私のイラストレーション史 南伸坊

2017.7.31

23長井さんはすごい人

 

 長井さんの原点は「今川焼きの袋貼り」だったと前回書いた。
「物語をつむぎ出す人を尊敬する魂」「面白い思いをさせてくれた人を尊敬する気持ち」である。
 出版業界の人々の中にも、子供の頃から文学が好きで、マンガが好きで、自分も小説家や漫画家になりたい、それがダメなら本をつくる仕事につきたい、と思って業界に入ってくる人はたくさんいるだろう。
 しかし、貸本業界や、エロ本業界ではそういう人は少なくて、とりあえず金儲けができる。一発当てたら大儲けだ、という人の方が多かった。いまじゃ考えられないけど、終戦からしばらくは出版は「儲かる商売」だったのだ。が、それも長くは続かなかった。貸本業界から不景気になっていく。
『木枯らし剣士』でデビューした白土三平は、貸本用の出版社に出来上がった漫画を持ってはしから売り込んだ。火の車の出版社ばかりで門前払い。もう一社回ってみて、ダメなら、もうマンガ家を諦めよう、と決めて入った最後の一社が長井さんのやっていた三洋社だった。
 作品を見るなり長井さんは「あ、『木枯らし剣士』の白土三平さんですね」と言ったそうだ。いままで回った出版社とは、まるで対応が違っている。
 長井さん自身は、商売や世の中を見るカンにも自信はあったろうけれど、この対応が出来たのは、長井さんが持っていた「尊敬力」だったと私は思う。作者の顔の知れることのなかった当時、いきなり作者をいい当てられたのは、その作品を面白く見ていたからだ。
 このことは、長井さんご自身から聞いたのではない。『ガロ編集長』という本で、はじめて知った。知ってからなるほどと私が納得したのが、長井さんのところに様々な才能が集まってくる理由である。
『ガロ』の編集を主導したのは、実際には白土三平さんであったろう。若い読者や、漫画家たらんとする人々に、三平さん自身がコラムで呼びかけていたし、水木しげるさんや滝田ゆうさんに声をかけて『ガロ』の主軸を作ったのも三平さんだ。既に描かなくなって、行方もわからなくなっていた、つげ義春さんに『ガロ』誌上から呼びかけたエピソードも有名だ。
『ガロ』はまず、作者同士のつながりなのである。が、それも長井さんの「尊敬力」があったればこそなのだ。と私は思っている。
 資金に余裕のあった時も、原稿料がタダの赤貧の時も、さまざまな才能が集まってきたのは『ガロ』に載ったそれまでの「作品」の力と長井さんの「尊敬力」のなせる業である。
 たとえば「入選作」を選ぶときに、それはあらわれる。つまり「出版界の常識」にも「資本の論理(金儲け主義)」にも、とらわれない判断ができるのは、この稀有なキャラクターに限られるのだから。
 たとえば、川崎ゆきおの入選作「うらぶれ夜風」である。私が入社した直後だったと思う。これが入選して「アッ」と驚いたのは私だけではなかったろう。

川崎ゆきお1 「長井さん、スゴイねえ」
と赤瀬川さんも言った。アレを入選させるって。普通できない。でも、おもしろいんだよね、読んだらおもしろい。佐々木マキさんは既に、川崎ゆきおのファンになっていた。コマの細部やセリフのおもしろいのを話題にしていた。
「あれを入選させる勇気はどこからくるんですか?」と私は直に聞いてみた。長井さんの答は、
「おもしろいから」
 絵は描いていれば、みんな上手になる。どんどん描けば、どんどん上手になる。これは私自身も、後に実感したことだ。自分がやったデザインやイラストレーションがちゃんと商品として、形になるごとに少しずつ「わかる」ことがある。自信もつく、つまり上手になるわけだ。
 それにしても、どうだろう、この絵である。
「ガロに『しか』載らない」という言い方が、当時も、その後の投稿家の間でも有名だったらしい。『ガロ』じゃない、いわゆるレッキとした漫画誌では、どういうシステムで採用が決まるのか私は知らないが、まず、一人の編集者の独断ではないはずだ。「上の人」がいるし「常識」や「前例」は無視できない。
 そもそも、もともとそうした常識を持った人々が、編集者になれたのだ。
 少年誌には少年誌の、少女漫画には少女漫画の描線やスタイルがある。斬新すぎる画は、読者に受け入れられない。受け入れられなければ儲からない理屈である。
 ここを突破できるのは「袋貼り魂」の「尊敬力」「極度の面白好き」しかないのであって、それはつまるところ『ガロ』にしか望み得ないものだった。
 ところで、斬新すぎる画風は、どうして生まれてしまうのか? それは描き手のモチベーションが少年漫画や少女漫画の外側からやってくるからである。川崎ゆきおのモチーフは、おそらく江戸川乱歩の戦前の挿絵だろう。ジャンル違いからの引用だ。

