ソウル㊙️博物館&美術館探訪 大瀬留美子

2024.3.28

04朴正煕大統領記念館 ②

 

ここは青瓦台?

 木の温もりに満たされ、シンプルな韓国伝統紋様で彩られた空間。1階のエントランスは、気品が漂うデザインが印象的だ。現在一般開放され、自由に観覧が可能になった青瓦台(チョンワデ、旧大統領官邸)にも似ている。以前は、壁いっぱいの大きさの額縁に入った大統領の写真が飾ってあり、見る者を圧倒していた。路線変更したらしく、心地よい調べのクラシック音楽と水のたゆたう音だけが聞こえる(リニューアル前の様子と比較が今後多くなるのをご了承いただきたい)。

青瓦台に来たような錯覚を覚えるエントランス

 

 後ろを振り返れば、朴正煕(パク・チョンヒ)大統領と陸英修(ユク・ヨンス)夫人の等身大パネルが。威厳に満ちた写真や、映像ばかり見ていたので背が大きいと勝手に思っていたが、彼の佇まいは大変こぢんまりとしている。

 

空間、写真、映像、オーディオと工夫がいろいろ
 第1展示室は青年期と、クーデターを起こし大統領に就任するまでを中心にした展示で、3つのテーマから構成されている。
 日本統治時代の1917年、貧しい農民の子として生まれ厳しい家庭環境の中でも、亀尾(クミ)普通学校と大邱(テグ)師範学校を出て聞慶(ムンギョン)公立普通学校の教師になり、そして国家再建最高会議議長、第3代大統領として歩んでいった姿を知ることができる。ラッパ吹きの第一人者と呼ばれ、体は小さかったが幼い頃からリーダーシップを

発揮し、なつめの木でできた棒というあだ名がついていた。韓国では硬くてしっかりしていたり、とげとげしく見える人を例える時に用いる表現らしい。

 藁葺き屋根の農家、日本統治時代の学校の教室の様子が再現された空間では、足を踏み入れると自動でいろいろなオーディオが再生される。訪問者は少ないが、絶えずどこかで音が鳴っているのでさみしくなったりはしない。映像もあちこちにあって絶えず何かが動いている。藁葺き屋根前で聞こえてくる、お母さんと思しき優しい声を聴きながら朴家の家系図を見ると、その始祖が新羅の伝説上の初代王とされる朴赫居世(パク・ヒョッコセ)になっている。さすが朴正煕大統領と興奮した。

 しかし、実はこちらのただの知識不足で、帰化人を除く全ての朴氏は建前上、赫居世の子孫とされているそうだ。朴氏は新羅の末裔なのかあ。おかげで新しい知識を得た。なお、家系図では陸英修との間に生まれた4人の子ども、そのうち最も名前が知られているのが第11代大統領を務め、その後弾劾された朴槿恵(パク・クネ)であろう。前妻との間に生まれた娘の朴在玉(パク・ジェオク)も確認できる。

 その次のコーナーには大きな牛のオブジェが。なんだろうと近づくと……

「ひいいっ」

 昭和の少女ホラー漫画の主人公のように思わず、声を出してのけぞってしまった。2回目のひいいっだ。牛の横にライトに照らされた少年の人形。根元や毛先まで自然に見えるように、緻密に計算して植毛しました、というキャッチフレーズまで浮かんでしまうほどのリアルさで、しばらく目を離すことができなかった。牛の隣で本を読むほど勉強熱心だったと伝えるための再現シーンだが、やはり朴正煕大統領記念財団の仕事ぶりは違う。

 ちなみに、説明パネルは日本語表記が比較的多いのでありがたい。といっても最近は写真を撮れば文字を認識して翻訳してくれるアプリがあるので、便利な世の中である。韓国語と日本語は語順も似ていて、漢字語も多いので精度が高めなのもうれしい。

思わず声が出るオブジェ②、そしてお尻

 

 記念館も含めて、博物館というのはその書き手の立場によって使われる単語や、史実の解釈に違いがある。これは当然のことで、視点の違いを改めて意識したり、この書き手はどういう立場なのだろうと考えるのも楽しみのひとつではないだろうか。

