こんにちは、伊藤雄馬です。
ムラブリズム、始めます。ムラブリズムは、ムラブリとリズム、もしくはムラブリとイズムを混ぜたかばん語(複数の語の一部を組み合わせて作られる語)ですが、そもそもムラブリ(Mlabri)とは、タイとラオスに住む狩猟採集民のことを指します。ムラは「人」、ブリは「森」。なので、「森人(もりんちゅ)」。その名の通り、森の中を定住せずに暮らしている人々です。タイ側では21世紀に入ってから、村を作り定住するようになっていて、ぼくはそのムラブリの村に大学生の頃から通っては、ムラブリ語を勉強して15年くらいになります。それだけ長くやってるのは世界でもぼくだけです。単発で研究する人は、どの分野でも結構いるんですけどね。
唐突ですが、このムラブリ語、「育てる」と言えません。「育つ」はあります。フルアック(hluak)です。しかし、「育てる」は言えないのです。
文法的には言えます。ムラブリ語には「〜させる」の意味を持つパ(pa-)という要素(使役接頭辞といいます)があります。もしくは、「与える」を意味するマッ(maʔ)を用いた使役構文があります。例えば、「座る」はフグゥ(hŋuh)ですが、「座らせる」はパフグゥ(pa-hnguh)もしくはマッ(人)フグゥ(maʔ 人 hŋuh)と言います。なので、「育てる」は「育つ」のフルアックにパもしくはマッをつけて表すことは文法的に可能です。しかし、文法的に可能であるその形は、ムラブリの人々にとっては意味をなさないのです。
ぼくが使役接頭辞のパの調査をしていた時でした。いろいろな動詞にパをつけて、それがどんな意味になるのか、また形が変わったりするのか、調査していました。その時に、先述の「育てる」の形を作り、これは言えるかどうかたずねました。協力してくれていたぼくの擬制家族(血縁関係のない、社会的に承認された家族)の祖父にあたるタクウェーンは、質問を受け取って熟考し、しばらく黙っていました(彼は多くの質問に対してゆっくり答える人でした)。しばらくの沈黙のあと、申し訳なさそうに、また戸惑いながら、「分からない。『育てる』って、どうやるんだ?」と逆に質問されてしまいました。
「『育てる』っていうのは、例えば豚に餌をやることだよ」ぼくがそういうと、「豚に餌をやるは言える、お前がいま言ったように」とタクウェーン。ぼくは「豚に餌をやると、大きくなる。育つ。それが『育てる』だよ」と説明しました。それでもタクウェーンは「分からない。豚に餌をやるとは言う。豚が育つとも言う。『育てる』とは言わない」という答え。平行線でした。ぼくはこれ以上、『育てる』について質問するのは諦めて、とりあえず『育てる』の項目に「言えない」とだけ記入し、調査票の次の項目へ移りました。
この何気ないやり取りの重要さに気づいたのは、それから何年も経ったあと、ポッドキャスト「ムラブリとしてみる。」の収録時でした。このポッドキャストは、パーソナリティの小澤大輔さんのご自宅で収録しているのですが、その日は小澤さんのご家族とお昼ご飯をエスニック料理屋さんで一緒に食べて(なんなら奢ってもらって)からの収録でした。収録直前まで、小澤さんの娘さん(小学生と幼稚園児)と磁石のおもちゃで「ベクトル平衡体からの星形八面体を作るぞ!」などと幾何学模型を作りながらシナジェティクスに触れたり、「大人は素早く動いてはいけないスピード対決」で圧勝することで、不文明なレギュレーションでは悪い大人にしてやられることを暗に伝えたりするなど、教育的な時間を過ごしたこともあり、即興でいつも決めている収録のテーマが「子育て」になりました。
その収録の中で、小澤さんから「『育てる』ってムラブリ語でなんて言うんですか?」という質問を受けたときに、前述のタクウェーンとのやり取りが不意に思い出され、そしてその瞬間にはじめて、その事実の衝撃を受け止められたのでした。
ぼくは長い間、英語教員をしていました。塾の講師として、家庭教師として、大学の教員として、英語を10年以上教えていました。振り返れば、いろいろな挫折がありました。いまふと思い出したのは、家庭教師時代、ある中学生の男の子を指導していたのですが、その子は日本語の読み書きは不自由なくできるのに、英語になると、アルファベットを順番に発音するのもままならないという感じでした。おそらく、文字に対する認識が特別、現代社会の観点に照らし合わせてみれば「障害」だったのでしょう。その子に文字を読むとは何をしているのかをどう伝えればいいのか、かなり悩みました。ああでもない、こうでもないと試行錯誤して、辿り着いたのは、「英語を読めなくても、まぁいいか」という結論でした。
