しゃにむに写真家 吉田亮人

2020.5.12

19働くとは何か

 

 ジメジメした薄汚いベッドにゴロンと体を横たえ、天井に取り付けられたファンを見つめる。グォングォンと不気味な轟音を唸らせながら不規則にぐるぐる回り、今にも天井から外れて落ちてきそうだ。生暖かい微風を受けながら、早く帰りたいと思っていた。
 2012年6月、僕は雨季真っ只中のバングラデシュの首都ダッカにいた。
 1泊350円という破格の宿はなかなか破壊力のある汚さと薄暗さと狭さで、これ以上ないというくらい不快な部屋だったが、資金力のない僕に選択の余地などなかった。ここを定宿にして、ダッカの街を毎日毎日歩き回っていた。
 宿の部屋も不快だったが、街へ一歩出るとさらに強烈な世界が待っていた。ベタベタと肌にまとわりつく湿気、熱風、埃、排気ガス、車のクラクション、露天商の呼び込みの声、ゴミの臭い、ヘドロの臭い、家畜の臭い、人間の体臭、人、人、人、人、人、人、野良犬、野良豚、乞食、ドス黒い川、蠅、停電。
 街全体が巨大な怪物のように蠢いて凄まじいエネルギーを放ち、圧倒的なカオスを形成していた。それはインドなんて可愛いと思えるほどで、僕は完全にバングラデシュという国に気圧され、「早く日本帰りたい」の虫が早くも鳴いていた。
 そもそも、ここに来た理由は他でもない弟との一件に起因していた。「働くとは何か」を写真で具体的に示すためにはどうしたらよいだろう。ない知恵を絞って、あれこれと逡巡して僕がたどり着いたのはある一つの仮説だった。
 それは非常にありきたりだが、ルーツに今一度触れてみる、つまり近代的な機械も道具も使わず、自身の肉体のみで何かを生み出し、作り上げてきた太古の人間のような根源的な労働の姿に迫ってみようということだった。
「働くとは何か」というとてつもなく大きな命題に向かうためには、ルーツに立ち返って考えるしか方法はないと考えたのだ。しかし、そんな労働の姿がこの21世紀の日本に実在している可能性は限りなく低いだろう。では海外はどうだろうと、インドを自転車で旅した時のことを思い出し写真を見返した。
 辺境を走っていると、ときどき日本では到底考えられないような労働の現場を目にすることがあった。例えば、インド洋に面した小さな町マンドビで見た巨大木造船建設現場。ここでは高さ20メートル、幅30メートルほどある木造船を作っていたのだが、巨大な木材の切り出し、削り、組み上げなど、一切機械を用いることなく、人間の力だけで建設していた。中世の時代に逆戻りしたような錯覚を覚えながらそこで働く人々の光景に圧倒された。
 また、ヒンドゥー教礼拝堂建設現場で遭遇した、ハンマーとノミを持った全身白い粉まみれの男たちが大理石を削り出したり、巨大な石柱をロープで吊り上げたりしている様は圧巻を通り越して、畏怖さえ覚える光景だった。
 それらは前時代的な労働の姿そのものだった。もう一度インドに行って、今度は明確に被写体を定めて撮ってみようと思い立ち、いろいろと撮影のための準備を始めた。
 そんなある日だった。インドに何度も撮影に出かけている先輩写真家の話を聞く機会があり「インドに行こうと思っている」と話した。
 すると先輩は「俺さ、バングラデシュに行ったことあるんだけど、とにかく人と街のエネルギーが凄いんだよ。発展度合いはインドの地方都市レベルって感じなんだけど、俺が今まで行った国の中で一番カオスだったなあ。インドの何十倍もカオスだったよ。きっと吉田くんが求めているものもあるんじゃないかなあ。行ってみるといいよ」と、嬉しそうな表情で言う。
 インドを凌ぐカオスさってどんなところだろう。先輩の話に俄然興味を持った僕は早速バングラデシュという未知の国について調べ始めた。ネットや本などを見てもそんなに情報は多くはなかったが、調べれば調べるほどに興味をそそられる何かがあった。
 そして僕は惹きつけられるままに行先をインドから一度も行ったことのないバングラデシュに変更し、準備を始めた。

 先輩が言っていた、「インドの何十倍もカオス」という言葉は誇張でも何でもなかった。日本の半分ほどの国土面積の中に日本の人口よりも多い人間が暮らし、必然的にそこかしこに人が溢れ、行き来している。
 お世辞にも社会的にも経済的にも発展している国とは言えず貧富の差だって激しい。だからなのか、明日をも知れない世界をサバイブするために人々の生きるエネルギーが高い。皆必死なのだ。
 そんな国の空気を全身に浴びながら、僕は首都ダッカを拠点にして全国を長距離バスで回った。粗末な宿を転々としながら、建設現場、道路工事、大型船修理ドッグ、採石工場、繊維工場など興味を惹かれる現場を見つけると迷わず飛び込んだ。どこもアナログで危険な現場だらけだった。こうした仕事がこの時代に残り続けていることに大きなショックを受けた。
 しかも、賃金はその日1日をやっと食いつなげられる程度。社会保障も生活保障も何もあったものではない。映画『マッドマックス』のように容赦ない弱肉強食の世界の中で、男も女も子どもも一丸となって働く人々の姿に、こんな世界でいいのだろうかという気持ちがむくむくと膨らんでくるのだが、一方で働く彼らの姿を見て何と美しく神々しいのだろうという気持ちにもなった。この2つの矛盾した気持ちを行き来しながら、僕はレンズを向け、「働くとはなにか」を自問自答した。
 こうして2ヶ月間、町から町へと流れ、多くの人々と出会いながら進めたバングラデシュの旅。その旅の終盤のことだった。
 その日、僕は首都ダッカから200キロほどのところにある小さな町に向けてバスに乗り込んだ。騒がしいダッカ中心部から郊外に抜けると、一気にのどかな風景が広がる。車内のやかましいバングラミュージックと、車窓から流れる緑豊かな風景に身を任せていると、突如として大きな湖に差し掛かった。バスはその湖を横断する一本の幹線道路をひた走っていく。道路の両側に広がる大きな湖は太陽光を反射させてキラキラ光っている。幻想的な光景に目を奪われていると、あることに気づいた。
 湖から棒のようなものが出ているである。いや、棒というにはあまりにも小さすぎる。それは煙突のように見えた。しかも一本や二本どころではない。無数にあるのである。一体あれは何だろう? と不思議に思い、バスの乗客や車掌に聞くが、ベンガル語で説明されてよく分からない。
 後日、現地で知り合ったバングラデシュ在住の日本人に聞いてみた。
「あぁ、あれはレンガ工場地帯なんだよ。雨季になると雨がひっきりなしに降るし、バングラって土地が低いでしょ? だからあの辺りの工場一帯は全て水没して消えてしまうんだ。湖から突き出ていたものはレンガ工場の煙突。乾季になると水は一気に引いて、あそこにレンガ工場が現れてレンガ造りを始めるんだ。魔法みたいでしょ?」
 信じられなかった。レンガ工場があの湖の下にあることも、あの広大な湖が乾季になると一切なくなってしまうことも。そしてその後レンガ工場が操業することも。
 それは一体どんな光景なんだろう。そしてそこで働く人間たちは一体どんなことをしているのだろう。どんな人たちなんだろう。まったく想像がつかないだけに僕の好奇心と興味は膨らんだ。
 水が引く乾季にもう一度ここへ来ようと決心して、一度目のバングラデシュ滞在を終えた。

 

(第19回・了)

 

この連載は月2回更新でお届けします。
次回2020年5月26日(火)掲載