私のイラストレーション史 南伸坊

2017.8.31

24アベシンとオージ

 

 もう少し、自分ではおとなしくしていたつもりだったのだが、あのころ私はおどろくほど「ヤル気十分」な若者だった。
 入社したころ、「ガロ」の表紙は水木さんの『星をつかみそこねる男』の近藤勇の絵(1972年7月号)が届いていたころだったから、5月か6月だったろう。一ヶ月経ったころに、長井さんは私に表紙のレイアウトを任せてくれた。

①水木しげる絵
 池上遼一さんの『おえんの恋』のおえんが雨の中で傘をさしている絵だ。紫の着物を着ていて、柄はえんじか赤紫、ほぼ同色を「ガロ」のロゴの下に、赤と赤紫を月号と作者名のバックにした。同色系でまとめたのだが、色のスペースのバランスがヘタだ。

②池上遼一絵
 出来上がってきた表紙を見て、私はガッカリした。ヤベー、と思っただろうが、ヘーキな顔をしていた。長井さんもヘーキな顔をしている。
 もちろん長井さんは、デザインの勉強なんかしちゃいない。が、長年、雑誌を作ってきたのだ。出来がいいか悪いか、そんなもの一目で分かるはずなのだ。が、一言も口は挟んでこない。
 ばかりか、自分で今ビックリするのだが、入社二ヶ月目にして、表紙のレイアウト、目次のリニューアル、だけでなく、まったくの新企画で「特集・猟奇の徒もののけの全貌!!」っていう文章ページを、勝手にでっちあげている(さすがに、こんなことをしたい、と断ってはいただろうが、覚えがない)。
 つまり入選してまだいくらもたっていない川崎ゆきおの作品論を、佐々木マキ、赤瀬川原平、淀川さんぽという錚々たるメンバーに絵入りで書いていただくというページだった。
 そうしたニギワカシをして、なんとか元気な誌面にしたい! 一心だったろうけれども、「なにを始めたんだ」と不愉快な人々も沢山いたことだろう。
 今はそう思うけれども、当時はつゆほどにもそんなこと考えなかった。長井さんは、とにかくコイツの好きなようにさせてみようと思っていたのだろう。
 この「特集路線」は次に鈴木翁二、花輪和一とつづけたものの、そこで息切れしたのか唐突に尻切れトンボに終わっている。
 当時、一緒に呑みにいったりする間柄になっていたアベシン(安部慎一さん)に、「なんで翁二は特集されたのに、私の特集はないんですかあ」と言われたとき、私はアベシンはからみ酒だな、と思っていたのだが、どう考えても、アベシンが正しいのだ。
 当時の「ガロ」は、安部慎一、鈴木翁二、古川益三の123トリオがメインだったのだから。
 川崎ゆきおや、花輪和一をとりあげながら、安部さんにも古川さんにも、ふれないでいるというのは、ほんとうにオカシイ。

③鈴木翁二絵

④花輪和一絵

⑤安倍慎一絵
 アベシンは当時、毎月のように描いていてその絵柄が急激に進化していた。
 「私漫画」ともよぶべき新機軸のマンガであって、貧乏で酒場でギロンしてケンカして、どしゃぶりの中で土下座したりと、青春まるだし、まっさかりの世界だ。そのまんまの世界に私は呼び出される。編集者として、一歩下がってと遠慮しているのは、はじめだけ。からまれて腹を立てて、思わず言い返したり、大きな声を出したりして、ケンカみたいになる。その気分のまま、翌日出社して仕事をしていると、昨日の酔っ払いが、そのまま遊びにくる。
 無視していると「南さん、冷たいじゃないですかあ」と、話しかけてくる、というような関係になっていた。
 安部慎一特集が実現しなかったのは、きっとそんな「個人的事情」によるものだろう。横暴なひどい話ではないか、まるで編集の私物化である。が当時はまったくそんな風に思っていないのだ。
 私には、安部慎一(アベシン)のマンガがとても新しいことをやっている。とてもおもしろいことを始めている、という認識も尊敬もあったのだ。
 おそらく林静一さんの『赤色エレジー』以降の描法を手本にしていたらしいタッチ。マンガの1コマずつを、あらかじめ写真で撮って、それをマンガに描き起こしていくっていう手法なのだが、その手法で、鈴木翁二、古川益三という二人の友人をモデルに、写真を撮りながら、二人のヤリトリがそのままマンガになるっていう『無頼の面影』は、ドキュメンタリーみたいな、とても斬新なマンガになった。

