猫と詩人 佐々木幹郎

2018.10.20

03猫語と全身言語

 

  猫という動物は、全身が言葉で出来ている。鳴き声を出すとき、それはもちろん何かを訴えたり、怒ったり、喜んだり、挨拶しているときだが、その猫語以上に、猫が他との言語コミュニケーションの手段にしているのは、両眼であり、尻尾であり、両手、両足であり、背中の毛である。つまり、全身なのだ。
 わたしが猫に声をかけると、両眼を丸く開いてこちらをジッと見る。何を言っているのか、必死に眼で確認しようとしているのだ。怒られるのか(野良猫出身のミーちゃんは、このことに一番、敏感である)、それとも自分に挨拶しているのか、たんに遊びで声をかけているだけなのかを、判断する。尻尾を立ててわたしの前を横切るときは、彼女が敬語で挨拶しているときである。
 猫が無言のかたまりになっているときがある。こちらが何を言っても横を向いたまま、どこか遠くを見ている。そんなときは身体を撫ぜてやっても、うるさそうにするだけだ。彼女が見ている先には、樹木の葉だけがある。何かを考えているらしい。人間よりもずっと賢そうに見える。
 その本をいつ読んだのか、忘れてしまったのだが、また出典が何であったのかも記憶にないのだが、古代中国の猫にまつわる伝説がある。それによると、大昔、この地球を支配していたのは猫たちだった。あるとき、支配することに飽きてしまった猫たちが、長老会議を開き、こんな愚かしいことは、われわれ猫よりもずっと愚かな人間どもに任せたほうがいいと判断し、支配権を人間に譲ることに決めた、というのだ。
 確かに、そんなことがあったような気がする。無言のかたまりになったミーちゃんの横顔を見ていると、そう思うのである。人間は愚かである! 猫はいつでもそう考えている。
 彼女の耳は近くのものではなく、眼で見えない遠くのかすかな物音を聞くように出来ている。わたしが外出先から戻るとき、アスファルト道路を遠くから歩いてくる足音を、よく聞き分ける。

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 わたしが住んでいるアパートは崖の上にあって、崖に沿って高い石垣で囲われている。その石垣に鉄製のドアがある。そのドアの横に大きな郵便受けが取り付けてある。外出から戻ると、わたしはまず最初に、郵便受けの鍵を開ける。その音を聞くとミーちゃんは、わたしが帰って来たと確信するのだろう。ドアの向こう側から、「ミー、ミー」と小さな声を出す。お帰りなさいと言っているのか、いままで何をしていたの? と言っているのか。いや、猫のことだ。人間のことなど心配していない。わたしはここにいるよ! というサインである。
 しかし、いざドアを開けると、わたしのほうを見ることはない。犬のように喜んで飛びつくことはない。そこが猫である。おまえさんなんか知らないよ、という風情で、わたしに背を向けて階段を登っていく。ドアを開けると、崖下から崖上の中庭まで、地中をくり抜いた煉瓦製の階段があるのだ。中庭には樹木が覆い繁っていて、そこからわたしが住んでいる二階の部屋まで鉄製の階段がある。
 ミーちゃんは中庭まで行くと、そこにある樹木にとりついて、一心不乱にコシコシと両手で爪とぎをする。猫の爪とぎというのは、テリトリーを示すための匂い付けのときや、ストレスを解放するときや、気分転換のときや、あるいは自分の欲求が満たされたときなど、喜びを示すときが多い。
 というわけで、爪とぎをしているミーちゃんの背を撫でることで、わたしの帰宅の儀式が終わるのである。
 と、ここまで書いたところで、わたしの足元に突然、猫の爪があたった。足元を見ると、外から戻ってきたミーちゃんが、両足をわたしの足にくっつけて寝そべっている。猫の帰宅はもの静かだ。足音がない。人間の耳には足音も聞こえず気配もないので、おまえさん、気がついてる? 帰ってきたんだよ、と言っているのだ。そして、いつまでもパソコンに向かっていないで、わたしを撫ぜて欲しい、とも伝えている。寝そべって自分の足をわざとわたしの足にちょっとだけくっつけるか、尻尾の先をわたしのふくらはぎに巻きつけるようにするのが、撫ぜて欲しい! という彼女の挨拶言葉なのである。
 書斎の床は木製なので、暑い夏の間、猫はここで寝ることが多い。冷房が通い、扇風機も回っているので冷やか。わたしの机の下にある鞄に、彼女は小さな頭を載せ、両眼をつぶったまま、こちらの様子をうかがっているのは、片耳だけがわたしの方を向いていることでわかる。いつ手をさしのべてくれるのか、気配を図っているのだ。
 猫が全身で示す言葉たちは、意味に囚われて身動きできなくなる人間のコミュニケーション言語よりも、ずっと魅力的である。

 

 

(第3回・了)

 

この連載は月2回更新でお届けします。
次回2018年11月5日(月)掲載