想い出にあなたが住む限り――女の子はなぜ総合職をあきらめてしまうのか 田中東子

2022.6.3

これまで20年以上にわたって、数多くの大学で授業を行ってきました。
授業が終わると多くの女子学生が話しかけてくれたり、相談を持ちかけてきたりします。大学には女性の先生が少ないから、東子先生は話しかけやすそうだからという理由で、彼女たちは勉強についてや、女子大学生としての生きづらさ、日常の悩みなどを打ち明けてくれます。
そうやってたくさんの会話をして、学期が終わっても連絡をくれる彼女たちのなかには、エネルギッシュで自分自身の道を切り開いていくタイプの女の子もいれば、自己肯定感が低くて、ここぞという時に委縮してしまうタイプの女の子もいました。
彼女たちに自信とパワーを与えているものは何なのか、その反対に、彼女たちから自信やエネルギーを奪い、足を竦ませ金縛りのような状態にしてしまうものは何なのだろうか?
その疑問を解いていくために、彼女たちとの話を改めて思い起こしてみることにしました。

02前略 あやかさん

前略 あやかさん

先日は、結婚のご報告をありがとうございました。久しぶりにお会いできて、嬉しかったです。
あやかさんと言えば、H女子大コミュニケーション学部のツインタワーのひとり。かかとの高いチャンキーヒールを履いた凛々しい立ち姿に美しい骨格。背の低い私と話すときにはいつでも少しだけ身をかがめてくれていたことを、鮮明に覚えています。

でも、あなたとお話したなかで忘れることができなかったのは、「あたしはH女子大なのに、アニキはK大に通ってるんですよ」という台詞でした。K大と言えば、私立大学の最難関校。H女子大とはかなり偏差値に開きのある大学です。どう応答しようか咄嗟に困ってしまった私に、あやかさんは畳み掛けるように続けました。
「うちの親父、アニキにはめちゃめちゃ勉強教えてたのに、あたしには全然、厳しくなかったんスよ」
「それって、もしかして、あやかさんが女の子だったから?」
「そうだと思う。アニキは小さいころからすっげえ怒られながら勉強させられたのに、あたしの成績にはまったく興味なし」
「あやかさんは、そのことをどう感じていたの?」
「子供の頃はラッキーって思ってたけど……」
あなたは少し顔を曇らせ、言いよどんでしまいましたよね。続きを聞きたかったけど、そこでタイミング悪くチャイムが鳴り、あやかさんは次の授業に行ってしまいました。
ためらいがちな「子供の頃はラッキーって思ってたけど……」という台詞の続きを聞けないまま、気づけば8年が過ぎていました。

