猫と詩人 佐々木幹郎

2019.7.5

17うちの「大猫」の物語


 うちの「大猫」さんのことである。「大猫」はわたしが勝手につけている愛称で、わがアパートの大家さんのことである。シャンソン歌手の彼女について語りだすと、何もかもが可笑しくなる。
 だいたい、アパートの名前がいいかげんなのだ。不動産屋では「リラフラッツ」という名前だった。十数年前、わたしが転居の届けを区役所に出そうとすると、地図を見ていた係のヒトから、その住所のアパート名は「ミモザ館」です、と言われた。驚いて大家さんに電話をすると、「ああ、それは以前の名前ね。いいのよ、どちらでも。好きな名前にしておいて」と言われた。「リラ」にしても「ミモザ」にしても、宝塚歌劇に出てくるような名前だ。というわけで、わたしは「リラフラッツ」を選んだのだが、いまもそんなアパートの看板はどこにも掲げられていない。最近、大家さんと話をしていると、その名前さえ忘れているようだった。
 引っ越してしばらくして、わたしは浅間山麓の山小屋に長く滞在していることがあった。東京に戻ってきた深夜のことである。扉をトントンと静かに叩く音がする。時計を見ると、午前二時頃だった。こんな深夜に、誰が訪ねてくるのかと不審に思った。わたしはしばらく黙っていた。トントン、とまた静かに叩く音がする。

「どなたですか?」
「女狐です」

  聴き間違いかと思った。

「え? どなた?」
「女狐です」

 大家さんの声であった。扉を開けると、真っ赤なスカートをひらひらさせた舞台衣装の彼女が、ベランダにいた。都内のどこかのライブハウスでシャンソンを歌ってきた帰りらしい。お化粧も衣装もそのままでやってきたのだ。酔っぱらっている。
「女狐です。ごめんなさい。この衣装を見せたくて」と言うのである。左手で日本酒の小瓶を持っている。その左手を差し上げて、

「あれ、どうして、こんなものがあるのかしら?」

 と小瓶を見つめ、それからわたしのほうを向いて微笑んだ。シャンソンを歌っているようだった。
  わかった、わかった。今晩はお酒をもう少し飲みたいのだ、ということがわかった。
 というわけで、わたしは彼女をリビングルームに招き入れて、酒盛りをすることになった。大家さんが言うには、わたしが引っ越して来てすぐ、長く家を留守にしたままなので、どこかもう少し条件のいいアパートを見つけて、また引っ越してしまったのではないかと、気が気でなかったらしい。ところが、今晩、帰って来てみると、わたしの部屋に電気がついているので安心し、嬉しくなったらしい。お酒を飲みましょう、ということになったというのだ。
 翌日、酔いが醒めた彼女は、平身低頭してわたしに謝りに来た。二度と女狐になりません、と言うのだ。わたしは夜中に仕事をするので、今後は駄目です、と言うと、わかりました、と実に素直だった。「大猫」に戻って、ほんとうに反省したらしい。
 それから一年ほどして、当時アパートの三階に住んでいた若い人形師とその夫人と一緒に、大家さんがシャンソンを歌う小さなライブハウスに招待されたことがあった。
 店に着くと、暗い客席には、大家さんと同年代かそれ以上の年齢の後期高齢者たち、男性や女性を含むファンたちが十数人いた。彼女が歌の合間に挟むトークと、客席との掛け合いで、若いときからの長年のファンたちなのだな、ということがわかった。こういうシャンソンの世界があるのだということ。しかもひっそりと都内の片隅でコンサートが続けられていることに、わたしは秘かに感動した。
 大家さんはフランス語では歌わない。わたしのシャンソンは日本語だけです、と誇り高く言う。声はよかった。彼女の歌を聞いているうちに、どこかで聞いたセリフがあること気がついた。
 その曲名は何だったのだろう。ずいぶん昔、若いときに別れた男と、主人公の女性がセーヌ川に架かる橋の上で出会うという物語。彼女は生活に疲れ、酔っぱらっていて、ワインのボトルを持って歩き、そのボトルを左手で差し上げながら、昔の男に向って歌う。

「あれ、どうして、こんなものがあるのかしら?」

   かつてわたしの部屋の扉を叩いて「女狐です」と言ったときの彼女のセリフは、このシャンソンの歌詞そのままだったのだ。
 その夜は彼女がファンからもらった花束をいっぱい、わたしたち店子は持たされた。そして終演後、タクシーに乗って家まで全員で戻ったのだった。彼女を車に乗せ、花束を持って取り囲むわたしたちは、老ファンたちには、弟子か付き人たちと思えたに違いない。



(第17回・了)

 

この連載は月2回更新でお届けします。
次回2019年7月20日(土)掲載