「工房集」というプロジェクト
僕が「工房集」を知ったきっかけは、『問いかけるアート 工房集の挑戦』(さわらび舎)という本だ。
埼玉県川口市に拠点を置く工房集は、社会福祉法人みぬま福祉会が母体となって運営している知的障害者通所施設「川口太陽の家」の分場からスタートした。開所したのは二〇〇二年。そこに通うのは、主に重度の知的障害がある人たちだ。
工房集の利用者たちは、各々が得意とする制作活動を行っている。ジャンルは絵画やオブジェ、織物など多岐にわたる。なかには、既存ジャンルに分類するのが難しいものもある。
最初に惹かれたのは、工房集の人びとが生み出す作品のオリジナリティだ。『問いかけるアート』には、工房集のメンバーが手がけた数々の作品が紹介されている。たとえば齋藤裕一さんの書と絵画を横断した平面作品、小森谷章(あきら)さんによる色とりどりの織り糸を使ったオブジェ、伊藤裕(ゆたか)さんのステンドグラス技法による立体作品などなど。他では見たことのない、個性的な表現に溢れている。
工房集の独自性は、「アートを仕事にする」という理念にも表れている。本書では、工房集の管理者である宮本恵美さんの言葉が紹介されていた。(1)
「仕事に人をあわせるのではなく、その人にしかできないことを仕事にする。それがアート、表現でした。仲間ができる得意なことは、人がまねできない作品を作ること。作品を通して社会と関わり、既存の価値観を変えていく。仲間がつくる作品にはそんな力があるんです」
宮本さんの言葉からは、最初から「アートを作ろうとする」というよりも、「作ったものがアートになる」という発想の逆転を感じた。僕にとって、これは目からウロコだった。創作活動に関する考え方そのものが、根底から覆りそうな予感があった。
二〇二三年十一月、私と編集者Nさんは工房集を訪問するため埼玉県川口市にいた。前章の小林瑞恵さんも工房集とはかかわりがあるそうで、「ぜひ行ってみてください」とアドバイスをいただいたのだ。透き通るような秋晴れの空の下、JR東浦和駅から歩くこと約十五分。のどかな住宅街の一角に、工房集の拠点はあった。
施設前の広場は工房集メンバーの手によるオブジェや花壇で彩られていて、開放的な空気が流れている。ちょうど来客があったようで、職員の方が広場で応対されているところだった。そこに屋内から別の女性が現れ、僕たちに挨拶してくださった。
「こんにちは。宮本ですー」
この方こそが工房集の管理者、宮本恵美さんだった。宮本さんはさっそく、目の前にある赤と黒で塗装された花壇について話してくださった。
「これ、浦和レッズのカラーなんですよ」
先日浦和レッズの選手たちが施設を来訪したそうで、それに合わせて花壇をレッズカラーに塗って出迎えたのだという。選手たちへの心づくしの歓迎だ。僕はとっさに、心に浮かんだ疑問を投げかけていた。
「じゃあ、広場のオブジェは恒常的なものではなく、常に更新されているんですか?」
「そうですね。「集」の仲間たちで手を入れています」
施設内にはギャラリーもあるが、屋外にある広場もまた、工房集のメンバーにとっては表現の場であり社会との接点なのだ。
宮本さんの案内で、施設内に足を踏み入れた。入口右手のギャラリーには作品が展示されており、正面の棚にはペンケースやカレンダー、エコバッグ、レターセットといったグッズがずらりと並んでいる。小さな陶器やステンドグラス作品もあり、バラエティ豊かだ。いずれも工房集の仲間の手によるアート作品がデザインされており、唯一無二の存在感を放っている。
続いて、利用者の皆さんが過ごすスペースにも入らせてもらった。手前でパソコンを操作していた男性が振り返り、僕たちに興味を示してくれた。宮本さんが男性に声をかける。
「関くん。この方、小説家さんだよ」
彼はイラストレーターとして活動する関翔平さん。関さんは僕たちに、自作の漫画作品を見せてくれた。地元埼玉が舞台になった四コマ漫画や長編漫画で、主人公のキャラクターは関さん自身。作中には、この地域に住んでいないと描けないであろう細かなディテールが満載だった。関さんは休日になるとカメラを手に県内を歩き回り、取材を重ねて作品制作に活かしているという。
