ソウル㊙️博物館&美術館探訪 大瀬留美子

2024.2.5

01戦争記念館 ①

 ソウルに来たら、博物館や美術館に足を運ぶ人は多いのではないだろうか。参加したツアーの無料オプショナルツアーでとりあえず行ったものの、興味がないためただ退屈な時間を過ごしたということもあれば、ぽかんと空いた時間に博物館でもとなんとなく行ってみたら、思った以上に楽しかった経験は誰でもお持ちであろう。近頃では、BTS聖地巡礼にリストアップされた国立中央博物館やサムソンリウム美術館などにファンが訪れていると聞く。観光地としての魅力の幅もだいぶ広がっているようだ。
 ソウルには博物館や美術館が国公立・私立合わせて175近くあり、知れば知るほど、行けば行くほど楽しいところがたくさんある。韓国と出会って25年以上、ソウルを愛し、路地を隅々まで知り尽くした“まち歩きの達人”である(2022年刊『ソウル、おとなの社会見学』の紹介文より)私は、20年くらい前から三清洞(サムチョンドン)の東洋性文化美術館やみみずく博物館、仁寺洞(インサドン)の木人博物館、昭格洞(ソギョクトン)のチベット博物館、弘大の近現代デザイン博物館など紹介してきた。
 そんなミュージアムとの出会いを懐かしく思いながら、ソウルの町へ。巨大なところからマニアックなところまで、「ここいいなあ」とふんわりと幸せな気持ちになったり、館長やキュレーターの思い入れにぐっときたり。建物に向かうまでの街並みや空間の醸し出す雰囲気に地味にこだわりつつ、散歩感覚で楽しむ博物館&美術館鑑賞の連載はじまり、はじまり。

戦争記念館 ①

不必要に緊張する5分間の道のり
 最寄りの駅は、地下鉄4号線三角地(サムガクチ)駅。12番出口を出て5分ほどで広大な敷地に巨大な建物が建っているのが見えてくるのだが、そこに向かうまでの道のりがなんとも穏やかでない。ハングルがぎっしり書かれた立て看板、座りこみをしている人々、大音量の音楽とともに同じ言葉を繰り返しながら走る街宣車。ガードマンっぽい人や警察官のグループがあちこちに待機しており、身分証明書を見せろと今にも言われそうで必要以上に緊張する。
 私は平凡な外国人観光客ですというオーラを出そうと(どんなオーラなのか)努力する5分間、通り過ぎる韓国の人々は日常生活の一部ですというような顔をしている。ちなみに大きな道路をはさんで一本路地に入れば、龍理団(ヨンニダン)キルと呼ばれるレストランやカフェが並ぶエリアが広がっていて、若い人たちでいっぱいだ。
 いったい何が起きているのか。みんな大統領に文句を言いたくて三角地に集まっているのだ。じつは、尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領の就任後、執務室が景福宮(キョンボックン)の北側にあった青瓦台(チョンワデ)から国防本部に移った。そのため国防本部の周辺が穏やかでないのである。戦争記念館の前には、“敷地内でデモ・集会等禁止”という看板が置いてあり、微動だにしない警備の人が。お年寄りがひとり、大声で政治批判している横を小走りして敷地内に到着である。

巨大モニュメントの内部へ
 二人の兵士が抱き合う兄弟の像や、高句麗の広開土太王の碑、躍動感あふれる群像などスケールの大きいモニュメントを眺めながら、護国精神や国民の平和への祈りに耳を傾けようとしたその時。戦争記念館の顔とも言える青銅の剣の下に、入口が見えるではないか。中に入れるとは!

