ソウル㊙️博物館&美術館探訪 大瀬留美子

2024.4.23

05朴乙福刺繍博物館&浄源朴光勳服飾博物館

 ソウル㊙️博物館&美術館探訪はミリタリー、大統領となかなか渋いテーマでお送りしたが、今回は「韓国の手仕事」。最近、取材先で出会った手工芸の作家さんの影響もあるかもしれないが、特に縫うという行為によって仕上げられたものにある日ふと魅かれたのであった。

 韓国の手工芸であるポジャギ(韓国の伝統的なパッチワーク)やヌビ(韓国の刺子、キルティング)、それらを用いた服などを鑑賞できる博物館はどこだろう? 観光情報サイトでは草田(チョジョン)繊維キルティング博物館や、ソウル工芸博物館、龍山工芸館などの紹介があるが、あまり知られていないこぢんまりとしたところに行ってみようと情報収集を開始した。

 アンテナにひっかかったのが、朴乙福(パク・ウルボク)刺繍博物館と浄源朴光勳(チョンウォンパク・グァンフン)服飾博物館である。

ソウル北部の自然を満喫

 今年、ソウルの桜の開花は少し遅いように感じたものの、平年に比べると1週間ほど早かったそうで、観測史上5番目に早い開花だった。桜が散り始める頃訪れたのは、ソウル北部にある牛耳洞(ウイドン)。雄大な山並みが広がる北漢山(プッカンサン)国立公園の麓に広がる町で、登山道の入口にあるので登山の拠点にもなっている。2017年秋に開通したソウル初の軽電鉄に乗れば、外国人観光客も気軽にアクセス可能だ。国立4.19民衆墓地も近い。また、世界的な人気を集めたドラマ「イカゲーム」のロケ地としても知られている。

 朴乙福刺繍博物館は、国立公園登山道の入口より少し手前の軽電鉄牛耳線ソルバッ駅の近くの閑静なところにある。駅を降りたら平凡な町並みなのに、その背景に驚くこと間違いなしだ。なぜなら迫りくるような大きさの岩山がこちらを見下ろし、緑がどこまでも広がっているからだ。大変山深い田舎に来たようで、「どこか遠くへ行きたい」という願いはすぐに叶う。このような大自然に触れられるのは、大都市ソウルの魅力のひとつである。

 さて、素晴らしいのは山並みだけではない。車が往来するアスファルトの道路沿いにある鬱蒼とした松林にも注目だ。駅名にもなっている松林(ソルバッ)公園は、1990年にアパート建設でなくなる危機にあった松林の一部が周辺住民の反対によって残されることが決まり、整備後2004年に一般開放された。澄んだ空気に満たされた松林は、まるで慶尚北道(キョンサンプット)の安東河回(アンドンハフェ)マウルや、慶州(キョンジュ)の古墳群に来たかのよう。ソウル市内の王宮内の木々も素敵だが、千の松に癒されるのもいいだろう。山へと向かう道を歩いて行くと、路傍には開発制限区域と刻まれた石標がいくつもあり、意味もなくわくわくする。

 途中で立派な韓国伝統建築様式の重厚な門や建物が見えてきた。東洋火災保険研修センターと門の扁額にあったので後で調べたら、韓国の財閥のひとつであるサンヨングループの創立者省谷(ソンゴク)金成坤(キム・ソンゴン)の別荘であることがわかった。その昔、朴正煕大統領を招いて夕食を共にしたそうだ。ちなみに金成坤の自宅は美術館になっている。

 大企業の研修センターや低層の集合住宅と共に目に入ってくるのは、広い庭を持つ大邸宅だ。裕福な人々が建てた別荘が並んでいるのだが、朴乙福刺繍博物館もその中のひとつである。

昔は一帯が松の林で公園はそのほんの一部

別荘に遊びにきたような気分

 ともすれば通り過ぎてしまいそうなほど、控えめなエントランスである。電話やメール等であらかじめ訪問予約をする必要があるものの、なんだか別荘に遊びにきたような特別感に満たされる。バーベキューが楽しめそうな広い庭、いろいろな花が咲いた鉢が並んでいて、今にも家の主が庭いじりをしながら「よく来ましたね」と迎えてくれそうな温かい雰囲気が印象的だ。等間隔に並んだ大きな刺繍針のオブジェを見て、ああ、そうだ、ここは博物館だとはっとするのであった。

 訪れたこの日は木蓮の花が満開だった。建物の前の大きな百日紅の木が花を咲かせたら、とてもきれいだろうなと想像する。緑あふれる敷地内で、美しい声を聞かせてくれる鳥たちと心地よい4月の風。もうそれだけで十分だと思えるのだが、建物もゆっくりと見る価値がある。というのも、1969年に韓国の著名な建築家である鄭寅國(チョン・イングク)が設計した建物だから。弘益(ホンイク)大学校本館(1957年)や朝興銀行本店(1963-1966年)などの代表作を持つ建築家で、この建物はモダンなデザインの階段を上って2階から入るのが大きな特徴だ。今は建物正面のガラス扉を開けて入るようになっており、ロッカーが設置されている。荷物がある時は利用するといいだろう。

