ムラブリズム 伊藤雄馬

2024.11.30

02ムラブリズムは言語学習プログラムです。

 

 

 ムラブリズムは、言語学習プログラムです。前回の連載を読み返して、ムラブリズムが何なのかを全く説明していない自分に呆れました。あほですね。

 大事なのでもう一度言うと、ムラブリズムは、言語学習プログラムです。ムラブリ語を学んで、ムラブリに会いにいき、ムラブリ語を使ってみよう、というものです。

 この企画は、X(旧Twitter)の「ムラブリとしてみる。」アカウントにて、2024年4月初旬に応募が開始され、数日のうちに満員御礼となりました。ありがたいことです。

 告知文はこんな感じでした。

 

【コンセプト】
このプログラムは、ポッドキャスト「ムラブリとしてみる。」が主催する世界で最も非効率な言語学習、短期留学プログラムです。「言語はコミュニケーションツールであり、話者の多い言語を学ぶべきだ」、それは真実です。しかし、語学の全てではありません。あなたを、あなたの世界を、不可逆的に変容させる力が、語学にはあります。

ムラブリズムでは、わずか500名の狩猟採集遊動民「森の民ムラブリ」によって話されるムラブリ語を世界で唯一の研究者伊藤雄馬と芯から学びます。彼らと出会い、あなたの世界を風通しのいい世界に変えていくお手伝いをするために生まれた、語学が持つ「世界変容力」に特化したプログラムです。

【場所・期間】
2024年4月から6月までの3ヶ月間にわたり、東京都内で6回のムラブリ語講座を通じてムラブリ語を学びます。その後、6月下旬にムラブリの居住地を訪れ、共同生活を試みます。

【募集人数】
先着3名様までの限定募集です。

【費用】
一人当たり180,000円 ※Nan空港までの渡航費、宿泊費は含まれません。各自で航空券等の手配をお願いします。

特徴

1. 座学ではない「座る」語学
言語とは身体であり運動です。言語が認識を定め、認識の積み重ねがその人の世界を形成します。「ムラブリズム」の全6回の講座は、それぞれムラブリ語の動詞を冠しています。あなたはムラブリ語を聞いたり話せたりすること以上に、ムラブリのように地球に座り、世界を見て、宇宙に在ることを求められます。

2. 教科書なし、評価なし、ゴールなし
文字がなく、評価もなく、計画しないムラブリ。ムラブリに倣うこのプログラムは、外的な軸が意図して排除されています。「ムラブリズム」で経験する全ては、あなただけの内面のプロセスで、あなたにしか分からないことです。そして、それこそが、あなたがあなたとして生きるのに役立つ「知恵」になります。

3. 芸術として発信
「ムラブリズム」での経験を芸術として発信することを推奨します。ここでいう芸術とは、「あなたの世界に、あなたによって、あなたであること」です。そのためには、なんの資格も技術も知識も必要ありません。むしろ、それらがいかにあなたの芸術を阻害していたかを、このプログラムを通じて思い出してください。勇気のいることですが、私たちはあなたの芸術を心待ちにしています。

フグドマボン
東京都内で全6回のムラブリ語講座「フグドマボン」を行います。「フグドマボン」は座る語学であり、ムラブリの言語を学びながら身体性も習得します。

1. 座るフグゥ:話す言語が変われば、似合う座り方も変化する
この座り方と相性のいい言葉は何だろう? 言語と運動の関係を参加者自身が吟味しながら、語学が持つ世界変容力の幅広さと奥深さを痛感します。

2. 行くジャック:右と左のないムラブリ語の感覚で移動する
左右ではなく、川下/川上と言いたくなる感性は、視点の起点にありました。日頃からいかに視点を駆使して生きているかを感じ、創造的な視点を獲得します。

3. 食べるウッ:ムラブリ語に複数ある「食べる」を使い分ける
スパゲティは「ウッ」で、ハンバーガーは「ボン」、ではピザは? 複数の「食べる」を持つムラブリ語で食べてみることで、言語と食の結び目を解きほぐします。

4. 待つセウ:暦のない、完了と近未来が同じムラブリ語の時間にいる
終わったことと、これから起こることが同じ時空間であることの居心地を知りたくはありませんか? ムラブリ語とあなたを通じて、現代日本に現しましょう。 

5. 狩るクェル:世界はまず「大中小」で分けられる
ムラブリ語で「モノ」は大中小に分けられるのみで、人間/動物や生命/非生命などに分かれません。大きさのみで区切られた世界で、現代はどうみえるのでしょうか。

6. 在るプッ:何も所有されない、ただ在る世界
あなたはそれを所有していますか? それとも、それがあなたにあるのですか? 所有という普遍的な概念が、概念でしかないことを、ムラブリ語で思い出します。