英語が読めるようになって、テストで点数が取れた。でもそれが、この子の人生にとってどれほどのインパクトを持つことなのだろう。日本に住んで、日本語は話せるし読める。人生へのインパクトを考えるなら、英語が読めなくても、大したことはない。そう考えて、課題は完全に無視して、その子の好きなラノベのセリフを英語に翻訳して発音したりする、ということを続けていました。
彼は英語の指導中、身体中を緊張させてとても辛そうだったのですが、ぼくが「読めなくても、まぁいいか」に方針を変えてから、指導時間は少しずつ楽しく明るいものになっていきました。英語は苦手ながらも、興味を持っていけそうな兆しが出始めたくらいの頃に、中間考査の結果が出て、やはりというか当然というか、英語の点数が低く、それが理由で、ぼくはお払い箱になりました。大手の家庭教師グループからの派遣だったのですが、突然の解雇通告で、挨拶もできませんでした。彼から借りたままになっているラノベは、結局返せないまま、どこかに紛失してしまいました。
それから英語にしろ何にしろ、何かを教えることについて、何が正解なのかを個人的に試行錯誤をしてきました。その実践のほとんどは、先生という自分の存在を薄くしていく方向に進みました。テストは学生が自分で作る、先生役を学生に任せる、評価を学生自身にしてもらう、ぼくの役割はどんどん縮小していきました。それでも、いままで染み付いてきた「教える」という態度は、教員を辞めてからもなかなか消えることはなく、講演やトークイベント、ワークショップなどに登壇するときに、どうしても「教える」自分を発見し、違和感を抱えつつも、その源泉はどこなのか、分からないままの状態でした。
2023年10月に和歌山のゆの里という温泉施設で行ったリトリートを主催したときのことです。綿棒で幾何学の構造を作りながらぼくの見えない世界にまつわる体感をお話しているときに、一緒に登壇してくださったMさんの言葉で、その輪郭が少しづつ分かり始めてきました。
「あなたは目立ちたがりなのね」
「あなたの感覚を伝える前に、周りの人の感覚を聞いたらどうなの」
「レクチャーも時には必要かもしれないけれど、それぞれ感じる時間も必要でしょう?」
はっきりとものを言うMさんの言葉に、ぼくの講師としての面目は丸潰れでしたが、だからこそ自分のこだわりが見えてきました。
「安くないお金をもらっているのだから、何か参加者に有益なことを持って帰ってもらわなければならない」
「ぼくにはあり、参加者にはないものが価値の高いものだ」
「ぼくの目に見えない世界の体感はぼくだけのもので、それは参加者にとって有益なことだから、それを伝えなければ」
そんな三段論法のような信念が自分の中に見えてきたのでした。
けれど、それは日頃からぼくが口にしていることと矛盾することです。「存在しているだけで価値がある」、「価値は受け取る人が生み出すもの」。これに術本主義(capitartism)という名前をつけました。この考えに至るのは、ある作品、もしくは人との出会いがあります。酒井美穂子さんです。
酒井さんはやまなみ工房という福祉施設に通っている利用者さんです。やまなみ工房は障害のある方々のための施設で、芸術活動が盛んです。エネルギー溢れる作品がたくさん制作されていて、世界的にも有名になっています。その展示が富山で2021年の冬にあり、それに行ったのですが、そこで出会ったのが酒井さんの展示『サッポロ一番しょうゆ味』でした(http://a-yamanami.jp/artworks/artists/457/)。
酒井さんは、インスタントラーメンの「サッポロ一番しょうゆ味」を触るのが好きで、一日中手に持っているそうなのですが、気が済むと取り替えます。施設の人がそれに日付を書いた付箋を貼りつけて保管しており、それが壁一面に展示されているものでした。ただ、ラーメンの小分け袋が壁一面に並んでいる、それだけなのですが、ぼくはただ圧倒されていました。その場に立ち尽くして、いつの間にか涙していました。いまも書いていて涙が出ます。
そのとき確信したのが、「誰もが存在しているだけで価値があり、それは芸術なんだ」ということでした。そして、それがこうして展示されているのは、「これには価値がある」と見立てた人がいるからというのも、同時にわかりました。
人は存在しているだけで価値がある、もし見出せない瞬間があるとすれば、それは見るひとが間違っている。