関さんの制作活動は、漫画作品にとどまらない。朝霞市出身の力士・大栄翔の後援会グッズである巾着には、関さんのイラストが使用されている。他にも企業からの依頼でイラストを描くことがたびたびあるという。関さんの名刺には彼のイラストだけでなく、「イラストの仕事お受けします」という一言が添えられていた。
室内では、工房集のメンバーが思い思いの方法で過ごしている。絵を描いている人。織物をしている人。紙を破っている人。それぞれが違う作業をしていながらも、なんとなく一つにまとまった空気が漂う。それは、職員の方々が適度な距離で見守りつつ、時おり声をかけているからかもしれない。
施設の一角にあるテーブルで、宮本さんから詳しい話を伺うことにした。
「実は今、工房集というのはプロジェクト名になっているんです」
みぬま福祉会では「川口太陽の家」だけでなく、「アトリエ輪」や「太陽の里」といった埼玉県内の施設を複数運営しており、そのなかで行われるアート活動を「工房集」というプロジェクト名で総称している。宮本さんによれば、現在およそ一五〇名もの利用者が創作活動に関わっているという。
工房集の活動はすでに二十年以上にわたるが、利用者による表現活動がはじまったのはそれよりさらに前、一九九四年頃からだった。
「きっかけは、あそこにいるあっこさんなんです」
隣のテーブルでは、横山明子さん(通称・あっこさん)が、黙々とクレヨンで画用紙に絵を描いていた。
あっこさんが入所したのは九〇年代のこと。当時のあっこさんは、今とはずいぶん雰囲気が違っていたらしい。
「その頃の福祉施設って、単純作業を教えこんでできるようにする、という感じだったんです。けれど、あっこさんはそれを拒否したんですね。どうしてもできない。そこでわれわれ職員も非常に悩みました」
どれだけ丁寧に教えても、誰もが作業をできるようになるわけではない。悩みながらあっこさんと接するなかで、宮本さんはあることに気が付いた。
「彼女と一緒に過ごすなかで、たまたま絵を描いているのを見かけたんです。あれだけ作業を拒否していた人が、自分の意思で絵を描いている。それを見て、もうこれを仕事にするしかない、と思いました」
工房集の「アートを仕事にする」という理念の根本には、宮本さんとあっこさんの出会いがあった。〈仕事に人をあわせるのではなく、その人にしかできないことを仕事にする〉という考え方の源に触れた気がした。
クレヨンを紙に塗りこめていくあっこさんは、のんびりとマイペースで制作しているように見える。だが、当時のあっこさんは激しい情動の持ち主で、制作姿勢にも鬼気迫るものがあったようだ。
「今でこそ幸せそうに描いてますけれど、私が出会った頃はすごかったんです。衝動に駆られて、一生懸命に描いて。新しく入ってきた職員たちは、穏やかで愛されキャラのあっこさんしか知らないので、伝説みたいに語ってますけど」
宮本さんはそう言って、明るく笑う。
私たちはありのままじゃない
工房集の活動は、現在広く知られている。定期的に展覧会を開き、数々のメディアで紹介されてきた。障害者アートの世界では、一際有名な存在だと言っていい。浦和レッズもふくめ数多くの団体や企業とも接点ができ、表現を通じて社会と関わることを実践している。
ただ、今日までの道のりは決して平坦ではなかったはずだ。「アートを仕事にする」と口で言うのは簡単だが、当時は現在ほど障害者アートへの関心は高くなかった。施設のなかでも反対意見はなかったのだろうか。そう問うと、宮本さんは苦笑した。
「職員会議でも揉めました。見通しが立たないとか、そもそも売れるのかとか、いろんな意見が出ました」
その懸念も、一概に的外れなものとは言えない。仮に自分がその場にいたとして、反対意見を口にしていなかったか、と言われると自信がない。だがそれでも、宮本さんは諦めなかった。
「その時に、三つの条件で〈仕事〉を定義づけたんです。お金を稼ぐ。社会とつながる。そのことを通してご本人がイキイキと過ごす。この三つがあるなら〈仕事〉としよう、と決めたんです」
たしかにその三つは、障害の有無にかかわらず〈仕事〉の条件だと言えそうだ。しかし重度の知的障害がある人にとって、自発的にお金を稼いだり、社会とつながることは相当難しいはずだ。もちろん、それは宮本さんもわかっていた。