ジャックウェーン(2024年6月下旬を予定)
タイ北部のナーン県のムラブリ居住地に赴き、3泊4日(予定)の滞在型の短期語学留学「ジャックウェーン」を行います。ムラブリの居住地で過ごすあいだ、何をしても構いません。「フグドマボン」で得た学びを用いてムラブリと交流を図るもよし、リモートワークするもよし、寝て過ごすもよし。あなたの「ジャックウェーン」をしてください。

 


 うーむ、こんなことが書いてあったんですね。終わった後に振り返ると、なんだか感慨深いものがあります。あ、そうです。このプログラム、もう実施されて2024年8月に第1期は終了しています。そこで起きたことについて、この連載では書かせていただく予定です。

 さて、ムラブリズムの企画書の中に、ポッドキャスト「ムラブリとしてみる。」が、これまた説明なく現れました。そのポッドキャストの発端についても、少しお話しさせてください。

 

ムラブリズム誕生秘話
 2023年10月、人類学者の奥野克巳先生との共著『人類学者と言語学者が森に入って考えたこと』(教育出版社)の出版記念イベントが吉祥寺で開催されました。このイベントに参加していたのが、後にムラブリズムの企画パートナーとなる小澤大輔さん。イベントでも懇親会でも、積極的に先生に質問を投げかけていて、アシンメトリーの髪型や、独特なファッションセンスも相まって、なおさら目立っていました。

 トークイベントのあと、「今夜はどこに泊まるんですか?」と小澤さんに聞かれて、「うーん、その辺で寝ます」とぼくが曖昧に答えると、「よければうちに来てくださいよ」と提案してくださいました。ぼくは家がないので、毎日どこで寝るのかを特に決めずに暮らしています。人のお家にお世話になることは多いのですが、基本的にはひとりが楽なので、初対面の人の家に泊まらせてもらうことは少ないです。けれど、小澤さんはなんとなくぼくと近しいにおいがしたので、泊まらせてもらうことにしました。

 小澤さんのお家は立派なマンションで、みすぼらしい格好のぼくは場違いな感じがするくらいでした。ぼくは年中裸足に雪駄(せった)かサンダルなので、お家に上がると足を洗わせてもらうのですが、足を洗うために浴槽まで行くのも申し訳ない気がしたのを覚えています。

 小澤さんはトヨタの関連会社で近未来型の都市(実証都市と言うそうです)の計画を推進している会社で働いています。ニュースに疎いぼくでも聞いたことのある事業です。これだけ書くと、家なし食なし年中裸足のぼくとは真逆に聞こえます。でも、ぼくらには共通点がありました。

 小澤さんのマンションの部屋は、ファミリータイプでしたが、閑散としていて、人気はありませんでした。小澤さんは結婚していて娘さんもふたりいるのですが、当時は別居中だったのです。しかも4回目の別居中(現在は別居を解消されています)。ぼくは離婚して、息子がふたりいるので、家庭環境(?)がふたりはとても似ていました。

 それにしても、別居4回目というのは、書いていて改めてすごいことです。そんなに別居するなら、別れてしまいそうですが、小澤さんも奥さまも、別れることはせず、お互いに向き合い続けることを選んだのは尊敬します。

 小澤さんはそんな離れ業ができたのも「マンションの近くに奥さんの実家があったから」と謙遜半分、本気半分で言われます。

「近くに住む場所があったから、距離を置いて、冷静に向き合うことができたと思うんです」。小澤さんは、4回の別居を自分で茶化しながらも、冷静に分析していました。「少し距離を置く場所があれば、家族との関係も変わるかもしれない」。小澤さんは、その自身の経験から、家庭にいづらい人がふらっと立ち寄れる「村」を作りたいのだと、その日語ってくれました。

 それもぼくとの共通点でした。「精神とテクノロジーが十分に発達した未来では、人間は孤立して暮らしている」というビジョンがぼくにはあります。どうしてそんな風に考えるのか、理由はぼくにも分かりません。なんとなく、そう思うのです。そして、その未来の生活に必要な心持ちや技術を総称して「自活器(self-livingry)」と呼びました。そんなぼくの考えと、小澤さんの村づくり構想は、親和性が高かったのです。そんな共通点もあり、ぼくはちょくちょく小澤さんの家に泊まるようになりました。

 

自活道場からフグニアクベッ(地球に座る)
 ぼくは家なし職なし年中裸足なので、「どうやって食べてるんですか?」とよく聞かれます。そう聞かれるたびに、直近の状況を思い返して、少し真面目に考えてみるのですが、結局いつも同じ結論に至ります。ぼくもよく分かりません。ひもじい思いはほとんどしていません。何も食べない日もたまにあります。寝る場所は、季節によりますが、誰かのお家にお世話になるか、野宿します。睡眠時間はまちまちです。3時間くらいのときもあれば、一日中寝ていることもあります。少なくとも今までは、至って健康です。現金はあるともないとも言えない額です。あれば使いますし、なければ使いません。