だから私は、あやかさんから「少し前に結婚したんです」という報告を受けた時に、「あの時の話の続きを聞きたいんだけど、覚えてる?」と切り出したのです。私の質問に、あなたは少し戸惑いを見せたものの、すぐに「覚えてますよ」と答えてくれました。
「お兄さんの通ってた大学、有名私大だったよね」
「そう、K大。アニキはいま、ロンドンに駐在してます。結婚もして、すっごくいい暮らししてますよ」
ちょっと唇を尖らせて、拗ねたような表情であなたは言葉を続けました。
「地元の幼馴染がやっぱりアニキと同じK大に進学したんだけど……就活の時期になって、その子と話してたら、全然、話がかみ合わないんスよ」
「どういうこと?」
「あたしのとこには来てない求職情報やエントリー案内が、その子のとこにはいっぱい来てた。ああ、アニキもそうだったんだなあ、って。あたしではめぐり合えない情報に、幼馴染やアニキは易々とアクセスできる人生なんだなあって。その時になってようやく、勉強しろって言われないことをラッキーって思った半面、ちょっとだけモヤっと感じてたことの意味が分かったっていうか……」
そう話している間、あなたははっきりと怒っているような表情を浮かべていましたよね。
だけど、目の前のストローに口をつけアイスティーをすすった後、気を取り直したように話しを続けてくれました。
「女の子だから、あやかは近所の大学に行けばいいよ、って言われて、勉強しなくていいなんてラクな人生だーって思ってたけど。その結果、手に入れられるものが違ってくるんだって、子どもの頃、誰も教えてくれなかったんだよね……ああ、先生が初めて教えてくれた人かも」
と、言って笑顔を見せるあやかさんに、私はとても複雑な気持ちになるのでした。
自分の人生の責任を自分ひとりで取ることを余儀なくされているこの時代に、確かに私は、しっかり勉強して、なんとかいい仕事に就いて、結婚しても子供産んでも仕事を続けて頑張った方がいいよ、ということを女の子たちに教え続けてきました。
そんなことを教えるのは、実は本意ではないのです。でも、そうやって頑張り続けていかないと、女の子の人生はひとつ間違っただけでも、とても過酷なものになってしまうと知っているから。
本当は、公的な助けがほとんどなく、自力で頑張らないと過酷な人生になってしまうかもしれないこの社会そのものを、変えていかないといけないと考えているのです。でも、今日や明日、ただちに変えることなどできないから。どうにかして生きのびてもらうために、目の前にやってくる女の子たちひとりひとりに、社会のなかに埋め込まれた不平等な仕組みの一端を教え、そんな仕組みの中でも踏ん張ることを教えることしかできないのです。
そんなことしかできない自分自身を時に恥じながら、私は教員の仕事を続けているのですが、そんなことも、またいつか話せるといいなあ……なんてひとりごちていると、
「それで、結局あたしは一般職採用で就職したじゃないですか」
あやかさんが、話の矛先を変えてきました。
「先生。大学生の頃に、あたしが専業主婦になりたいって言ってたの覚えてます?」
「覚えてるよ。あやかさん、なんか、専業主婦になるってドヤ顔で言ってたよね」
そう。あやかさんとの会話で私の印象に残っていた話題、実は二つありました――お兄さんがK大に通ってたってことと、結婚したら仕事辞めて専業主婦になりたいと話していたこと。
「あー、ドヤ顔してました? あの頃は、若かったナ……」と、遠い目をしてにやりと笑うあやかさん。
「最近はさ、専業主婦になりたいって明言する学生あんまりいないから。ちょっと印象に残ってたんだよね」
というか、凛々しく元気な印象のあやかさんと、「専業主婦になりたい」という言葉の持つイメージとが、実は私の中であまりしっくりと来ていなくて、それでくっきりと記憶に刻まれていたのでした。
「就活してみていろいろ分かって、それでもう自分には見込みないから、会社で結婚相手を見つけて辞めるつもりで、一般職選んだんスけど……」
そういえば、あやかさんはH女子大学に来ていた一般職の推薦の枠で、誰もがその名を知っている大手企業に就職したのでした。私としては古臭いよなあ、と思いつつも、てっきり同じ会社の男性社員と結婚して、いわゆる「玉の輿」を狙うつもりなのかと思ってました。
でも、あやかさんは昔と変わらぬきりりとした顔つきで、
「なんと、あたし、結婚した今も、まだ仕事を続けてます!」
と言って、破顔一笑。
「え、そうなの? なんで?」
「まー、ぶっちゃけると、夫の方が、あたしよりもお給料少なくて、とてもじゃないけど辞められない」
バブル経済の崩壊後、日本の労働者の平均所得はどんどん減っています。夫婦のどちらかが家にい続けることができる「専業主婦/主夫」というのは、いまやかなり所得のある世帯でないと無理なはず。つまり、パートナーに選んだのは……
「……結婚相手、同じ会社の人じゃないんだ?」
「違います。地元のいっこ上の先輩です」
「なんでその人を選んだの? 専業主婦になりたいなら、夫の所得は重要じゃないの?」
不躾な質問をする私に、あやかさんは強いまなざしを向けて、こんな説明をしてくれました。
「うちの親父、エリート会社員だったけど、機嫌悪いと家の中でどなったり、物を蹴ったり壊したり、すごかったんです。家のことは、なにひとつできないし。でも、いまの夫は怒鳴ったりしないし、穏やかだし、家のことも分担してくれる。あたしの方が残業で帰宅が遅いことも多いんだけど、ご飯作って待っててくれるんです。親父とは全然違う。だからあたし、専業主婦にもなれないし、夫はエリートでもないけど、その分、一緒に楽しく生きていけるかなって思ってる」

なんだ……あなた。お父さんには何も教えてもらわなかったって言ってたけど。
そんな父親を反面教師にパートナーを選ぶなんて、自分の力でお父さんから勝手に学んで、しっかりと幸せに生きていくための方法を見つけ出しているじゃないの。

次はどんな報告をしてくれるのかな。楽しみに待ってるね。


草々

 

*社会調査法に準ずるインタビュー調査と直接行われた会話の内容から、個人が特定されないように情報を再構成して書いた、フィクションとノンフィクションのあわいのようなエッセイになります。