⑥アベシン1

 この写真から起こす絵が手法として練れてくると、ストロークが滑らかになり、顔がイキイキしてくる。はじめからマンガのキャラクターを動かすというより、写真を引き写しながら「表情」を際立てたい気持ちが、線に現れるという、通常とは違う道スジで絵が出来てくるのだ。
 定型の表情ではないいきいきしたニュアンスがそこには現れてくる。
 風景や室内の表現もいわゆる「背景」というものと違うニュアンスを持ってくるわけだ。

⑦アベシン2

 沢山描くことで、線はのびのびしてきて(のびのびしすぎる部分もあるのだが)、絵としての「発明」が様々あった。たとえば、強烈な陽あたりの野原に、咲き乱れる花を表現するのに、ペン描きスミ入れののちに、ホワイトで「描き」込んでいく手法は、従来の描き方では、表せない効果をつくった。
 ヌードの線描もリアルで生々しく、そこもアベシンのマンガの魅力だった。やはりアベシン特集は、あの時点でやっていなくてはおかしいのだ。

⑧アベシン3
 一方、鈴木翁二の絵には、私は入社前から惚れ込んでいた。『透明通信』以後、少年を主人公にしたいくつかのマンガは、アベシンの方法とは違って、自分の少年時代のイメージや童話や童画の先人の著作物から得たイメージで作り上げる世界であって、その意味では、花輪和一が伊藤彦造や椛島勝一のペン画を、とり入れているのに似た方法だった。
 私は、その完成度に魅力を感じていたのだったが、そのうち本人は、そのやり方に少しずつ物足りなさを感じるようになっていたみたいだ。

⑨オージ1⑩オージ2⑪オージ3
 同年輩のアベシンと呑みながらの文学談義もマンガ談義もあっただろう、ギロンするおたがいに影響しあうものがあったと思う。益三もふくめて、三人の絵のタッチは、どんどん荒くなっていった。
 赤瀬川さんが『おざ式』でそのあたりをヤユしたりもしているのだが、きっとそのころは「そのように描く」ことが、自分たちのその時の気分を表現することだったのにちがいない。二人の絵は、時代の気分を表していて実際に、イラストレーションとして、注文が来ていた。創刊したばかりの『ワンダーランド』で『太陽』で鈴木翁二のイラストレーションは新味で目立っていた。
 イラストレーション界にとっては、残念なことだけれども、鈴木翁二も安部慎一も、そのころは自分はマンガ家でイラストレーターじゃない、と思っていただろう。
 つげさんがやはり、いつもそんなふうに言っていたものだ。自分の絵はマンガの絵だから……イラストには向いていないんだ。
 一方、私はといえば、全然そう思っていなかったばかりか、「ガロ」のマンガ家たちは、もっと外の世界の、たとえばイラストレーターの絵のセンスを学ぶべきだ、と思っていたのだった。
 もっと自由に、いろんな描き方をしていいんじゃないか? と思って、なんとかそこをかきまわしたいと思っていたのだった。
 それはすでに、佐々木マキさんや林静一さんによってなされていたのだし、現に、安部慎一さんは「そこ」から「そのあと」を始めていたのだったが。
 私はもっとロコツに、「ガロ」の絵を変えていきたかった。

 

(第24回・了)

この連載は月1更新でお届けします。
次回2017年9月29日(金)掲載