私のイラストレーション史 南伸坊

2016.9.28

14美学校3 木村先生に教わったこと

 

 木村先生の授業の魅力は、まず実作者のリアルタイムの、手加減なしの、生の情報がゴロリと出てくるところだったと思う。
 レヴィ=ストロースが……といきなり未知の人名が出てきた。そのうえそれが木村さんの早口の滑舌だと「レフィストロイス」っていう呼び出すと出てきてくれる悪魔みたいにしか聞こえない。
 私は、その日のうちに、図書館に行って、メモしておいたレフィストロイスをカードで調べてみたけれど出てくるはずもなく、しばらく文化人類学者は、悪魔ではないにしろ、正体不明の怪しい外人だった。
 かといって、実はそんなに困りはしないのだ。先生の仰る要点は、発想法に関することらしい。常識と思われていること、動かせない基本と思われているようなことを、全く異なった角度から見直してみる。
 そのために、その謎の人物がしたように、とりあえず人類学に言語学や数学の方法を代入してみるとか、まったく無関係と思われる分野の手法をあてはめてみるみたいなこと。
 新しい発想をするためには、そういう工夫が必要なのだ。と大筋の理解はできるからだ。
 明日、大学に行って講義するために暗記してるワケじゃないんだから、なにも外人の名前だの、学術用語だのをスラスラ原語で書いてみせる「術」が要るわけじゃない。
 そのことは問わず語りに、こちらに伝わってくるのだった。どの方向から見るのか、何と何をチョイスしてきて、どう並べたらおもしろいのか、それを考えようということだと伝わってくる。
 たとえば世界地図のメルカトル図法というのは地球を円筒状に囲んだスクリーンに投影して得られる図である。したがって、赤道付近では正確だけれども、南北の極地に近づくにしたがってどんどん歪む。
 これをクダクダしく述べるより、人間の頭をメルカトル図法で表わすとこんな具合だ。

No14イラスト1 「水彩画、描いてるときに筆洗で筆、洗いますね、横に紙が置いてあって、余分な筆の先の絵の具を、そこになすりつけてから筆洗で洗う。水彩画一枚描き終った時に、こっちの紙に意識してない絵が描けてる」
「電話で話してる時に、メモの用意に持ってる「エンペツ」でくるくるくるっと、無意識にイタズラ書きをしてますね。あれ、何ですか?」
と質問形だ。
「最近ボクがやってるパターンはアレです」
「デザイナーとしての義理があるから、くるくるに厚みつけて影つけてますけどね」と、いきなり実作例の秘密が開示される。おもしろい。

No14イラスト2 この話は時系列で言うとずっと後、赤瀬川原平先生から聞いた話なんだけど、中平卓馬さんが『来たるべき言葉のために』っていう写真集のブックデザインを木村さんに頼んだ時の話。木村さんは当時、六本木の小春荘っていう木造アパートに住んでいて、そこが仕事場でもあったんだけど、デザインが出来てるっていうんで中平さんが取りに行くと、いきなり「情報論」とかムズカシイ話題をふっかけてきて、ちっとも上がったはずのデザインが出てこない。「あの調子」でヴワァーっと色んな話になるからもちろん話はおもしろいんだけど、デザインのほうはどうなったんだろと思っていると、一通り「情報論」が終わったところで、座ブトンの下から原稿が出てきた。
「これがいいのかどうかわかんない」。
 丸と四角だけの何とも言えないデザインなのだ。何しろそのヴワァーの後だからねえ、そのまんまもらって帰ってきたらしいよ、注文つけてるスキがない(笑)。
 この話がおもしろかったから、私は数年後「モンガイカンの美術館」っていう、「みづゑ」の連載で書いたんですが、その時点で、木村さんのデザインがどんなのだったか知らないままでした。