「なので、役割分担をしました。ご本人にはとにかく得意なことだけ頑張ってもらう。そして、お金を稼ぐこと、社会につなげることは、職員の役目として分担しました。だから作品をどうお金にしていくか考えるのは、職員の仕事なんです」
つまりこういうことだ。工房集のアーティストたちは、自分の得意とする表現活動に専念する。その結果生まれた制作物を社会的な価値に変換する作業は、職員が担う。
宮本さんたち職員は〈仕事〉を成立させるため、あらゆる手段を摸索してきた。その道筋は人によって本当にさまざまである。たとえば、作品そのものがコレクターに購入されたり、美術館に収蔵される人もいる。関さんのように、制作したデザインやイラストが企業の商品に採用される人もいる。グッズなどの形に落としこみ、工房集みずから商品化して展開する場合もある。棚に陳列されていたペンケースやエコバッグもその実践だ。テキスタイルやステンドグラスなどのオリジナルブランドを立ち上げた作り手もいる。
グッズ化に関しては、宮本さんのこだわりがあった。
「障害のある人が一生懸命頑張って作っています、という部分を押し出した売り方を、少し疑問に思う部分もあって。一般の人たちと同じ土俵で戦えるグッズにしたい、という思いがありました」
その言葉通り、グッズのクオリティは繁華街の店頭で見かける品と比較してもまったく引けを取らない。むしろ、巧みに計算されたデザインだとさえ感じる。
宮本さんいわく、三十年近く活動を続けるなかで「いろんな路線ができてきた」という。それは、工房集の職員たちが「お金を稼ぐこと」「社会につなげること」にこだわってきた賜物だ。もっとも、最近では作り手が作品をプレゼンしたり、大学での講演に登壇したりと、みずから社会とつながろうとする人もいるという。そうした動きが出ているのも、長年にわたって活動を維持してきたからこそだ。
工房集では、職員から利用者に表現活動を強要することはない。ただし、利用者たちが表現活動をできるよう、働きかけることはあるという。
「たとえば、お仕事の時間だから頑張ろう、とか、みんなが作らなかったら展覧会開けないよ、と声をかけることもあります」
といっても、むやみに急かしているわけではない。タイミングや声のかけ方は、普段から接している職員だからこそよく理解している。
ある利用者の女性は過去、反抗的な態度を取ることで職員たちの注目を集めようとしていた。しかしある日、宮本さんが機織りをしていると、それを見る彼女の目がいつもと違っていた。宮本さんが声をかけて使い方を教えると、彼女は一生懸命機を織るようになり、精神的にも落ち着きを得たという。
僕たちが話している最中、すぐそばを通りかかった男性がいた。柴田鋭一さんだ。彼もまた、工房集に所属するベテランだという。宮本さんが言う。
「柴田さんの作品は高い評価を受けていますけど、本人に創作衝動はないんです」
柴田さんは近年ニューヨークで個展を開き、作品が完売するなど、海外でも高い評価を得ている。現代美術の世界的拠点である、パリのポンピドゥー・センターにも作品が収蔵されている。
「柴田さんは衝動というより、絵を描くこと自体が快なんですね。気持ちのいい状態。だからといってグループホームでは描かないので、絵を描くことは日中活動のなかの〈仕事〉だってわかっているみたいです」
「せっけんのせ」と言いながら描く柴田さんの作品は、関わる職員の違いによっても変化してきたという。宮本さんが担当していた頃は、数字の2と3をつなげて描く、どこかかわいらしさの漂う作風であった。だが次に担当した職員は声のかけ方が違ったらしく、その影響から徐々に緻密に描きこんでいく画風へと変化していった。
工房集が二〇一二年に発行したコンセプト・ワークブックには、創設の経緯や理念の他、メンバーと職員との関わり合い方についても記されている。その節には「どうすればよい絵が描けるかではなく、どうすれば人と関わりが持てるか、を考える」という題がついている。(2)
「集」ではメンバーに対してスタッフが「これをつくりなさい」「これを描きなさい」とは言いません。本人の表現を引き出し、その表現をうまく形にしていきます。
〔中略〕