刺繍針オブジェの存在感

 中に入ると学芸員の方が迎えてくれた。取材を兼ねて来たとあいさつすると、解説をして下さるというので喜んでお願いした。刺繍作品は大変デリケートなので、訪問者が館内にいる時だけ照明をつけるという。

 朴乙福(1915-2015年)は日本と縁が深い。東京女子美術大学の刺繍学科で勉強し、卒業後は刺繍の教師として活動、官展での受賞歴も多かった。京城帝大出身の医師との結婚後は家庭に入り育児に専念したが、華やかな交友関係は継続して彼女の創作意欲を刺激した。家庭を長い間守ってきた彼女は1960年代から再び創作を始め、1961年に個展を開いたのをきっかけに次々と大作を世に送り出すようになる。刺繍と現代絵画をミックスさせた彼女の作品は、女性の単なる教養だった刺繍を視覚芸術作品に昇華させたとして高い評価を受けている。

手工芸としての刺繍ではなく芸術としての刺繍

 学芸員さんは、企画展が準備中なのといろいろな特別展に貸し出し中で作品が少ないと申し訳なさそうにしていたが、東京留学時代に仲の良かった画家・金仁承(キム・インスン)(1910-2001年)の描いた肖像画を見られただけでも私は十分満足だ。

 韓国の美術界を牽引した画家の雲祥(チャン・ウンサン)(1926-1982年)や、金基昶(キム・ギチャン)(1913-2001年)、彼の妻でもあり画家として活躍した朴崍賢(パク・レヒョン)(1920-1976年)の作品もあった。

韓国の美術作品の鑑賞もできてしまう

 縫う作業だけでも大変なのに、ある作品は大きなキャンパスにのびのびと色彩が踊り、ある作品は緻密に計算された構図と陰影が美しく、ため息ばかり。使用する刺繍糸はシルクで、光の具合や見る方向によって色味や艶の具合が変わる。また、ステッチも大変凝っているので、絵の具をのせた絵画とはまた違った立体ならではの魅力がある。

「情」という1961年の作品は景福宮(キョンボックン)の蓮池をモチーフにしたもので、大きな屏風のフランス刺繍作品である。一時期、半島ホテルの広間のインテリアとして使用されたそうだ。半島ホテルは日本統治時代からあったホテルで、現在は日本人観光客にも親しまれているあのロッテホテルの前身である。

画家としても才能があるのではないか

 2階には作品は少なかったが、かわいらしい「兎」や「鹿」といった作品は近づいて鑑賞できるのがありがたかった。うさぎの細やかな毛並みや、鹿のやさしい瞳に作者の動物に対する愛情が感じられ、見ていて自然に口元がほころんだ。「外出」はシンプルな線で躍動感あふれるコハクチョウを表現した作品で、大変モダン。国会議事堂に寄付されたため、こちらには復元作品が展示されている。
 5月中旬からは企画展が始まるそうだ。刺繍といったら朝鮮時代の伝統的なものしか頭に浮かばなかったので、このようなモダンな作品に出会えてよかった。なお、女子美留学組には上述の朴崍賢、韓国初の女性西洋画家で小説家、女性解放論を唱えた羅蕙錫(ナ・ヘソク)(1897-1948年)、画家として活躍した千鏡子(チョン・キョンジャ)(1924-2015年)がいる。韓国の近現代を引っ張ってきた新女性たちだ。

 

味わい深い人形がたくさん

 続いて訪れたのは、同じくソウル北部エリアにある浄源朴光勳(チョンウォンパク・グァンフン)服飾博物館。誠信(ソンシン)女子大学の雲庭(ウンジョン)グリーンキャンパス内にあり、大学は地下鉄4号線水踰(スユ)駅と弥阿(ミア)駅の中間に位置する。1936年の設立以来韓国を代表する総合女子大学として知られており、雲庭グリーンキャンパスは第二キャンパスとして2011年に完成。そのため施設がとても新しくてきれいだ。

 創立者の李淑鍾(イ・スクチョン)(1904-1985年)も、東京女子美術専門学校の留学組。1925年に梨花学堂(現、梨花女子大学校)が高等教育機関になるまで、朝鮮に女子の高等教育機関が存在しなかったという事情があったため、1925年以前は日本に留学する例が多かった。ちなみに卒業すれば教員免許が無試験でもらえた。