No14イラスト3  最近になって、はじめてネットの画像でこのデザインを見て、あらためて中平卓馬さんの困惑も分かるし、しかし木村さんの気持ちも解る。デザインは力強い造型なのだ。でもなんだか不思議だ。この不思議さが木村さんの魅力なんですけどね。
 木村さん自身が、やっぱり不思議な人だった。これも赤瀬川さんに聞いた話だけど、中平卓馬さんが湘南の海岸沿いの町に住んでたので、みんなで海水浴に出かけたらしい。
 砂浜にビニールシートかなんか広げて、みんなで酒を呑みだした。と、木村さんが「ちょっと、失礼」って、荷物をゴソゴソしたと思うと、いきなりパジャマに着替えはじめたそうだ。
 そうして「ちょっと寝ます」と宣言すると、本当にそこで熟睡してしまったらしい。「まァ、寝る時パジャマになるのは、確かに一番身体はリラックスできるけどねえ」と笑いながら赤瀬川さんは言った。「海でパジャマになる人に初めて会った」
「デザイン批評」の創刊号でめちゃくちゃ面白い横尾忠則論を書いた和田誠さんが、記憶に間違いがなければ、やはり何号か後に、小春荘に木村さんを訪ねる、やはりめっぽうに面白いインタビューを書いていた。

No14イラスト4  カラーテレビで遊んでいる話に、あの時触れていたかどうか忘れたけど、木村さんはNHKの集金人がくるのを警戒して、押し入れの中に、当時としてはやけにでかいカラーテレビを隠し持っていた。
「カラーテレビ、あの触らせないようにしてあるツマミを、動かすとおもしろいネェ、色がメチャクチャになりますよ」と、授業の時にも言っていた。たしかにつまみを「みだり」に動かすと、主人公がとんでもない顔色になったメロドラマとかを見ることができる。
「情報、変わりますよ」
というのは、木村さんの口まねをする時のコツなんだけど、その時そう言ってたかどうか覚えていない。
 たとえば今、TVはデジタル方式になって走査線の数は1125本。ハイビジョンが当たり前になったけれども、1970年当時、NHKでは、『高品位テレビ』といってまだまだ研究段階だった。木村さんはこれをわざわざNHKに行って見てきたらしくて、興奮した様子で話されていたのを思い出す。この時には間違いなく、走査線の数で、
「情報、変わりますよ!」
とハッキリ仰った。「全ッ然違う!」
 しかし、これは本当なのだ。モノクロ映像と、カラーと、解像度の違いは、本当に情報の意味を変えてしまう。
 はやい話がエロ画像だ。モノクロかカラーか、走査線が何本か、それぞれで「同じ対象物」を見た時のことを考えてみればスグ分かる。目は何を見て、何を享楽しているのかハッキリするハズだ。
『2001年宇宙の旅』あれは京橋のシネラマ館の大画面で見なくちゃダメだ。と言った時も、きっと、「情報、全然ちゃいますよ」だった。
 木村さんは無類に映画好きだったけど、いわゆる映画好きとは、ちょっと違っていたかもしれない。暗い映画館の中で、両手の親指と人差指でフレームをつくって、映画をトリミングしてるのを見た人がいるって、笑い話として書いてた人がいたが、授業でカラーTVのツマミ動かす話聞いてる私には、少しも驚くべきことじゃなかった。
 木村先生の授業は、もっともっと色々おもしろくて、色んなヒントを数えきれないほどいただいたと思っているのだが、実は、今それを数えることができない。ほとんど忘れてしまっているのだ。
 が、私が20年後に出した『笑う写真』という本は、木村先生へ提出したレポートだったんだな、と今ではふり返ることができる。

No14イラスト5 

 鶴見俊輔『限界芸術論』を読むように教えてくださったのも木村先生。何かおもしろいことをしようと思うなら、新しいアングルを見つけること、こっちからこう見るとこう見える、っていうアングルに気がつくことだと、そのことだけは忘れないで覚えている。
「こっちからこう見るとこう見える」で思いだした。課題を持っていくと先生は、必ず絵の上下をさかさまにして見る。そして「どう?!」というような表情でこちらを見られるのだ。必ずさかさまにされちゃうので、はじめから出来上がりのさかさまにして提出してみた。
 案の定、先生はそれもさかさまにしたのだったが、私はそのイタズラが成功したつもりでいたけれども、ほんとはあの時のあったおかげでほかの色んなコトは忘れたのに、ものごとを「ひっくりかえして見る」っていうことだけはくっきり刷り込まれたのだなとわかるのだ。

 

 

(第14回・了)

この連載は月1更新でお届けします。
次回2016年10月26日(水)掲載