作品の良し悪しを考えるのではなく、人間の細部の反応に関わっていくのです。
工房集の職員が見ているのは、「作品」ではなく「人」である。表現は目的ではなく、人間関係のなかで生まれる反応なのだ。
職員との関係だけでなく、他の仲間の表現活動に影響を受けて、自分もやってみようと思うメンバーもいる。なかには嫉妬が原動力になっているケースもあるようだ。これは少なからず小説家にも当てはまると思う。僕自身、売れている作家や文学賞を総なめにしているような作家への嫉妬を覚えたことが、ないではない。そして嫉妬は本人を苦しめるだけでなく、時には創作へ向かわせるエンジンともなる。
工房集のアーティストたちは、一人きりで表現しているのではない。常に職員や仲間、家族といった人々との関係性のなかで活動をしている。
「あっこさんも柴田さんもそうですけど、その時々の状況や、人との関係性によって作風が変わるんですよね。だからこそ〈表現〉なのかなと。その時の気持ちが、素直に〈表現〉されているんだろうと思います」
周りの人との関係が変われば、表現の内実も変わる。かつては発作的に描いていたあっこさんも、今では穏やかに表現活動に向かっている。
「私たちって、全然ありのままじゃないんです」
宮本さんは率直な思いを語ってくれた。
「ここにいる仲間たちは、人知れず表現しているわけではないんですね。常に職員や他の仲間との関係性があって、社会に生きている。認められたり褒められたりすると嬉しいし、仲間に嫉妬することもある。そういう関係性のなかから、それぞれの作風が生まれてくるんです」
世のなかには、ありのままでいることを肯定するメッセージが溢れている。自分を偽る必要はない、飾らないあなたでいい――そうしたメッセージが間違っているとは言わない。だが、ありのままでいることと、社会に居場所を確保することは別の問題だ。宮本さんの居住まいには、その事実に悲観せず、現実を見つめ続けるタフさが漂っていた。
「私たちは芸術家を育てようとしているわけではなく、その人ができること、得意なこととを仕事にしようじゃないか、という発想なので。そのスタンスを変えずに続けていくのが大事だと思っています」
工房集のアーティストたちは、最初からアーティストだったわけではない。他者と関わることで、表現への意欲が芽生えたり、作品を見出されたりしてきたのだ。その構図は、施設の外にいる大多数のアーティストとなんら変わらない。
「癒着した表現」と「モノ語り」
今回の取材を経て、僕はいささか創作活動というものを神聖視していたのではないか、という思いが湧いた。
アール・ブリュットの作り手たちは、純粋な内的衝動に突き動かされて創作に向き合っている。そこに金銭欲や名誉欲といった邪念はなく、ただただひたむきに表現を続けている――そんなストーリーを勝手に思い描いていた。
だが、そんな僕の思いを聞いた宮本さんはこう答えた。
「邪念がある人も割といますよ。お給料がほしいって公言する人もいるし」
正直に言うと、この返事を聞いて、僕は少しばかり恥ずかしくなった。
考えてみれば当たり前のことなのだ。小説家である僕自身、功名心や「もっとお金があればなあ」という感情と無縁ではない。それがわかっていながら、どうしてアール・ブリュットの作り手にだけ、「純粋な創作衝動」を求めていたのだろう。自分の考えの浅さに気付かされた。
自分自身を振り返っても、決して衝動から創作をはじめたわけではない。僕の場合、自分が読みたい小説を自分で書く、という自給自足が出発点だった。どうやら創作の動機は人によってまったく異なるものであり、大雑把な言葉で表せるような性質ではないらしい。
そのうえであえて工房集の特徴を挙げるなら、「表現を通じて他者とつながろうとする」ことだと言える。ここでいう他者とは、施設の外に広がる一般社会だけではない。メンバーにとっての、施設の職員や仲間もふくまれる。
他者とコミュニケーションを取るには、思考や感情などの内的なものを、身体の外にある外的なものに変換する必要がある。その手段としては、発話、文字、描画、身振りなど、さまざまなバリエーションがある。私たちは一般に、これらの手段を区別可能なものだと考えているが、果たしてそれは正しいのだろうか?
