私のイラストレーション史 南伸坊

2016.10.26

15木村先生の脱線講義

 

 木村先生のおもしろかった話。書いてるうちにだんだん思い出してきた。歌舞伎の色彩や配色がキレイだって話をしていて、幕を閉めないままで場面転換をする時に、黒衣が二人出てきて、舞台中央で、バッと緋色の大きな布を広げる。そのまま蹲踞して、この布を観客に示すようにじっとしてるっていう。
「ちょっとの間、この赤を楽しんでくれってことですかね?」
 と先生はおっしゃるのだが。まるでイヴ・クラインじゃないですか。

15回1
『一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)』っていう歌舞伎の演目で、遠近法を使った面白い演出があった、って話もこの時に聴いたと思う。
 敗走する平家の若武者、平敦盛を熊谷次郎直実が追いかける場面です。沖の船に向かって白馬に乗った敦盛が波の中にザブザブ乗り入れていく。黒馬に乗った熊谷が追いかける。
 舞台は一面海です。海板の間というそうですが波の画き割りが、ちょうど学芸会の草むらみたいに、立てられていて、客席から見ると海の中に入ったように見える。
 その幾重にもなった波の画き割りを右から左、左から右と移動していくと、どんどん沖へ行くようです。沖に行くほど波の形も小さくなってるんですが、ずっと沖まで行ったというのを表わすのに、四、五歳のコドモに同じ衣装、同じメイクをして、小さい馬にまたがせたのを三番目くらいの波のところで出す。
 全体に小さくなるから、遠くにいるんだなとわかります。ここで常識的に考えたらセリフはさっきまでやってた役者が、舞台のソデでやって、所作だけを子役がするってところですが、ちゃんとセリフもこの子役にさせちゃうっていうんですね。
「びっくりしたネ」
 といって、先生がうれしそうにしてるのがすごくよくて、私はどうしてもこの歌舞伎を見たいと思って、後に果しました。
 木村さんも、めちゃくちゃ歌舞伎にくわしいというのでもなさそうでしたが、いきなりおもしろい所に遭遇してしまうというのは、「遭遇の才能」だと私は思う。
 一谷嫩軍記・組討の段が演じられることは少なくなったらしいですが、私はこれが見られて、木村先生の遭遇の才能のおこぼれをいただいた気分です。
 歌舞伎にくわしい人に会うと、冒頭の「赤」を見せる演出のこと、聴いてみていますが、いまだに「そうそう、それはネ」といって、うんちくを傾けられたことはないです。
 遠近法といえば、時代劇映画のセットの話もおもしろかった。セットの面積や製作費節減の意味合いで、塗り塀を奥へ行くほど小さく作る。あらかじめパースのついたセットの話です。
 ねずみ小僧が千両箱を小脇に、屋根の上を走ってくと見ると、ひょいと瓦屋根のついた塗り塀の上に跳びのった。ここからトーンと地面に降りてタタタタと逃亡するとこですが、この時、役者は動きについて予め監督から禁じ手を出されます。塀からとび下りて、決して奥へ走っていってはダメだ。もし、そうすると逃げるにしたがって、ねずみ小僧が巨人化する。この話も私にはツボでした。
 図書館で絵や写真の入った本を見るのが好きで、それが科学の本でも歴史の本でも心理学の本でも絵さえ入ってれば見る。アメリカの通俗科学本の翻訳で、ビジュアルの沢山入った心理学の本にエイムズ博士がつくった「エイムズの部屋」という写真がのっている。
 これが実はゆがんだ部屋で、ある一点から見ると、ふつうの部屋に見える、という装置です。立つ位置によって、人物の大小がめちゃくちゃになる。コドモが大人より大きくなったり、ネコがコドモより巨大になったりする。

15回2
 時代劇のセットは倹約が目的でしたが、このエイムズの部屋は、びっくりしておもしろいという以上に、とくに学問的な理論に寄与したわけじゃないっていう説明文に私はすっかりエイムズ博士を尊敬してしまったものだ。
 このエイムズの部屋は、のぞき穴の一点からしか、これが見られないことになっているのだが、のぞき穴の壁をとりはらうと、とんでもなく歪んだ部屋が出てくるところが、またとてもおもしろい。

15回3

 マルセル・デュシャンの『遺作』が、のぞき穴から見る、というのは、フィラデルフィアまで出かけていかないと、作品が見られないという一点性がよく言われるんだけど「遠近法」が発明されてからずっと、西洋絵画の視覚は一点に消失する特殊な定点アングルだったことも示唆していたのじゃないか? と私は思う。
 木村先生も、遠近法は眠くなるでしょ。とよく言っていました。高速道路がくねくね曲がってるのは「あれはいねむり運転の防止のためなんだ」
 ほんとかどうかは、わからない。'70大阪万博の広場の動線デザインが話題になった時、木村さんの意見は、動線がどうとか流れがよくなるとかそんなことばかりがいいわけじゃない。滞ってケンカがおきたりするのもおもしろいじゃないかと言うんです。
 時代がそうだったとも言える。その頃、寺山修司が深夜放送で、
「夜中のまちがい電話は都市のコミュニケーションだ」と発言したのを聴いて、私の友人の上杉清文は、寺山修司の電話番号を調べて夜中に電話した。本人が出てきて「キミ、いま何時だと思ってるんだ?」というので「2時ですが?」といったそうだ。
「寺山修司も案外常識があったね」と上杉清文は言っていて、なるほどコミュニケーションはとれたというわけだ。
 当時は、学生がいきなり有名人の電話番号を知れたし、中には実際に会話したヤツもいたっていう話。「常識がある」って評価するのは、当時はむしろめずらしい考え方だった。
 岡本太郎は『坐ることを拒否する椅子』を作ったし「コップの底に顔があってもいいじゃないか?!」とTVで主張するので「べつにいいですけど」と私は口答えしていた。
 木村さんの話が脱線する感じを、ちょっとシミュレーションしてみた。そういえばシミュレーションてコトバも覚えたのは木村さんの授業だった。木村さんは好きなものの話が好きだった。
 映画はセシル・B・デミルとか大がかりなのが趣味。『十戒』でモーゼの前で海が割れるシーン、あれをどうやって撮ったのか、説明された時は、たいそう熱が入っていた。
 ヒッチコックも好きで、『めまい』で、キャメラを後退させながらズームする映像とか、切り替えなしでキャメラが移動する、外から屋内に入るのに、ガラスを突き抜けてきたように見える話とか、拳銃を持つ手越しの映像を、どこもかしこもピンのくるパンフォーカスにしたいから巨大な拳銃を持つ手のつくりものを作らせた話とか、すべてが私の興味のドストライクなのだった。
 ホログラムの話をはじめて聞いたのも木村先生からだったし、極小カメラをハエにつけて撮った映像が見たいとか、主に視覚に関する愉しみが多いのは、私の記憶の偏りもあるかもしれない。
 レヴィ=ストロース、鶴見俊輔だけでなくマーシャル・マクルーハンも、ヴァルター・ベンヤミンも、ジャン・ボードリヤールも、木村先生経由でなかったら、ずっと知らないでいた人名だろう。

 

 

 

(第15回・了)

この連載は月1更新でお届けします。
次回2016年11月30日(水)掲載