こいわずらわしい メレ山メレ子

2020.12.28

01森に行きたい

 

 この記事をアップした12月28日の夜、今日が仕事納めの方も多いのではないでしょうか。年末年始のお休みに入る前に、年明け2021年1月に刊行予定の本のお知らせをさせてください。

 この「あき地」で以前「メメントモリ・ジャーニー」という、旅と死についてのエッセイを連載してくださっていたメレ山メレ子さんの新刊『こいわずらわしい』です! メレ山さんはもともと旅ブログ「メレンゲが腐るほど恋したい」を書かれていて、その後『ときめき昆虫学』という本を出されたり、イベント「昆虫大学」を主催されたりしているので、旅や生きものをテーマにした文章を書かれる方だという印象を持たれている方も多いのではないでしょうか。そんなメレ山さんが今回本のテーマに選んだのは恋愛! 恋愛について書くことはチャレンジだったと、メレ山さん自身があとがきで語っている本書をぜひ皆さんにも読んでいただきたく、何編か試し読みのページをアップしたいと思います。気になった方はぜひ年明けに本をお手にとってみてください。(編集部)

 

書籍『こいわずらわしい』 定価:本体1300円+税
詳細はこちらのページにて

 

 

―著者のメレ山メレ子さんからひとこと―
 これまでは主に昆虫のことや、旅と死をテーマに来し方行く末を考える文章を書いてきたのですが、恋愛について考察したり尻込みしたり、あるいは実践したりするエッセイ集を出すことになりました。
「いまさら恋愛の話って、ちょっとねえ……」という方、あるいは 「あまり人間と関係するのは好きでなくて、花や虫や猫のほうが……」という方にも、手に取ってみてほしい本です。 どうぞよろしくお願いします!

 

 


『こいわずらわしい』試し読みはこちら

 

 

 

森に行きたい

 

 微妙だったデートの話を、人から聞くのが好きだ。

 いままでに聞いた中でいちばん好きなのは「リトアニアにいたとき、いっしょに森に行った彼が針金を取り出してダウジング(*1) で地中に埋まった古い銀貨を探しはじめ、 しかもこっちにはぜんぜん針金を貸してくれなくて、見ていたらめちゃくちゃ蚊に刺された」という話だ。見つけた銀貨を一枚でもくれたらちょっと嬉しいかもしれないが、当然のように独り占めだったらしい。

 北欧の森。きっと色鮮やかなキノコや野いちごやふかふかの苔が生えていて、小鳥 やリスがいる素敵な場所(行ったことないけど)。そこでまじないじみた手法で古い 銀貨を探すなんて、体験を分かちあえばどんなに楽しいだろう。

 一方これが「彼氏の会社の休日フットサルイベントに連行され、知らない人と作り笑顔で会話しながらフットサルを観せられる」とか「自分の誕生日になぜかウインズ 渋谷 (*2)に連れて行かれ、お金がなくなったと回転寿司をおごらされる」だったら、地獄の要素しかなくて悲惨度は高いが全体の印象としては平板であり、さほど心に残らないエピソードとなる。ダウジングデート in 森は「余暇のセンスは最高⇔でもデートとしては成立していない」という落差が、高い印象点を叩き出す。ちなみにウインズ渋谷は大昔、わたし自身に起きたことである。

 

 銀貨探しデートの話をはじめて聞いたときは「どんなに素敵な人でも、ダウジングする背中を見ているだけというのはちょっと……」と哀しみをおぼえたはずだった。 しかし、時が経つにつれ「森に連れて行ってもらえるだけでも勝ち組」というあこがれのほうが大きくなってきている。

 大半は不純な動機からである。わたしは生きものを観察したり石を拾ったりするのが好きだが、森や海など良いフィールドは車でないと行けないところが多く、だれかに運転してもらいたいのだ。わたしという人間が卒検に三回落ちながらも運転免許を 取得してしまったのは完全に制度上の欠陥であり、運転だけはぜったいに自分ではしたくない……。

 「これは彼氏がほしいのではなく、車の運転を気安くお願いできる人間がほしいだけ だと最近気づいてしまった」と方々で話していたら、先日「わかります。わたしも恋 人ではなく、湯たんぽか電気毛布がほしいだけだと気づいてしまいました」という友人が現れた。この例だと自動運転車と暖房器具によって恋人に求める大半の機能が消滅する。人工知能が人間の仕事を奪うよりも早く、テクノロジーが恋愛から不純な動 機を奪い去る。たいへん結構なことである。

