!


  年末からお正月にかけて、わたしは浅間山麓の山小屋に行く予定にしていた。友人たちが子ども連れで十五人ほど、泊まりにくることになっている。半年前からの約束だった。どうしても山小屋行きを外すことはできなかった。ツイラク・ミーちゃんが大怪我をしなければ、彼女を東京に残して、いつものように外へ放り出しておくのだが、今回はそういうわけにはいかない。手術後、左後ろ足指の抜糸をした後も、彼女の足は完治しておらず、外出禁止令が出たままなのだから。

 動物病院のペットホテルに、ミーちゃんを十日間、預かってもらうことにした。彼女はきっと不安と緊張の固まりになり、狭いケージに閉じ込められてストレス一杯になるだろうが、そんなホテル暮しに慣れてもらう以外にない。
 山小屋に着いて二日目の夜のことだった。動物病院からスマホの「LINE」に、連絡があった。病院ではペットホテルにいる動物の様子を、飼い主に定期的に「LINE」で知らせるシステムが整えられている。これは有り難かった。
 「ミーちゃん、だいぶ緊張していますが、ご飯も食べてくれますし、オシッコもウンチもしてくれました」。この文章とともに、添付されていた写真を見ると、周囲を警戒し、緊張しきっているミーちゃんの顔があった。 食事をしてくれたら充分だ。ホッとした。写真を見ながら、わたしのいないところでは、こんな顔をしているのだ、と新鮮な気分になった。ニンゲンを信用しない野良猫の目つきである。よろしい。
 それから、すっかりミーちゃんのことを忘れてしまった。わたしは毎朝、山の斜面にある石窯に火を入れて、窯の内部の温度を四三〇度近くになるまで、薪を燃やした。その温度がピザを焼くのに最も適しているのだ。いったん四三〇度になると、今度はなかなか下がらない。やがて、ゆっくり三〇〇度近くまで下がると、サンマでもステーキ肉でも、遠赤外線の効果で、驚くほど美味しく焼ける。
 石窯は山小屋仲間のエンジニア、タケさんの設計。地下を二メートル掘ってコンクリートの基礎を造り(そのくらい地下を固めないと、標高一三〇〇メートルの冬の霜柱の力は強く、建造物を傾けてしまうのだ)、基礎の上に浅間山の火山岩を積み上げて台にした。ドーム式の石窯はその上に載っている。
 すべて山小屋仲間が一年がかりで手作りしたものだが、ピザ専門店の窯と同じくらいの大きさで、温熱効果が抜群にいい。極寒の冬は、窯の入り口を開けておくと、ストーブの代りになる。薪は山で伐採したブナやナラを使う。近くの温泉旅館「鹿沢館」のトキザワさんが、毎年、大量に間伐し、幹を「玉切り」(丸太)にし、山小屋の斧を使って割ってくださるのだ。
 この石窯を囲うために、モンゴルのパオを模した木組みの小屋を作った。山小屋仲間の屋根屋のトクさんが頭領となって造ってくれた。この小屋の柱は、山から切ってきた自然木の曲がり具合を利用している。夏は柱の間を風が吹き抜けて涼しい。今年の冬は、農業用の透明なビニールシートを二重にして(村の農家、「嬬恋百姓」を自称しているキー坊さんから、モロッコインゲン用のものをいただいた)、柱から柱へ巡らせて壁にした。つまり、わが山小屋の工事や設備は、ほとんどお金を使っていないのである。
 ビニールシートで囲ったおかげで、山に雪が降っていても、寒さをしのぐことができる。そこにたくさんのニンゲンが入ると、まるで博多の中州の屋台そっくりの風景になるのだ。近くにあるスキー場で一日中スノーボードで遊んでいた友人と子どもたちは、夕方戻ってくると、山小屋の新館(宿泊棟)に入らないで、火を求めて、まず最初に石窯のまわりに集まった。
 ミーちゃんはどうしているかな。長い山小屋滞在から東京に戻ってきて、すぐに動物病院のペットホテルに引き取りに行った。おとなしい。ここでの生活に慣れ始めたようだ。左後ろ足指の傷口や、包帯を取ろうとして舐め続けて毛が抜けた太股にも、うっすらと白い毛が生え始めていた。凄い勢いで回復しつつあるのだ。「もう、エリザベスカラーは必要ありません」と医師は言った。よかったね、ミーちゃん。
 手術入院とホテル暮しという経験をしたミーちゃんが、自宅に戻ってきて最初にやったのは、部屋中の隅々の匂いを嗅ぐことだった。それからわたしに「ミー、ミー」と鳴いて甘え出した。抱いて膝の上に載せ、背中を撫ぜてやると、両眼をつむったまま、ゴロゴロと小さな喉音を立てて、いつまでも動かない。

 そんなことは、これまでなかったことだった。以前までの彼女は、わたしの膝の上に載ることを、一番嫌がったのだ。首筋をつかんで無理やり膝に載せても、爪を立ててすぐに飛び下りた。そんな野良猫特有の警戒心が、動物病院から戻ってきて、なくなった。あるいは薄まったのだ。これは親として、とても嬉しいことで、わたしはいつまでもミーちゃんを膝に載せて撫ぜ続けていた。
 外出も自由にした。外に出て、最初に彼女が走っていった先は、彼女のお好みの紅葉の樹だった。気がつくとベランダから軽く飛んで、樹の上にいた。窓の外から、以前と同じように元気なミーちゃんが部屋に戻ってくる。どことなく嬉しそうな顔だ。おもわず、ヨッ、女王! と声をあげそうになった。


(第12回・了)

 

この連載は月2回更新でお届けします。
次回2019年3月20日(水)掲載