私のイラストレーション史 南伸坊

2016.3.16

08高校時代、ついに和田誠さんに出会った。

 

 工芸高校は、創立・明治四十年の伝統を持つ栄えある学校なのだ。と先生がいうのは、お説教のときだった。
「キミたちのデキは、歴代サイテーだ」
というふうに続く。
 生徒にも言い分はあった。授業がつまんないのは、生徒のデザインに対する向学心や知識と、教える先生方の持ってる情報が行き違っていて接点がないからだ。はっきりいって先生のセンスは古いんだ。と私は思っていた。
 一年生の二学期くらいになると、水道橋の駅の向こうから、もう始まっている神田の古書店街で、いくらでもデザインの最前線に触れられる、というのに生徒は気づいてしまっている。
 『グラフィックデザイン』『アイデア』『デザイン』『芸術新潮』『芸術生活』『みづゑ』『美術手帖』といった雑誌を、はしから立見できるし、古本でバックナンバーが積まれている。
 ページを繰って「見る」だけで、知らないうちに、厖大な情報を処理していたのだ。好きで見ているだけだから、勉強をしている気は本人にはない。丁度、女の子がファッションやコスメの情報を詳細にとりこんでいたりするのに似ている。
 デザイナーの名前や作風、流行の色や配色、技法や用具、それと意識しないうちにどんどん知識は蓄積していて、本人たちはもう、いっぱしのプロ気取りだ。
 まるで仲間の作品を批評するような調子でデザイン誌の図版をめぐってあれこれ評判していた。
 いつも古書店回りをする仲間は四人、正門前の都電に乗れば、そのまま銀座に出られたので、現代芸術をあつかう画廊にも、学生服のまま出入りしていた。
 60年代の現代芸術はアイデア勝負みたいなところがあって次々に新しい流行が生まれていたから、ぼくらにとっては、デザインもアートもわけへだてない。個展を見ては遠慮なしにけなしまくっていた。
 そのうち、それぞれの評価のちがいが、さらに鑑賞眼の競り合いみたいなことになってくる。最初に争点になったのが横尾忠則だった。
「これは新しいのか古いのか?」
「うまいのかヘタなのか?」
 あきらかにヘンなことはわかる。それを高校生たちが議論している。ここを見究めるのが勝負になっているのだ。
 同じ頃、横尾さんの「春日八郎」のポスターを和田さんが、まっさきに評価していたのを知るのはずっと後だ。ぼくらが問題にしていたのは、亀倉雄策のオリンピックポスターと、ポップアートをからめた、横尾さんの一コママンガだった。

私のイラスト史9-1  私は、和田誠さんのファンだったから、この横尾さんのアイデアを稚ないと思っていて、この評価合戦で遅れをとったのだったが、この時期くらいから横尾さんの絵の魅力がメキメキ増大していって、いつのまにか横尾さんのよさのわからないヤツはバカにする陣営に立っていた。
 そうこうするうちに、あの日本のイラストレーション史のエポックになった展覧会「Persona」が開催されたのだった。銀座の松屋で開かれたこの展覧会で、私は憧れの和田誠さん本人を3メートルくらいの至近距離で見ていた。しばらく凝視していたと思う。和田さんとは目が合わなかった。徹夜明けみたいで眠そうにされていた。
 あの展覧会には二度足を運んだと思う。手元に朱色の表紙のパンフレットが残っていていまでも時々開けて見ている。

私のイラスト史9-2

  当時、ぼくらの評価が、もっとも高かったのは、多色刷りの異様な色使いをした木村恒久さんのシルクスクリーンのポスターだった。この奇妙なポスターを一番に評価しなくちゃ我々の名折れだ、くらいのいきおいだった。
 のちに「Persona」展の白眉といわれた横尾さんの首吊りポスターも、ぼくらにはすでに免疫ができていてそれほどショックではなかったのだ。このときのことがあるから、ぼくは高校生の嗅覚はバカにならない。と思っている。

私のイラスト史9-3  何が、その時代にいちばん新しいか、誰の絵にいちばんエネルギーがあるのか、時代の空気をもっとも吸い込んでいるのは、高校生くらいのナマイキな奴らじゃないのか? といまも私は思っている。
 朱色のパンフレットを見ると、
〈EXHIBITION OF GRAPHIC DESIGN IN TOKYO 1966 Persona〉
とある。
 ぼくらは高校二年生だった。
 1966年、この年から横尾さんの怒涛の進撃が始まるのだったが、ぼくが感じていたのは、この年が憧れの和田誠さんこそが、イラストレーションの真のリーダーであったことがはっきりした年だということだった。イラストレーションだけではない。グラフィックデザイン、エディトリアルデザイン、写真、雑誌、文化のほんとのリーダーは和田誠さんだったのだ。
 すなわち『話の特集』の創刊である。私が生涯でもっとも心を動かされた創刊号だったと思う。アートディレクターにして、エディトリアルデザイナー、そして影の編集長・それが和田さんだったのだ。それは創刊号を手にとって、すぐにわかった。こんな形の雑誌をつくれるのは和田さんしかいない! と高校生は確信していた。
 のちに編集者になったことも、宮武外骨に興味を持ったことも、文章を書くようになったことも、イラストレーターになったこともすべてはこの『話の特集』にはじまっている。

私のイラスト史9-4

 

 

(第8回・了)

この連載は月1更新でお届けします。
次回2016年4月20日(水)掲載