 そもそも恋人にフィールドに連れて行ってもらうドライブデートなんて一度もしたことがないので、最初からすべて妄想であったとも言えるわけだが。

 

 このように「恋人がほしい」とか「結婚相手がほしい」という言葉には、人によって実にさまざまな欲が詰まっている。「共に支えあい慈しみあえる人がほしい」から 「なんだか真人間っぽい印象を周囲に与えたい」とか「さびしい人間だと思われたくない」「自分ひとりだと生活が荒れるので、食事や服装をちゃんとする動機がほしい」 とかもそうだろう。

 そこからパートナーシップを結ばず、別の人やものでも満たせる動機をひとつひとつ取っ払っていくと、人と人が一対一でいっしょにいる約束をすることに何が残るん だっけ、とよく思う。恋愛でないと満たせない動機が不純だと言いたいわけではない が、それって必ずしも恋愛で無理に実現しなくてもいいのでは? と思うことは多い。

 だれかと喜びを分かちあいたいとか、人といないとさびしいという気持ちはわたしにもある。しかしひとりで居たいときにだれかが横にいることで死ぬほどイライラしたり、この人にだけはわかってほしいというタイミングで崖から突き落とされたり、 幸と不幸の振れ幅が大きくなっただけで長い目で見ればプラマイゼロ、いやはるかにマイナスだったということもある。

 世間の例を見ても恋愛では、仕事や学業や友人・家族関係までグダグダになったり、 大ダメージを受ける人が少なくない。たまに死者も出る。こんな危険なものが人生で 経るべき必須ステージだみたいな世迷言は撲滅し、早いこと「変わった趣味のひとつ」 とか「限界に挑戦したい人向けのエクストリームスポーツ」という位置に置いたほうがいい。そうすれば、伴侶がいてはじめて一人前扱い、というふざけた幻想もなくな るだろう。

 

 と書いたが、わたしもこの競技に何度も挑んだことがある。いざエクストリームスポーツの予感を感じると、とんでもなくわくわくしてしまう。冷静ぶっているわりに、 困ったことにかなりの恋愛体質だ。恋愛しているときは瞳孔が開き、皮膚がざわつき、 感性がふだんの十倍豊かになる気さえする。

 しかし瞬間的には夢中になっても、熱が冷めてくると「あのときは正気ではなかっ たのでは……? すべてが虚しい……」という気持ちになる。この人と恋愛しなけれ ばずっと良い友達で、いろんなことを話せたのになと思うこともある。結婚も一度したけれど、結局離婚することになった。「恋愛ってほんとーにいいものですよね!」 とか、「人生は真実の愛を探すための旅だよね!」という言説を見るたびに目が死ん でいく。

 そもそも、わたしは集中力を多方面に割くのが非常に苦手な性格だ。手持ちの少な いコミュニケーション資源を、目の前のひとりに注いでしまっていいのだろうか。だれかに好き放題甘え、甘えられているときよりも、孤独でいるときのほうが友人や職場の人といい関係を作ることに注力でき、結果もっといい人間、自分が自分でこうありたいと思う人間でいられるのではないか。恋をしていないときや終わりかけている ときはもちろん、恋愛の真っただ中にいるときも、そんな考えはよく浮かんでくる。

 できれば恋愛などに振り回されず、穏やかな心持ちで、ひとりを楽しみ他人を大切にできる人間として暮らしたい。

 でも一方で、だれかを好きになったら気持ちのままに身勝手で大胆なことができる 人間でもありたい。

 とりあえず、自力で森に出よう。電車で、タクシーで、友達を巻きこんで。いろんな森で落ち葉の湿ったにおいを吸いこんで、だれと森に行きたいのかはそのあと考え よう。

 そういえば銀貨の彼は、ひとりでも行ける宝探しに何を求めて彼女を連れて行った のだろうか。知る由もないが、いつか訊いてみたいなと思う。

*1 ダウジング:L字型の針金や振り子を使って、微細な揺れを手がかりに地下の水脈や鉱脈を探す手法。なお、科学的な有用性は証明されて いない。

*2 ウインズ渋谷:日本中央競馬会の場外馬券売り場。せめて本物の馬がいる競馬場ならすこしは楽しめたかもしれない。

 

(森に行きたい・了)

 

次回2021年1月8日(金)掲載