私のイラストレーション史 南伸坊

2018.2.8

28鴨沢さんとたむらさん

 

 1975年鴨沢祐仁さんの送ってきた投稿作も、たむらしげるさんの送ってきた投稿作も、すでに投稿家のものではなかった。
 つまりプロの仕上がりだった。それぞれに違っていながらなんとなく横並びになっているガロの絵柄にイラストレーション風の絵柄を導入して新風を吹かせたかった私は「キタ~~!」と机を叩く思いだった。
 「イラストレーション風の絵」という言い方は、今の人には奇妙にきこえるかもしれない。現在、イラストレーションとかイラストとよばれる絵には、あらゆる画風が含まれている。スーパーリアリズムの油絵から、エンピツ描きのラクガキみたいな絵まで、アニメ風だったり、少女マンガ風だったり、それこそガロ風の絵であっても、イラストレーションとして使われれば、それはすべてイラストレーションだからだ。
 今、イラストレーションというのは、「絵の使われ方」を表わすコトバであって、つまり原語のillustration本来の意味範囲におさまっている。
 しかし、私がこのころ『ガロ』誌上にもち込みたいと思っていたイラストレーション的画風というのが、当時はあきらかに「ジャンル」としてあったのだ。
 鴨沢さんも、たむらさんも、投稿当時デザイナーだった。ざっくり言ってデザイナーが絵を描けば、それはイラストレーションになる。くらいな、絵柄のセンスだったといえるかもしれない。
 『ガロ』には、もともとメジャーな少年誌や、少女マンガ誌のような「様式」というものがなかった。それぞれが工夫した画風が混在していたのだ。それぞれの工夫はプロのそれだったのだが応募の新人はいわば音楽の世界を席巻した「フォーク」のアマチュアリズムそのままのような画風だった。
 時代を映していたという意味でそれは意味のあったことかもしれない。
 ところが素人っぽくて稚ないフォークを私は嫌いで、嫌っているから実際のところどんな人がどんな曲をつくって、歌っていたのかもまるでわかっていなかった。編集者として、大いに問題だ。
 実際、26才年長の長井さんは、伝説のライブハウス「ぐわらん堂」に出入りしていたのだし、鈴木翁二も安部慎一も古川益三も、酒を飲めばギターをかき鳴らし、自作のフォークをがなっていたのだから。
 とにかく、いきなりプロっぽい二人の漫画を、一目見て私はうれしくなった。すぐ入選させたかった。「長井さん、これ、いいですよ、すごくいいです!」と進言した。
 たむらさんと鴨沢さんの、どっちが先に投稿してきたのだったか、どっちが先に入選したのだったかよく覚えていない。ほぼ同時期だったと思う。
 鴨沢さんの入選作『クシー君の発明』は、1975年発表だと、検索すると出てくるのだが、たむらさんのネズミのでてくる4コママンガは、検索にひっかかってこない。っていうより忘れてしまった私がいけないんだけどね。
 しかし、いずれも投稿と同時に入選した。たむらさんの4コマは、上品で、センスのいい、洒落た、楽しいマンガだった。まるでガロ風ではなかったが。
 鴨沢さんの『クシー君の発明』は、4コマなのだが、いわゆる4コママンガとはまるで違う。ちょうど稲垣足穂の『一千一秒物語』を絵にした感じの新しいスタイルだった。ワイシャツで下半身裸の少年が、プラグをお尻にさし込んで、望遠鏡をのぞいてるっていう、風変りなシチュエーションもまァ足穂といえば足穂だが、冗談のようでもあり、しかしその絵柄はひどくマジメなので奇妙な味がある。

1クシー君の発明  『訪問者』の4コマは、少年が宿題をしてるところに火星人がやってくるのだが、火星人はちょっと旧式のただのオトナであってハーモニカを演奏して帰っていくという、とぼけてるのかナンセンスなのかファンタジーなのかよくわからない不思議なマンガだった。
 たむらさんはその後、ストーリーマンガで、昔風の冒険少年物語を描き出して、描線もストーリー運びも、その後に続く作風を着々と確立していった。
 鴨沢さんも『クシー君の発明』を、ストーリーマンガに発展させていくのだが、画風がおそろしく細緻に精密になっていく。

 

2どんどん細かく
 当時は気がついていなかったのだが、この二人の作風や絵柄には、その前年の1974年9月号に載った、佐々木マキさんの傑作『六月の隕石』が大きく影響していたと思う。
 異国の街の不思議の骨董屋が舞台の、壮大にナンセンスな作り。骨董屋に置かれた玩具やオブジェのどれもが魅力的だ。

3佐々木マキ「六月の隕石」
 「自分も、こんな世界を作ってみたい!」と激しく二人はそそのかされたと思う。結局、傑作を作らせるのはいつも傑作なのだ。優れた作品に出会うというのが一等強力なモチベーションである。
 もっとも、自分の技量や力量が、その意欲を削いでしまうこともある。自分もこんな世界を作り出したい! と思っても、でもこんな絵描けないもんなぁと思えば事はかなわない。二人には力量もあった、自信もあったろう。
 もちろん、このことは私の勝手な想像だ。二人にたしかめたわけでもない。描き手としての私の気持ちをそのまま投影すれば、火を見るように、そう思うというだけだ。
 二人の生み出した傑作もまた、誰かをかりたてただろうと、私は思う。
 二人はイラストレーションの世界へ、コマーシャルデザインの世界に請われて作品を提供するようになる。

 

4たむら絵本

5たむらイラスト

6たむらマチエール
 実際たむらさんは、その分野もアニメーションや絵本や広告やと、どんどん広がっていったし、コンピュータを早くから使いこなして、自分だけのマチエールも作っていった。その才能がのびのび開花していた。大成功である。

 

7鴨沢Iイラスト
 鴨沢さんも、あちこちでその仕事を見てうまくいっていると私は思っていたのだが、鬱屈があったらしく、アルコール依存やうつ病を発して56才という若さで亡くなった。
 完璧を望むがゆえの悩みだったのか、あるいは、その鬱屈が、あの世界を創り出していたのか、それはわからないけれども、見るからに一人でこなすのは不可能に見える仕上りとその仕事量(求められたというより、自分から過剰に課したような)その完璧主義につぶされたのじゃないかと私は思う。「〆切を守らない」という周囲の不満の声も聞こえてきていた。鴨沢さんにもっと合った仕事のしかたがあったかもしれないと思うととても残念だ。

 

(第28回・了)

この連載は月1更新でお届けします。
次回2018年2月28日(水)掲載