私のイラストレーション史 南伸坊

2016.1.20

06似顔絵とポスター

 

 はじめて、今描いてるようなスタイルで、似顔絵を描いたのは1960年中1の時だった。と、こんなにくっきり覚えているのも不思議なんだけど、そういうものを描いてみたいとか、誰かのマネをしたいとか、そういう動機もなかったのが、なんだか不思議だ。
 これが和田誠さんが、似顔絵をどんどん発表されてる時期だったりすれば、むしろ、スッキリ納得するんだけど。
私のイラストレーション史私のイラストレーション史7-2  描いたのは図工の時間だったと思うんだけど、どういう状況だったのかがハッキリ思い出せない。お互いに同級生と向い合って写生したんだったか、なんでもいいから自由に描け、といわれて描いたんだったか。
 ぼくがモデルにしたのは、ババさんていう女のコで、美人。ぼくはババさんにおもねって美人に描いたと思う。
 下心がすぐ察知されて「南くん、ババさん好きなんでしょ」
と、ほかの女のコにいわれてしまった。
 絵は、だから「ともだちの肖像」とかじゃなく、描かれた本人によろこばれたくて描いた「似顔絵」だったのだ。
 この似顔絵を描いたことと、もうひとつ、ババさんについて思い出すことがあるんだけど、そのことと似顔絵との前後関係が、あいまいになっている。
 池袋中学は、三つの小学校から生徒があつまってきているので、そうでなくても団塊で人数の多い頃なので、校舎が足りない。プレハブの小屋のような教室が急造されたりで、校庭が著しく狭くなっていた。それで運動会を立教大学のアメフトのグラウンドを借りてやったのだ。
 ぐるりに土手がめぐらしてあって、観客席みたいになっているんだけど、そこに寝そべって、三人でおしゃべりをしていた。
 私のとなりに、ババさんがいて、そのむこうにNくん、するとそこに、5組のKくんがきて、知らない誰かとまん前で立ち話をしだした。Kくんは陸上部だから、陸上部の競技用のトランクスをはいている。
 股上が短くて、すそが広がってるタイプ。このパンツをはく時には、下にサポーターをつけるもんなんだけど、Kくんがサポーターをつけてないもんだから、もうモロにチンチンが見えまくりだ。
 あの陸上のパンツって、そうじゃなくたって、なんかの拍子に、中味が見えちゃう構造なのに、こっちは地ベタに寝てるわけだから、なんていうかあの「生まれ変わったら道になりたい」っていった人が寝そべってる道のすぐそばで、超ミニで立ち話してる女のコみたいなことになってる。
 しばらく三人で、そんなに見たいわけじゃないKくんのチンチンを、デッサンできるくらいにじっくり見ちゃったわけだけど、Nくんが、急に男として、Kくんの名誉を挽回してあげたくなったんだろう。
「Kくんて、都大会とかにもでてて、記録も持ってるんだ」
 いかにKくんがすごいかもうぜんと主張した。さらに
「べんきょうだって学年で何番だ」
とかダメ押しもした。Nくんが一息ついた時だ。ババさんがボソッと、
「でも見えてたよね」
と、そのタイミングが、めちゃくちゃおかしくて、このガリレオ・ガリレイみたいなババさんを、私はめっちゃくちゃ気に入ってしまったのだった。
 だが、その前後関係が、やっぱりくっきり思い出せない。もともと美人で、好きだったのがこの発言で輪をかけて好きになったのか、このガリレオ発言で、すっかり好きになったので、似顔絵まで描きたくなっちゃったのか。
 その後、ババさんとは、どうともならなかったのだが、中学生時代の思い出として、くっきり私のイラストレーション史に残ったというわけだ。
 中2になるとクラス替えになった。一クラス55人で16クラスだったか17クラスあったと思う。ものすごい人数。
 ぼくらが中学生になった年から、学級委員を生徒同士の選挙で選ぶようになっていた。一年上までは学級委員は級長で、級長は先生が成績のいい子を任命していたわけだが、生徒に民主主義を学習させよう、ということで制度が変わったものらしい。
 私は中2の頃から、ときどきズル休みはする、遅刻は常習、という困った生徒だったが、授業中にダジャレをかましたり、先生をからかったりするので、わりあいクラスで人気があった。学級委員の選挙といっても、結局人気投票みたいになるので、その都度学級委員に選ばれたのだが、中2になると、こんどは生徒会の会長というのも、生徒の選挙でということになったのだ。
 人数が多いので、まずクラスで候補を出し、全校生徒の投票で生徒会長を決める。お調子者だから、私は立候補者になってしまった、この時に、はじめて「ポスター」というものを作ったのだった。
「火の用心」のポスターや「運動会」のポスターを課題のモチーフとして描いたことはある。しかし選挙ポスターというのは、はじめて「実効」のために作ったポスターなのだ。学校から選挙ポスター用に検印の押された模造紙(B2くらいだったと思う)が15枚だか配られて、その紙を使って、選挙ポスターを作れというわけだ。
 自分にとっては、ここがとてもおもしろい経験になった。課題でもない、成績も関係ない、指定の紙を使う、という以外に規制も一切ない。
 今考えたら、絵の具を使ってもっとカラフルにしてよさそうだったが、みんな、結局、黒のマジックマーカーで、名前を書くっていう風に、たいした工夫をする候補者はいなかった。
 生徒会の選挙なんだから、マジメにやるもんだっていう暗黙の規制がみんなにあったのだろう。私のものも黒のマジック1色だったが、15枚全部、ちがうデザインのポスターにしよう。と決めて、色々工夫をした。
 おにぎり顔の自画像を大きく描いたもの、名前をすみっこの方に、ちいさく書いて、遠くからは白紙にしか見えないようなもの。そうかと思うと画面いっぱいに「南」という字をゴシック体で描いただけのもの、自画像をたくさん描いて名前はどこにも書いてないもの、とか、とにかく全部ちがうアイデアにした。
 生徒会長になって、何をやりたいってことはない、だいたい、生徒会長何やるんだかも、よくわかんない。そんなのどっちでもいいのだ。とにかくうけそうなポスターを作ろうっていうのに集中した。
 そうして、それを学校じゅうの、色んな場所に貼っていくんだけど、その場所も色々工夫した。そうして、選挙当日には、投票会場の体育館の入口に、15枚全部はがして持ってきて一挙掲示した。ほかにそんなことをした候補は一人もいない。
 結果、私は生徒会長に断トツで当選してしまった。学校側は、さぞ困ったことだと思う。せっかくの教育的な意味合いは一切とんでしまった。生徒会長になっても、私は依然として遅刻常習で、校門が閉まっている時はねずみ小僧のように塀を乗りこえて登校していた。
 池袋中学の生徒会長選挙は、そういうわけで教育的には大失敗だったのだが、私のイラストレーション史にとっては、エポックメーキングな事件だった。自分的には、あれほど効果の上がったデザインやイラストレーションを、その後の仕事でできたような気がしない。

 

(第6回・了)

この連載は月1更新でお届けします。
次回2016年2月17日(水)掲載