心理学者の茂呂雄二は著書『なぜ人は書くのか』で、教育学者のアン・ハース・ダイソンが報告した次のような事例を紹介している。(3)
5歳3ヵ月の女の子ヴィヴィが、発話しながら〈かいた〉図が掲載されているが、そこでは家や人の絵と、「RPOPH」「POR」といった文字が共存している。ヴィヴィにとっては、〈描く〉ことと〈書く〉ことは未分化な状態なのだ。
われわれは、書くこと、描くこと、語ること、身振りすることを別々の表現手段と考えているが、子供たちはそうは考えないようだ。子供たちは、書くことと身振りする(空中に書く)ことを区別しなかったり、書くことと描く(絵をかく)ことを区別しないのである。また、子供たちは、かくことと語ることを区別しないのである。このような表現のありようを〝 癒着した表現 〟と呼んでおく。
子供たちにとって「絵を描く」という行為は、傍からは「絵を描いている」としか受け取られない。しかし当人にとっては、絵を描くと同時に「書いている」のであり、「語っている」のであり、「踊っている」のである。
この指摘は、工房集の活動を考えるうえで重要な示唆をふくんでいる。
僕たちが工房集の拠点を訪れた時も、何かをつぶやきながら制作している人や、大声で叫びながら描いている人がいた。彼ら彼女らは、話しながら描いているのではない。話すことと描くことが一つになっているのだ。それらはバラバラの表現ではなく、「癒着した表現」として受け止められるべきだ。
作品制作は、語ることや身振りと同一である。その考えをふまえて、「創作衝動がない」と宮本さんが推測していた、柴田鋭一さんの表現の心根を考えてみたい。柴田さんは、内的なものを外的なものに変換する過程(=癒着した表現)そのものを快い、と感じている可能性はないだろうか。私たちは親しい人たちと語り合ったり、文章でメッセージをやり取りする時に快いと感じる。柴田さんにとって絵を描くことは、雑談をしたり、メールを書いたりすることと類似の行為とみることはできないか。普通、家族や友人と雑談をする時に「衝動的に雑談した」とは言わない。それは他者との関係性のなかで自然と生まれるものだ。
ここまで、描くことや語ることは「癒着した表現」という一つの表現に収束しうることを示してきた。次に、当人が表現をするうえでの、周囲との関わりについて考えてみたい。
アートを介して社会との接続点をつくろうとする試みは、他の団体でも行われている。たとえば、奈良県にある一般財団法人たんぽぽの家がそうだ。たんぽぽの家は、「アートやデザインをとおして障害のある人とともに新しい価値を社会に提案する」というコンセプトを掲げている。
同財団で常務理事を務める岡部太郎は、施設の作家の作風が突然変わる理由について尋ねられた際、次のように語っている。(4)
僕の知る限りで言うと、幾つか理由があって、一つは、本当に分からないというのが、まずあるんです。その他、よくあるのは、サポートするスタッフが替わる、退職をして別のスタッフになるとかで変わるというパターン。
〔中略〕
たんぽぽもやまなみ工房も、多くの福祉施設も、みんなが同じ空間で創作していることが多いですね。その過程で、みんなが、みんなの作品をなんとなく見あっているんですね。それぞれ自分が好きなものを描いているんだけれども、隣で描いている人のも気になるみたいなことがあって、影響し合って作風が変わるということもあります。
岡部は作家の作風が変化する理由について、他にも「加齢」や「画材」といった要素を挙げており、「職員の交代」や「仲間からの影響」だけを論じているわけではない。ただ、人間関係が表現活動に影響を及ぼすという事実は、宮本さんとあっこさんの例に限らず、他の施設でもみられるようだ。
前掲した工房集のコンセプト・ワークブックには、〈この世には、言葉にできないコミュニケーションがある〉という節がある。(5)
メンバー一人ひとりには、自分の想いを表現して、人に理解してもらいたい、人とつながりたいという気持ちが必ずあります。
スタッフだけでなくメンバー同士もつながりたいと思っています。
〔中略〕
うまく言葉にできない。
気持ちをうまく表現できない。抑えることができない。