ミサイルをイメージしていると勘違いする人もいるという
青銅の剣のモニュメント

キャラクター名をチェックするのを忘れてしまったが、フォトスポットだという

 モニュメントはやはりいろいろな角度から眺めないと、という思いを新たにし、鎌倉仏像の胎内に入るような心構えで階段をおりていくと、いざない役のキャラクターに迎えられた。
 非常対備体験館(비상대비체험관)という案内が見えた。対備は備えるという意味で、非常事態対策体験館とでも言おうか。非常事態と言えば日本人であるがゆえ、まず思い浮かぶのは地震だが、韓国では戦争で、北朝鮮が攻めてきた時にどのようにして安全を確保するかが第一。分断国家のリアルが感じられる。もちろん、自然災害をはじめとした様々な状況に対する安全行動についても学べるようになっている。
 防毒マスク着用マニュアルや、AED体験、避難所探しといったコンテンツが並ぶ中、壁には戦争記念館の建物やモニュメントの過去公募作品の展示があり、どれも壮大で見応えがある。この競争の中を青銅の剣が勝ち抜き、こうして一人の外国人を内部に抱いているというわけだ。体験内容は非常事態をうたいつつも、子どもたちにも理解しやすいようにカスタマイズしてある。タッチパネルのゲームに夢中になっていると、北朝鮮の挑発の事例として2010年に相次いで起きた延坪島(ヨンピョンド)砲撃事件や天安沈没事件の写真が見えてきて、緊張感との緩急のバランスが絶妙だ。

消火器の使い方を学べるコーナー

建物周辺をよく歩いてみると
 階段を再び上り、記念館に入る前に周辺に何があるのかをチェックすることに。戦闘機や戦車、ミサイルの野外展示や朝鮮戦争参加国連軍の記念碑、戦死者の名前が刻まれた碑石はまたゆっくり見るとして、建物向かって西側にある兄弟の像の奥へ奥へと向かうと、お洒落なガラスの外壁の建物が見えてきた。いつのまにかビュッフェ式韓国料理の食堂ができているではないか。
 韓国料理のメニューは日替わりで、その他、とんかつ、スパゲティ、ピザなどもあり、なかなか使い勝手がよさそうだ。中は白を基調としたモダンなインテリアで、清潔感にあふれている。価格は一般的な食堂と同じだが、他の博物館や美術館と同様に、戦争記念館の構内食堂で食べるのはいい旅の思い出になるかもしれない。あとで聞くと、ビュッフェは人気ですぐに売り切れてしまうので早めに行くのがおすすめらしい。
 2階もセンスのよいデザートカフェで、店内でプディングやクッキー、スコーンなどを作って販売している。ちなみに建物の前にはコンビニとおみやげショップがある。残念ながら、ショップで売られているおみやげは私が買いたいデザインではなかった。

「真心(チンシム)」という名前の構内食堂、“どなたでも利用可能です”と案内がある

 建物に入る前に、屋外にはまだ私の心をときめかせてくれるものがあるかもしれないと期待しながら歩いていると、高句麗の広開土太王の碑の後ろの石板の存在感に気づいて足を止めた。三国時代の国名「KOGURYO(高句麗)」「PAEKCHE(百済)」「KAYA(伽耶)」「SHILLA(新羅)」と刻まれている。ハングルのローマ字表記が2002年以前のままではないか。ソウル市内で見つけるのは簡単そうで実は難しいので小躍りしたくなった。「むかし」痕跡ハンターとしては大収穫である。
 ハングルの新ローマ字表記法が改正されたのは2000年7月。従来の頭文字K、T、P、CHで表記されてきた単語が、それぞれG、D、B、Jに変わった。今では当たり前のように受け入れているが、釜山のハングルローマ字表記が「PUSAN」から「BUSAN」にいつの間にか変わり、やや困惑した気分で釜山国際映画祭で映画を観たのを覚えている。1994年からあるとしたら石板は30年経つが、石板自体が韓国の歴史をそっと教えてくれる証人にもなるというわけだ。