ぼくはそんな信念を持つようになりました。ただ、それを証明したいがために、色々と話したり書いたりしていた気がします。けれど、その信念がぼくの活動を縛りました。その信念を受け入れるのを怖がっていたのは、誰よりもぼくだったからです。その考えを認めることは、ぼくが何でもない人になってしまうことだと感じていたからです。
価値はぼくとぼく以外の差によって生み出されます。英語を読めるぼくと英語を読めない生徒、ムラブリを研究しているぼくとムラブリを知らない人、見えない世界を感じるぼくと感じられない人。ぼくに固有なものと感じられることが、他の人にないものであればあるほど価値は高く、その価値にしがみつく自分を見つけました。英語を読めないこと、ムラブリを知らないこと、見えない世界が感じられないことなどに、価値を見出せば、「自分は他の人より価値がある」とは思えません。しかし、見出さなければ、術本主義に反します。ジレンマに陥った自分が採用したのは、ダブルスタンダードでした。普段は「誰もが同じだけ価値のある」という立場でいる。しかし、何かイベントをするときは、「自分には他の人より価値がある」という根拠で、値段をつける。その矛盾を忘れることはできず、どんな書き物もイベントも嫌になりました。
生活費や養育費を稼ぐために最低限の収入を得るのには、自分により価値があることを認めてからでないと働くことができませんでした。それは嫌だと、必要経費を切り詰めていく、野宿をして、道端の草を食べ、経済活動から離れていく方向に向かうたびに、「それは違うよ」という声がどこかから必ず聞こえました。ぼくは、ぼくが存在しているだけで十分に生きていけないこの世の中を、ほとんど諦めながら、その日その日を生き延ばしていました。
2024年3月末、まだ蕾のままの桜並木を歩きながら、ふと気づきました。桜の木と自分は、完全に同じだということです。向こう岸を自転車で走っている人も、道端に咲いている名前も知らない小さな花も、こうしてぼんやり歩いているぼくも、完全に同じなのです。その感覚は言葉のないところからやって来ました。思い出したと言った方が正確です。言葉のないところが教えてくれたのは、価値がある、ないにこだわっていたのは、「価値」という言葉があるからでした。すべて、言葉の問題だったのです。
言葉のないところに、価値も無価値もありません。言葉のないところに、正しいも間違いもありません。言葉のないところに、教育も芸術もありません。
頭では分かっているつもりでした。実際に言葉のないところを体感したのは、これまでも何度もあったのです。そのたびに、生に向かう力を取り戻しました。けれども、しばらくしてまた言葉の中で信念に縛られ、それを忘れては、また思い出す。そんなことを繰り返しています。こうして書いているときも、ついぞ忘れてしまいそうになります。けれどもぼくはまたそうして、みなさんの前に立っています。
ムラブリ語には、「教育」も「価値」も表す単語がありません。その点は、日本語より自由に感じるでしょう。しかし、ムラブリ語もやはり言葉です。それは日本語とは別の世界の枠組みで、いっときはあなたを日本語ではない世界に連れ出すでしょうが、そのうちに日本語とは異なるけれど本質的には同じ窮屈が待っています。言語はまさに、この窮屈をするために生まれたとぼくは考えます。その窮屈は、好きでやっているのです。その言語の持つリズムの中で、好みの信念(イズム)を作り出し、思考、感情、感覚を揺り動かすことで、生を賑やかにしているのです。
その生と生の間に、言葉のないところはあります。
ムラブリズムは、日本語とムラブリ語のリズムとイズムを往復することで、ぼくが感じたような休符が、あなたにも訪れることを予期しています。その休符が、あなたを言葉のないところへ連れて行きます。言葉のないところは、あなたが忘れたくて、忘れているだけで、あなたからひと時も離れたことはありません。ですから、それはただ思い出すことだけが必要です。みなさんの思い出す行為に対して、ぼくのできることは何もありません。ぼくはただ、ここでお伝えしたように、思い出したり、思い出さなかったりするぼくとして、みなさんとあることしかできません。みなさんに対して、完全に無力な存在であることを偽らないことだけ、ここに約束します。それは祈りのようなものです。その祈りに対して、現代社会の中で価値を認めていただき、ご参加いただけたことが、ぼくがこの世に存在することへの何よりの肯定です。改めて、ありがとうございます。
(続く)