「新しい国家建設に乗り出す」のコーナーの説明を見てみよう。1960年に初代大統領の李承晩(イ・スンマン)による独裁政治が419革命によって倒され、張勉内閣が成立した。しかし、その約一年後、1961516日に当時軍人だった朴正煕を中心とした韓国軍部がクーデターを起こし政権を握った。当たり障りのない表現だと「516クーデター」というが、朴正煕大統領記念館では「516軍事革命」という言葉が使われている。

 展示コーナー名には「腐敗と無能に立ち向かう」とあり、516の行動に正当性が付与されていると理解できる、ここは英雄の記念館なのだ(このように書いている時点で、私は正当性を認めない立場であるのが伝わってしまうし、閣下を敬愛する層からは怒られるかもしれない。ただ、密かに萌える側である)。

 日本にいると、歴史的事件に対する呼称に関して、何か指摘される機会がほとんどない。韓国に住んでいると状況は異なってくる。例えば、「日韓併合」「終戦」「朝鮮戦争」「日本統治時代(もしくは日本植民地時代)」「朝鮮」といった言葉は、話す時や書く時に少し間を置いて考えるようになった。

中国語を見ながら516は中国ではどういうイメージなのか気になるのであった

 

「戦いながら建設しよう」というスローガンのもと、産業化と軍事化が進む韓国

 同じ1階にある第2展示室は構造がやや複雑になり、そして見るものも一気に増える。186ヶ月分の業績・功績は盛りだくさんで、6つのテーマからなっており、それぞれ大量の写真・映像・オーディオ資料があるため、展示を見るのは体力勝負だ。

 朴正熙大統領は、経済開発5ヵ年計画(国民の経済発展を目指し、1962年から1972年まで5年ごとに推進した経済計画)をベースに、韓国の経済発展と国土開発を急ピッチで進めた。軽工業中心の経済発展から重化学工業、京釜高速道路の建設などを成功させ、農村の啓蒙運動であるセマウル運動、科学技術発展への惜しみない投資、北朝鮮の挑発に対する国防、海外への人材派遣である炭鉱労働者と看護師派遣およびベトナム派兵、韓米同盟……とにかく多い。

 個人の好みを言うと、軽工業の輸出品であるカツラや人形、衣服、水産物の特にイカなどを見るのが好きで、リニューアル前の展示との比較が楽しい。以前は、工場内の様子を再現したコーナーごとに区切られガラス張りになっており、中にある人形たちの体と頭の不思議な比率が萌えポイントだった。現在はパネルに変わってしまってちょっぴり残念だが、輸出産業工業団地の航空写真と、女工さんたちの写真の配置にセンスを感じる。

 重化学工業の発展史も大変萌える。慶尚北道東海岸の港湾都市浦項(ポハン)に造られた国営浦項総合製鉄(現在のポスコ)は、日本の八幡製鉄所や富士製鉄(共に現日本製鉄)、日本鋼管(現JFEスチール)から技術支援を受けて大きく成長を遂げた。多い時には100人近くの日本人技術者が浦項で働いていたというが、これは江原道(カンウォンド)の太白(テベク)の炭鉱におけるドイツ人技術者や、全羅南道(チョルラナムド)の高興(コフン)の宇宙センター関連で働いていたロシア人技術者と同じように興味深い。何を食べどこで暮らしていたのか、ゆかりのある土地をいつか訪ねたいと思っているが、1960年代後半の痕跡は残っているだろうか。

 大韓民国南東部にある蔚山(ウルサン)は、韓国で初めて国家産業地区に指定された都市である。蔚山工業化のシンボルである蔚山工業塔のあるロータリーを走った時の、高揚感を思い出す。可能ならずっとグルグルしていたい、素敵なシュッとした白亜の塔である。

 国土建設コンテンツの花形は、なんと言っても京釜高速道路の建設であろう。ソウルと釜山(プサン)を結ぶ全長428キロの高速道路で、197077日、25ヶ月間の建設工事を終えて完成した。ソウル市内の道路と漢江の橋の工事はもちろん、全国各地でインフラ整備が進んだ。

本物のするめからフィギュアに変わったイカ(輸出品の例)

 

 多くの展示品の中でおすすめしたいのが、高速道路や橋などの開通式・竣工式でのテープカットに使用されたはさみコレクションである。はさみを集めて展示しているところを他に私は見たことがない。横で見ていたご夫婦も「記念式のはさみを集めて見せるなんて、普通は考えないよ」と驚いていた。そう、記念館に「普通」はないのである、偉大な朴正煕大統領閣下なのだから(大統領のよい面ばかりをずっと見てきて、少々バグり始めている)。

