私のイラストレーション史 南伸坊

2017.10.4

25渡辺和博とヘタうまイラスト

 

 渡辺和博が「へたウマ」を世間に認知させたイラストレーターであることを、否定する人はいないだろう。イラストレーションプロパーではなく、それが認知されたのは、いうまでもなく「マル金」「マルビ」の『金魂巻』の大ヒットによっている。
 私はしかし、渡辺和博のほんとの傑作は、『ガロ』に掲載されたマンガ(『お父さんのネジ』という単行本に収められている。青林工藝舎刊)と、オタク論『ホーケイ文明のあけぼの』(朝日出版社)だと思う。渡辺和博(ナベゾ)の天才がバクハツしている。

お父さんのネジ
 今回は、ナベゾのデビュー作について書こうと思う。ナベゾのデビューは師匠・赤瀬川原平のサジェスチョンに始まっている。

ナベゾA

ナベゾB

 赤瀬川さんは、二年目くらいから美学校の先生が少しおもしろくなっていたかもしれない。ある日生徒に
「私の初体験」
というテーマで作文を書かせたのだという。
 教室の名称は「絵文字工房」だったか「考現学工房」だったかだ。
 「絵文字」といい「考現学」といい一体どんなことを教えるのか、たいがいの人はわからないだろう。
 私が生徒だった時は、美学校へは「赤瀬川原平」を習いにいってると思っていた。赤瀬川さんも始めのうちは、レタリングやらペン画やらの「収入につながる技術」を教えているつもりだったかもしれないが、結局「赤瀬川原平」を教えればいいのだと、そう思うようになっていたと思う。
 そうであれば「私の初体験」という題で作文を書かせる授業があっても少しもおかしくない。宿題をやってこない罰ゲームで「一円の買い物をして領収書をもらってくる」という出題をする。さらにその一部始終を詳しくレポートさせるということをしてみると、生徒はそれぞれさまざまに工夫してそのレポートはすこぶるおもしろい。
 それなら罰ゲームじゃなく、そのまま始めからカリキュラムにしよう。というふうなことで、新しいカリキュラムが次々に加わっていったのだった。
 ある時は新聞紙を、人数分にカッターで分割して一人ずつに配り、それを五倍寸に模写させた、思えば千円札を模写した「赤瀬川原平」を追体験させる授業だった。課題が完成してから「千円札裁判」の話を聞いたり、作品写真を見せられれば、単に現代美術史を暗記するのとは違う理解が得られる。
 ところで、渡辺和博(ナベゾ)は、子供の頃から新聞をスミからスミまで熟読するコドモだった。天気図も、なんなら株式欄さえ熟読してたのではないか? 頭の中に新聞の文体がすっかり納まっていた。
 たとえば『Z燃料のナゾ』というマンガに、「模型店主逮捕」の三面記事のコマがある。もちろん架空の記事だ。ヘタクソな手書き文字で書かれたその文章をたどっていくうち、本当の新聞を読んでいる気分になってくる。
「広島西警察は広島市堺町二丁目35、模型店ワカバモケイ経営相田正久(45)を銃砲刀剣等取締法違反と火薬類取締法違反で逮捕した。調べによると相田は去年の10月ごろから先に逮捕された暴力団大山組組員、住所不定田所修(38)と共謀し自分の店で売っているモデルガンを改造して改造けん銃を作っていたもので取り調べに対し相田は『モデルガンを改造して何が悪いか!』と悪びれたそぶりも見せず……」という具合。どうだろう、この文章のリズムと安定感。作者はこのコマをあきらかにスミからスミまで読ませようとして描いている。なぜか? それが楽しいからだ。
 私は大人になっても新聞をくわしく読まない方の人間なのだが、このコマを読むのは楽しい。ナベゾがおもしろがっているその気持ちが伝染してくる。
 赤瀬川さんもまた、新聞をスミからスミまで読む人だった。尋ね人や求人広告の欄、アパート、マンションの三行広告と、むしろ本筋より辺境へ向うこの性癖は、自身が新聞記事にされた時からさらに深化しただろう。
「自称前衛画家がニセ千円札」という見出しがつまり新聞の正体である。「自称」と蔑称された画家こそが、この時点で世界最先端の前衛だったという事実が指し示すような、新聞の正体。
 ナベゾは、あまりにも新聞を愛読するコドモであったために、かえってこの正体に気がついていた。このことはのちにナベゾを、どんなことがあっても「月並な発言はしない」キャラクターに育てた。いかにもな、つまらないことを言うくらいなら、ヘンだと思われたって黙っているほうがいい。
 さて「私の初体験」である。この話はまちがいなく事実であろう。
 初体験といったらはじめての性交のことだろうと素直に受けとってほんとうの事実をありのままに書いた。
「それが、すごくいいんだ」
と赤瀬川さんは言って
「アレ、ナベゾにマンガにさせたらどうかなァ」
とプロデュースしてくれた。
 私はそのままをナベゾに伝えて、マンガ化を熱心にすすめた。
やがて、マンガの形になったその「作文」を見て私もまたそのおもしろさにびっくりしたのだ。誇張や作話をしていない〈のに〉おもしろいのは、ナベゾの目のつけどころがいいからだ。
 ただ、最初の絵はあまりにも不親切だった。サービスがなさすぎだと思った。せめてモノがそのものに見えるように描いたらどうか、と私は注文した。
 薬局の店頭、スキンの自動販売機、はずかしいのでそれを買いにきたフリをしたバンドエイド。
 ナベゾは素直な顔でそれを聞いていて、あくる日には、注文に全部こたえてくれた。
 新ジャンルの、作文マンガ「私の初体験」はこのようにして、「ガロ」に入選した。