軍服姿が多い理由
 大きな円形の広場を歩いて記念館へ。記念館は6つのテーマで構成されているが、その展示のうち、およそ7割を「朝鮮戦争(1950〜53年)」が占めている。日本では一般的に「朝鮮戦争」と呼ばれることが多いが、韓国では「韓国戦争」「6.25(ユギオ)」。戦争や関連事件の呼称が違うのも、視点や立場が違うので当たり前と言えば当たり前だ。外国の博物館を通してその外国の文化や歴史を知ることは、自分の国を知ることでもある。
 正面入口の天井は吹き抜けになっており、韓国の国旗の真ん中に太極という宇宙を表す円が躍動感たっぷりに表現されている。正面の上の方を見上げると精悍な顔つきをした虎がかっとこちらをにらみつけていて勇ましい。その下にある絵をよく見ると、翼の生えた虎が力こぶポーズをしているみたいに、雷のようなかたちの武器を持って威嚇している。朝鮮時代の軍旗のひとつである虎旗(ホギ)にある絵で、この図柄のTシャツがほしくなるほどかっこいい。左右に見える「護国」「殿堂」の文字は、金泳三(キム・ヨンサム、)元大統領によるものだ。大統領が文化財や碑石、官公庁の看板などに揮毫することが多いが、金泳三前大統領はなかなかレアではないだろうか。
 奥の空間は護国追悼室で、国のために戦った英雄の胸像が並び、戦争で犠牲となった約20万人の名簿が奉納されている。ほとんどの観覧者はこの空間で粛々とした気持ちになったあと、それぞれの展示室へと向かう。

電光掲示板から戦争記念館のキャラクターのモドゥミとモドリが歓迎してくれる

 1日2回あった展示の日本語解説は現在休止中と、受付の方が大変申し訳なさそうに告げる(訪れた時は日本語のパンフレットも見当たらなかった)。なお、記念館内おみやげショップはコロナ禍でなくなってしまったが、こちらは再開の予定だそうだ(2024年1月現在)。
 来館している人を見ると外国人観光客が多いが、とくに朝鮮戦争に関わったかもしれないと思われる年配の外国人が意外に多い。それよりも、気になるのは兵役中の休みに立ち寄ったのかとおぼしき若い男性の集団と、恋人を連れた軍服姿の多さだ。なぜだろう? 兵役中に何かの義務で来ないといけないのかと思ったら、2017年から陸軍兵士は戦争関連施設を2時間観覧すれば休暇を1日増やせるとのこと。観覧の認証はスマホのアプリで簡単にできるらしい。だからなのか、彼らの表情がみんな明るく、いちゃつき具合が激しいのは……。
 戦争記念館には、現在の兵役義務の流れを親しみやすいイラストで説明するコーナーがある。噂では聞いていた、受け取ったら絶対に泣いてしまうという「壮丁小包」なる箱が目を引く。私は「壮丁」という言葉を初めて聞いたのだが、日本の辞典にも載っている単語で、成年に達した男子や軍役にあたる壮年の男子を意味するそうだ。徴兵制のない日本では使う機会はないだろうが、韓国人男子と家族らとっては大変なじみがあるものだ。入隊前の訓練を終えると、身の回りの所持品をすべてこの箱に入れて送るようになっている。

号泣必至といわれる「壮丁小包」

 

(第2回へ続く)

【インフォメーション】
戦争記念館
 ソウルの中心部である龍山(ヨンサン)に位置し、朝鮮半島の戦争と軍事に関する展示を通して半島の統一と平和を願うために1994年に建てられた。屋外には戦闘機や戦車なども展示されている。
 屋内展示は6つのテーマで構成されており、建物の1階から3階に護国追慕室、先史から現代までの戦争歴史(戦争歴史室Ⅰ・戦争歴史室Ⅱ)、朝鮮戦争(韓国戦争室Ⅰ・韓国戦争室Ⅱ・韓国戦争室Ⅲ)、海外派兵室、国軍発展室、大型遺物展示室があり、この動線で回るコースがおすすめだ。

開館:9:30~18:00(最終受付17:00)
料金:無料
住所:ソウル特別市 龍山区 梨泰院路 29(서울특별시 용산구 이태원로 29)
交通:地下鉄4・6号線三角地(サムガクチ、Samgakji)駅 12番出口 徒歩5分