 私は無意識にあるハサミを探していた。挿橋湖(サプキョホ)のハサミ、挿橋湖のハサミ……あれ、ない?と思っていたらなんとガラスケースの真ん中で、特別な仕様のケースに入って光っているではないか。19791026日、忠清南道(チュンチョンナムド)唐津(タンジン)の挿橋防波堤の完工式に朴正煕大統領が出席したのだが、この日の夜に金載圭(キム・ジェギュ)中央情報部長に暗殺された。生前最後に使われたハサミということで、特別な意味を持っているのである。

 なお、ハサミコーナーでひとつ表記ミスを発見した。ヒントは麻浦大橋(マポデギョ)なので、興味ある方はぜひ探して私か記念館に報告してほしい。

他に例を見ないテープカットのハサミ展示

 

気になる備品と人間美を伝える空間

 第3展示室は、「批判と試練」というメディアを通した朴正煕大統領の姿から始まり、こぢんまりとした追慕室、そして執務室を再現した部屋と大統領夫妻の遺品コーナーから構成されている。偉大な英雄としてよいところだけを見せるのではなく、独裁政権や人権蹂躙といった負の面も紹介するのは、リニューアル後はじめての試みだという。

 追慕室の前に血圧計があったのだが、他の博物館にもあるかどうか記憶が定かではない。もしかしたら、市民の健康増進のために韓国では設置が推奨されているのかもしれないが、設置場所がなかなかよい。追慕室の中に入ると、壁に刻まれた夫妻の姿が。視線を下に向けると、寄付金入れとティッシュの用意があった。指に朱肉をつけるようなものは見当たらない。ここで涙を流す支持者(ファン)がいるのだろうか、ともあれ温かい配慮である。

追慕室に入る前に血圧を測り
そして涙を拭くためのティッシュも?
 執務室を中から撮影した様子。展示通路は窓側にあり、何か視線を感じるなと振り向いたら窓の外を眺める朴正煕大統領と目が合うことになる。これが三度目の「ひいいっ」である。思わず声が出るオブジェとしよう。カーテンで隠れてよく見えないので、その気配をぜひ感じてほしい。それにしても小柄な人だったのだなあと改めて驚く。
大統領の人形の位置があまりよろしくない

 

 最後はグッズコーナーだ。どこかの大学生らがグッズ公募で優秀な成績を収めたらしいグッズが並び、買えないのは残念だが見ているだけで楽しい。セマウル運動や、京釜高速道路の竣工記念塔などを現代の若者感覚で解釈した作品に、大統領グッズの明るい未来を見るようで微笑ましかった。1978年に完成した地対地ミサイル「白熊」のTシャツ、手榴弾などの武器ステッカーがあるのは斬新である。

 公式グッズはネイビーとスカイブルーを基調としており、ふせんやマグカップなどが手に入る。以前見かけたトートバッグが見当たらなかったのは残念だ。

大学生たちの公募作品(非売品)の展示が多く公式グッズは少ない

 

 まばゆい光に包まれた展示を見れば見るほど、一方で韓国社会に落とされた濃い影の存在に意識が向き、そしていろいろ知りたいと思うのであった。その意味でも朴正煕大統領記念館は訪れる価値があった。

 韓国の現代史に興味があれば、ぜひどうぞ。

 

 

【インフォメーション】

朴正煕大統領記念館

 2012年、朴正煕元大統領の軌跡と功績を称える記念館として建てられた。ソウル西部のデジタルメディアシティ(DMC)エリアに位置し、周辺にはSBS、MBC、YTNなどの放送局や、ITを中心とした企業や関連施設が集まる。

 3つの展示室から構成されており、第1展示室は生い立ちから第3代大統領時代の軌跡を、第2展示室では経済開発とセマウル運動および海外派兵についての展示、第3展示室は在任中の出来事を当時の新聞記事で振り返るスペース、大統領夫妻の遺品などの展示がある。

開館:10:00~18:00(最終受付17:00)
料金:無料
住所:ソウル特別市 麻浦区 ワールドカップ路 386(서울특별시 마포구 월드컵로 386)
交通:地下鉄6号線・空港鉄道・京義中央線デジタルメディアシティ(Digital Media City )駅2番出口から徒歩約20分またはタクシーで約4分