そのことで抑圧されてきた感情が、隙間をぬって出てきます。
認められたい、理解されたいという強い想いが、
思いもかけない未知の表現や行為になって現れてきます。
工房集では「創作」という言葉はあまり使わず、「表現」という言葉が使われている。工房集のメンバーたちは、ままならない言葉に代えて、「癒着した表現」を通じて他者とつながろうとしているのではないか。
振り返れば僕自身、人との関係性のなかで創作活動をしてきた過去がある。「はじめに」で記したように、小学生のころに書いた小説もどきを初めて読んでくれたのは母だった。その母が面白いと言ってくれたからこそ、僕は書くことへの志を持ち続けることができたのだ。あの時、母が読んでくれなければ、あるいは面白いと言ってくれなければ、僕はそのまま書くことに飽きていたかもしれない。
たとえ表現に向かう火が熾(おこ)ろうとも、周りの人びとがその火を消してしまえば、作品として結実することはない。一方、どんなに小さな火であっても、仲間たちが盛り立てることで盛大な炎へ成長することもある。
芸術認知科学の研究者である齋藤亜矢は、絵を介して子が母親とコミュニケーションすることについて次のように述べている。(6)
いつも周りから教わるばかりの立場も、絵を描いているときには逆転する。本人が自在に生み出し、外化するイメージを見て、それが何かを教えてもらうのは周りのおとなの方だ。「この船は6階建てなんだよ、この階段から上に行けるんだよ」と、ちょっと自慢げに説明してくれる。描いたモノを説明しながら新たなモノを付け加えて、絵の中で時間が流れ出すこともある。いわば絵を介したモノ語りの発生だ。
心理療法に用いられる描画療法でも、絵を介した言葉のやりとり、カウンセリングが大事にされる。絵を描けば、言葉だけでは伝えるのがむずかしい頭の中のイメージも共有できる。絵を介したモノ語りによって、共有できるイメージの内容がさらに深まるからなのだろう。
制作物という「癒着した表現」を通して、周囲と「モノ語り」をすること。工房集のメンバーにも、そういった社会的な動機づけがあるのかもしれない。だとすれば、展覧会やグッズ化といった社会との接点が増えることは、彼ら彼女らにとって大いにモチベーションをかきたてられる要因になるだろう。
宮本さんは、取材の翌週に大規模な障害者アートの展覧会が開かれると教えてくれた。いわば、作り手を社会とつなぐための実践の場だ。僕はその展覧会へ行くことを約束して、工房集を後にした。
まなざしがあるから表現が生まれる
翌週、私は北浦和にある埼玉県立近代美術館を訪れた。
主な目的は、第14回埼玉県障害者アート企画展「Coming Art 2023」を観るためだ。みぬま福祉会と、埼玉県障害者アートネットワークTAMAP±◯(タマップ・プラマイゼロ)が主催している。103名の作家による600点超の作品が展示された、大規模な展覧会である。
埼玉県立近代美術館は、北浦和公園内にある。晩秋の園内では木々の葉が鮮やかに色づき、赤や黄の落葉がモザイク状に足元を埋め尽くしていた。屋外に展示されている彫刻作品を眺めつつ、館内へと足を踏み入れる。
地下1階の広大な会場では、心惹かれる制作物の数々が待っていた。
超絶技巧の切り絵や長大な絵画、精巧な人形など、展示されている作品は非常にバラエティ豊かだ。もちろん、素朴な作品にもそれぞれに光るものがある。たとえば、日々の食事を文章とリアリティあるイラストで記録している小林一緒(いつお)さんの作品には、つい見入ってしまう磁力があった。
気になったのは、これだけの数の作品をどのように募集したのかということだ。
埼玉県では、障害のある方の表現活動をサポートするため、二〇〇九年から「表現活動状況調査」を行っている。使用されている調査票には、作品の写真を添付するほか、素材、サイズなどの情報だけでなく、作品が生まれた背景なども記載される。展覧会の実行委員は、集まった調査票をもとに表現の種を発掘していく。これは埼玉県独自のやり方であり、「埼玉方式」と呼ばれているそうだ。
調査にあたっては、こういうものがアートだ、という基準は設けていない。作り手本人や周囲の人々が「これは表現かもしれない」と感じたら、自由に調査票に書いてよい。