ナベゾCpsdナベゾD
 事後承諾だったが、長井さんはこのマンガをとても、おもしろがってくれた。
 私がおどろいたのは、ナベゾが入選してすぐ、すかさず第二作「公園の夜」を描いてきたことだった。こんどはまるっきり注文の必要もない。いきなり完成していた。絵も、がぜんよくなってる。一を聞いて十やった、というより、もともとやりたかったことに自信を持ったというふうだった。
 いま、『お父さんのネジ』で初出一覧を見てみると「公園の夜」は入選の三号後になっている。私の記憶ではすかさず翌月にはもう描いて持ってきたことになっていたのだが。
 たてつづけに描くようになったのは、むしろ三作目以降からだった。まるで、つげさんの「奇跡の三年」みたいにナベゾも1977年~79年にかけて毎月のように16Pくらいの作品を生み出している。
ナベゾE おどろくと思う。これらのマンガは、すべて原稿料ナシなのだ。描きたい気持ち、おもしろがらせたい気持ちだけが、これだけの作物を生み出していった。
 一作ごとに絵は洗練されて、どんどんサービスが豊かに味わい深くなっていく。クルマ、ファッション、新製品、変態趣味、それらのナベゾの好物の魅力が惜し気もなく披露される。それを可能にしたのは、実家からの潤沢な仕送りによる経済的余裕もあったろうが、それよりなんといっても、本人の「人を楽します」「自分の好きなものを描く」よろこびが、その原動力になっていた。

ナベゾF
 ゴッホは生涯で、たった一枚の絵しか売れなかったそうだが、あれだけの量の絵を描いた。弟が絵の具代や生活費を出してくれていたからだが、当人の情熱が絵を描かせたのはまちがいない。ゴッホは、画家として「のしあがろう」、「成功して金持ちになろう」、という目標をハナから持たなかった。「のしあがって成功した人」にも、「金持ちになれた人」にも、このことはうすうすわかるだろう。作品を生みだすのは情熱である。
 ナベゾはイラストレーターとして成功したい、と思っていただろうか? 「否」。ナベゾのイラストの魅力は、自分の愛するもの、コドモや、動物や、ちょっと偏差値低そうな青少年や、世の中にうまくとけこめないでいるヘンタイや変人や、沖に汽船の浮かぶ海の景色や、最新式エンジンや、そういうものすべてを、カワイク描いて、みんなに見せたい。その気持ちがかもしだすものだ。
 その絵は、見れば見るほど、カワイイ。
 残酷なシーンや、シビアな「差別ネタ」のなかに出てくるワルモノまでもがカワイイ。
 私が思うのにその絵はピカソが描きたいと熱望していた「こどもの絵」のようだ。
 ヘタうまのイラストレーションの魅力というのは、よく言われているように、ほんとは上手なのにわざとヘタに描かれた絵というのとは違う。
 こどもの絵にあるような魅力を、なんとかして描き出したいという努力なのだ。ところが時に、「努力しないでも」こうした魅力を描き出せてしまう人というのがいる。ナベゾがまさにそうだったし、安西水丸さんが、そうしてなんといっても湯村輝彦さんがそういう、つまり「天才」なのだった。

 

(第25回・了)

この連載は月1更新でお届けします。
次回2017年10月31日(月)掲載