青空の下に創立者李淑鍾の白い像がよく映える

 浄源朴光勳服飾博物館の案内は特にないのではじめは少し迷うが、キャンパス入って左側に見えるガラスの建物の1階にある。訪れたこの日は受付に人はいなかった。天井の排水管を流れる水の音が響いているのが気になったが、訪れたこの日は誰もおらず、貸切状態で鑑賞することができた。

 展示はソウル無形文化財第11号の針線匠(手縫いで服や装飾品を作る匠)である朴光勳の寄付した服飾品、装飾品で構成されている。韓国人の人生の節目を祝う伝統行事、宮中での高貴な人たちの身につけたものの紹介と大きく二つに分かれている。

 ペギルチャンチ(百日お祝い)から葬式までのさまざまなライフイベントに興味があれば、さらに楽しく鑑賞できるだろう。赤ちゃんの人形に、早速、朴正煕大統領記念館の時のように「ひいいっ」と声が出てしまった。人形に驚かされるのはもうやめにしたいが、なかなかうまくいかない。

 この博物館は人形のイケメン率が高かった。目元がトニー・レオンのような憂いを帯びている新郎人形の前に、結構長い時間立っていた気がする。

人形チェックは博物館の楽しみのひとつ

 韓国の伝統衣装は大変鮮やかだ。目の覚めるような原色と光沢のある布地から感じ取るのは、大陸ならではの力強いエネルギーと言ってもいいだろう。これらの色は古代中国の「陰陽五行説」のうちの、木・火・土・金・水の要素から成り立つという「五行説」に由来した「五方色」を基本としている。

「五方色」は青・赤・黄・白・黒の五色。そしてそれぞれの色の中間にあたる色を「五間色」といい、紫・紅・碧・緑・(硫)黄の五色を指す。

鮮やかな服、装飾品の刺繍に込められた幸福への願い

想定外のキャラクターに遭遇

 宮中儀礼の服は華麗の一言、このような服を作るのにいったいどれだけ多くの職人が関わっているのか想像するだけで気が遠くなる。美しいものへこんなに簡単に近づけるなんていい時代である。

 ただし、人形は相変わらず不気味なものが多く、しかも来場者は自分一人しかいないのでだんだん不安になってきた。人形に過剰反応しすぎだろうかと、自分自身の鑑賞スタイルに疑問を持ちはじめたその時。トゥルッとした質感の肌を持った王様の鎮座している姿が視界に入ってきた。服に集中すべきである、人形ではないと言い聞かせていると……

何かいる

 テディベアが韓服を着て並んでいるではないか。宮中儀礼のメイン展示コーナーに置くのは荘厳な場の空気の流れを一瞬にしてファンシーに変えてしまうからなのか、なんとも控えめな佇まいである。今回の博物館探訪を通して、佇み具合というのも鑑賞ポイントに加えようとテディベアを見て決めたのであった。もしかすると、訪れるキッズやカップルたちに寄り添おうとする試みがテディベアという形になったのかもしれない。それともどこからかの寄贈品で、雰囲気に合わないがとりあえずフォトゾーンにしようとなったのかもしれない。

 ソウル市内の王宮は韓服を着た人々でにぎわっているが、そういえば韓服姿の着ぐるみは見たことがない。韓服を着たテディベアでいっぱいの景福宮も楽しそうだが、やはり格式のある王宮に対して少し失礼かな。いろいろと想像しながら博物館をあとにした。

【インフォメーション】

朴乙福刺繍博物館
韓国の伝統刺繍と近現代絵画を融合させ、韓国現代刺繍の発展に寄与した朴乙福(1915-2015年)の業績を称え、各種文化芸術に寄与するために2002年に開館された博物館。北漢山国立公園の麓の閑静な邸宅街にあり、1969年に韓国の有名な建築家である鄭寅國が設計。彼女の作品を保管する収蔵庫および別荘だったが、数年間の居住の後博物館としてリノベーションされオープンした。

開館:月曜〜金曜 12:00~17:00(電話かメールで要予約)
料金:6000ウォン(無料の場合もあり、要確認)
住所:ソウル特別市 江北区 三陽路 149ガギル 56(서울특별시 강북구 삼양로 149가길 56)
交通:牛耳新設軽電鉄ソルバッ公園(Solbat Park駅 2番出口 徒歩10分

浄源朴光勳服飾博物館
誠信女子大学雲庭グリーンキャンパス内にある服飾博物館。ソウル無形文化財第11号の針線匠(手縫いで服や装飾品を作る匠)である朴光勳が寄贈した600点を含め2000点以上の織物類、装身具類の一部を展示。韓国の冠婚葬祭から宮中儀礼の服飾品を鑑賞することができる。

開館:月曜〜土曜 10:00~17:00
料金:2000ウォン
住所:ソウル特別市 江北区 道峰路 76ガギル 55 雲庭グリーンキャンパスB1(서울특별시 강북구 도봉로 76가길 55)
交通:地下鉄4号線弥阿(Mia)駅 2番出口 徒歩10分