 小澤さんと出会ったときも、現金はほとんどありませんでした。現金は養育費のために稼いでいるだけなので、手元には残りません。残っても微々たるものですから、使えばすぐなくなりますし、周りの人にあげたりもします。奨学金を含め、たくさんお金を借りていて、それで勉強や研究をさせてもらったので感謝しています。返せるときには返しますが、返せないことも多い、というか大抵返せないので、すみませんとよく言っています。小澤さんにもしこたま借りています。すみません。

 現金収入を得たい、と考えたときに、ぼくの頭にあるのは、研究か、執筆か、ワークショップかになります。でも、どれもそのときのぼくにとって「稼ぐぞー!」みたいな想いが内から湧き出ることがなく、続きません。だから、サブスクみたいなことだったら続くかな、と思いつきで始めたのが「自活道場」でした。

「自活道場」はぼくの「自活器」のソフト部分、考え方の調整や、心持ちみたいなものを学ぶオンラインサロン的なものでした。そのときに自分が実践していたことを皆さんにオンラインでシェアするというシンプルなもの。1ヶ月5万円だったと思います。この自活道場に真っ先に参加してくださったのも小澤さんでした。

 小澤さんは、いわゆるエリートコースを歩んできた人で、安定した会社に勤め、家庭に課題はあったものの、社会的にみれば何も不自由なく生きている人です。そんな小澤さんが、なぜぼくの「怪しい」道場に参加したのか。それは小澤さん曰く、「蕩尽(とうじん)」とのことでした。「蕩尽」とは、哲学者ジョルジュ・バタイユの概念で、「無駄なことにめちゃくちゃ私財を投入しちゃうこと」です。一見するとバカっぽいですが、バタイユはこの見返りを求めない非生産的消費こそが人の生の全体性を取り戻すと考えます。損得勘定をしながらおっかなびっくりお金を使うのと、見返りがあるか分からなくてもドーンと気前よくお金を使うのとでは、後者の方が生きてる感じがしますもんね。

 ですから、小澤さんは「自活道場」で何かを得たいとかはまったく考えていなかった、ただなんとなく面白そうだから、といった理由で参加してくださったようです。これもありがたいことです。

 この「自活道場」、何やってるか分からんし、せっかくならムラブリ語にしたら面白いんじゃないか、という小澤さんを含めた参加者との討論の末、辿り着いたのが「フグニアクベッ」です。ムラブリ語で「地球に座る」。この名前でも何をするのか結局分からないのですが、そのときのぼくらはとてもうまく言語化できたと喜んだ覚えがあります。

 この「フグニアクベッ」は、結局すぐにやめてしまいましたが、ムラブリズムにもその考えは間接的に継承されています。

 

ポッドキャスト「ムラブリとしてみる。」
「伊藤さん、ポッドキャストしませんか」。小澤さんの蕩尽は自活道場にとどまらず、ポッドキャストの機材を購入するところまで及びました。全部でウン十万円したそうです。すごい。タイトルはすぐに決まりました。「ムラブリとしてみる。」

 これはダブルミーニングです。つまり、「ムラブリとして、みる(see as Mlabri)」、もう一つは、「ムラブリと、してみる(do with Mlabri)」です。

「ムラブリと、してみる(do with Mlabri)」は、ぼくの好きな人類学者ティム・インゴルドが言っていることを参考にしています。彼にとって人類学とは、人々を研究する学問ではなく、人々と共に哲学し、自らも変化していく営みだと言います。この「with研究」は前述の奥野克巳先生も実践されていることです。ぼくは言語学者ですが、この考え方に触れてから、研究に対する考え方が後戻りできないほど変化しました。ムラブリ語の研究成果は、主たるものは自身の変化になり、論文は副産物になりました。評価できるのは自分だけになりました。評価を気にしなくなった、とも言えるし、誤魔化しが効かなくなった、とも言えます。

 with研究はムラブリに会えなければ難しくなります。ぼくはコロナで海外に行けない時代に、タイに住むムラブリに会いに行けなくなりました。with研究がストップします。日本にいながらどうにかムラブリ語の研究を深められないか。苦肉の策で思いついたのが「as研究」でした。ムラブリに会えないならば、ぼくだけでも「ムラブリとして(as Mlabri)」日本で生きてみる。ムラブリ語でムラブリの身体性を養いながら、日本で生きるとどうなるのか。自分を実験台にした結果が、家なし職なし年中裸足の生活でした。ムラブリとして日本を眺めてみて感じたことはたくさんあります。それを発信しようとしていた折に、小澤さんからポッドキャストの提案を受けるのは、偶然にしては出来過ぎで、でもだからこそ、とても自然な流れとも思えました。

 この番組の「ムラブリと、してみる(do with Mlabri)」を体現したのが、この連載で描こうとするムラブリズムです。それは小澤さんや参加者のみなさんと一緒にas研究を実践しようとする、いわばwith研究とas研究の合流とでもいえる営みでした。

 

(続く)