川崎ゆきお22

川崎ゆきお3

 花輪和一は伊藤彦造のキャラをモロに引用した。しかし、文脈はまるで違っている。異常に妖艶な美男がナンセンスなセリフを吐く。

花輪和一1

花輪和一2

 蛭子能収は、横尾忠則とゴダールのファンである。モロに横尾さんの描法をとり入れているのだが、本人の個性がムキ出しで、それと気付けない。

蛭子能収2蛭子能収3  オリジナルに似ないのは、ヘタだから、でもあるけれども、それより自分に描きたいものがあり、描きたいようにしか描けないからでもある。
 結果、それぞれの絵は、引用したオリジナルとは似て非なる「魅力」を持つことになる。その部分を「尊敬」し「支持」してくれる人があるからだ。

蛭子能収 4 蛭子能収1  常識ある編集者は、これを理解できない。なんで今、わざわざ戦前の古くさい絵をもってくる? なんで今、猟奇なの? なんでエログロナンセンスなの? とわからないでいるうちに、世の中が変わってしまうのだ。
 稚拙にしか思えない、乱歩や伊藤彦造の引用や、ヘタの横好きの横尾忠則である。あれはイラストの絵で、マンガはマンガの絵で描かなけりゃ、と考えるのが常識ある編集者というものである。
  長井さんに、時代の先が見えていた。と考えるより、モノを作る人というのは「自分の好きに作るのだ」ということをわかっていたということだろう。
 先が見える人、金儲けのうまい人はそんなことはおかまいなしだ。
 「つげ義春増刊号」を担当した高野慎三さんは、巻頭二色の描き下し『ねじ式』を、長井さんに見せたら没にされると思ったらしい。だから独断で原稿を入れてしまって「既成事実」にしてしまおうと考えた。
 この気持ち、私はとてもよく分かる。私も同じことをしたのだ。後に書くことになるだろう渡辺和博の入選作も、安西水丸の入選作も、あの湯村輝彦×糸井重里の「ペンギンごはん」さえも、既成事実の事後承諾だった。
 そしてその時は、自分でも「何事かやった!」気持ちでいたのだが、今では違う考えを持っている。
 長井さんは、それらのマンガを、結局、みんな面白がったからだ。もし、「う~ん」とウナることがあったとして(もちろん仮定だ)、いずれ分かってくれるし、何がなんでも反対するという根拠が元々ないのだ。
「モノを作るひとというのは、自分のしたいことがあるのだ」そのことがわかっているから、長井さんは三平さんと組んで仕事ができたのだ。もう出来上がっている「儲かる人」を拝み倒して、始めたわけじゃない。
 私の仕事の仕方にも、長井さんはなんでもOKだったわけじゃないハズだ。いままでご自分が作り上げた『ガロ』の伝統を、ミナミが好き勝手に壊してしまっている、とあるいは思ったこともあったかもしれない。
 でも、編集に関して任されてからは一度も口をはさまれたことはない。
「ミナミはミナミなりにやりたいことをやってるのだ」
と、わかってくれていたに違いない。
 まわりが見えなくなっている私に
「ミナミ、あんまり凝らんでいいぞ」
というのと、連日遅刻していた私に一年一度の忘年会の時にだけ
「チコクはな……なるべくな」
と一言いわれたきりだ。
 私は、やりたいように、したい放題にしていた。だから楽しくてしかたなかった。連日遅刻したが、連日ひとり残業をしていた。やりたかったからだ。
 つまり、したい放題に「残業していた」。

 

(第23回・了)

この連載は月1更新でお届けします。
次回2017年8月31日(木)掲載