この展覧会では、日常生活に根ざした作品が多いのも印象的だった。膨大な量のバッグ・クロージャ―(食パンなどの袋の留め具)を重ね合わせた森理菜子さんの作品や、ビニール袋にちぎった紙を詰め込んだ野村真優子さんの作品などは、作り手の普段の生活が反映されているようだ。ともすれば、「これはアートなのか?」と疑問を抱かれかねないが、そういった作品をすくいあげられるのも埼玉方式の特徴だろう。
企画展を監修したアーティストの中津川浩章さんは、作品集に次のような文章を寄せている。(7)
埼玉県障害者アート企画展は、いわゆる一般的な障害者アートの公募展とはかなり違った展覧会です。作品のクオリティが高いことに加えて特筆すべきは「表現のバリエーションが豊富」なこと。〔中略〕オーソドックスな絵画や立体作品だけではなく、〝一見理由はわからないが続いている「行為」〟や「収集しているもの」などもその人の「表現」の可能性としてとらえるなど、一般的な「アート」の枠をはみ出す実に幅広い豊かな「表現」の数々がとても魅力的で面白いのです。
あらゆる活動を表現の範疇にふくめようとする、埼玉方式の特徴が端的に表された文章である。
会場では宮本さんにお目にかかることもできた。僕の感想にうなずきながら耳をかたむけた後、宮本さんはこんな風に言った。
「展覧会やギャラリーみたいな発表する場があると、それがやる気になる人もいますよね。施設の仲間の作品がそういう場所に展示されているのを見て、自分もやってみよう、という人もいます」
必ずしも、最初に表現があり、それが評価されるという順序ではないのだ。評価するまなざしがあるからこそ、表現への意欲が湧いてくることもある。そのサイクルを回し続けることこそが、創作の場をつくることなのかもしれない。
この企画展は、「アートミーティングatさいたま国際芸術祭」、そして「南関東・甲信ブロック合同企画展2023」と合同開催された。いずれも障害のある作家の展覧会である。
前者はさいたま市と新潟市の作家たちによる交流展覧会だが、近年、新潟でも埼玉方式にならったやり方で展覧会が開かれている。後者は1都5県の支援センターによる合同開催だ。主催の「南関東・甲信障害者アートサポートセンター」の連携事務局は工房集内に設置されており、職員たちは他地域のセンターとも日ごろから交流する機会があるという。
ネットワークを拡張することで、調査をベースとして表現活動を見出す手法が他の地域にも広がりはじめている。人と人との関係性からアートが生まれるのだとすれば、これは自然な流れと言えそうだ。
人は生きている限り、必ず何らかの痕跡を残す。いわゆるアート作品でなくとも、その痕跡のすべてが〈表現〉であり、アートの範囲にふくまれる。
商業作家として活動していると、時に、「売り物になるかどうか」「十分なクオリティが担保されているか」という視点で自分の小説を評価することがある。資本主義社会に商品を流通させている以上、この考えから完全に抜け出すことは不可能だ。苦労して書いた原稿をボツと判断され、落ちこんだこともある。だが、他者から評価を得られなかったからといって卑下する必要はなかったのだ。たとえ商品にならない文章であっても、それは僕自身の人生から滲(にじ)み出た、かけがえのない〈表現〉だ。そして、僕の人生に評価を下す権利は、何者にもない。
会場内に満ちる静かな熱気のなかで、そんなことを思った。
(1) 問いかけるアート編集委員会編著『問いかけるアート 工房集の挑戦』さわらび舎、二〇一七年
(2) 工房集+フィルムアート社編『どんな障害のある人でも受け入れる 工房集コンセプト・ワークブック10』川口太陽の家・工房集、二〇一二年
(3) 茂呂雄二『なぜ人は書くのか』東京大学出版会、一九八八年
(4) 青木惠理子編著『アートの根っこ 想像・妄想・創造・捏造を社会へ放つ』晃洋書房、二〇二二年
(6) 齋藤亜矢『ヒトはなぜ絵を描くのか 芸術認知科学への招待』岩波書店、二〇一四年
(7) 『第14回埼玉県障害者アート企画展「Coming Art 2023」作品集』社会福祉法人みぬま福祉会 アートセンター集、二〇二三年