しゃにむに写真家 吉田亮人

2020.6.23

22何も知らない

 

 僕が生まれて初めて撮影の依頼仕事を受けたのは、2013年のことだ。
 依頼主は環境やロハスやソーシャルなどをテーマにした『ソトコト』という月刊誌。副編集長の小西さんから電話がかかってきた。
 小西さんは以前、バングラデシュの労働者をテーマに撮影した作品を『ソトコト』に持ち込んだときに対応してくれた編集者だった。人の良さそうな顔をした小柄な男性で、歳は40代半ばといったところだろうか。作品を見せると小西さんは「いい写真だねえ」と何度もつぶやきながら、ポートフォリオを食い入るように見つめて、「いやあ、すごい写真だ」を連発した。
「どこで写真勉強したの? えっ、独学? この間まで小学校の先生やってたの?」
 これまでの経歴を話すと、小西さんは目を丸くして驚き、「ふう」とため息をついた。そして再度ポートフォリオを見直し、「じゃあ、これの原稿を書いてくれますか?」と突然切り出した。その場で僕の作品を次号の巻頭カラーで8ページ掲載することを決めてくれたのだ。
 そんな出会いで始まった小西さんの「お久しぶりです。あの、いま電話大丈夫ですか?」という声が電話口で響いたものだから僕は慌てた。
「ちょっと日も近いんだけれども、今度奈良に取材に行くんですよ。それで吉田さんに撮影を頼めないかと思いまして」
 何と撮影依頼の話だった。日程を確認するまでもなく、僕のスケジュールはがら空きだったから、「はい、ぜひ!」と快諾すると、「よかった。じゃあ詳細はメールで送ります」と小西さんは電話を切った。
 僕は突然舞い込んだ初めての依頼仕事に有頂天になった。写真を始めて3年。何とか写真で仕事がしたいと思っていただけに言葉で表せないくらい嬉しかった。同時に、転がり込んできたこのチャンスを生かして何とかバイト生活から抜け出すんだと息巻いたし、いい結果を残して次に繋げてやろうとも思った。
 そして撮影当日はあっという間にやってきた。待ち合わせ場所は近鉄奈良駅。僕は集合時間よりも少し早めに到着し、小西さんたちを待った。小西さんからのメールでは、僕と小西さんの他に岡田カーヤさんというベテランのライターも加わって「奈良県立図書情報館」の先進的な取り組みを取材するというものだった。
 駅を出たところで2人を待っていると、向こうから小西さんと岡田さんがやって来た。
「おはようございます! 今日はよろしくお願いします!」
 張り切って挨拶をすると、「ああ、どうも。今日はよろしく」と小さく言って僕の姿を見るなり、怪訝そうな表情をする小西さん。何だろうと思っていると、「今日の機材これだけ?」と、肩にぶら下げた我が愛機ニコンD90を見て不安そうに小西さんが呟いた。
「はい、これだけです! あと三脚もあります」
 僕は威勢良く返事しながら、ビデオカメラを買った時に付属品で付いてくる細くて短い三脚を見せる。
「え、本当にこれだけ?」と、なおも小西さんが質問するので「ええ、これだけです」と僕は言った。
 小西さんは観念したような表情で苦笑いを浮かべながら「そうですか……じゃあ、行きますか」と言って、どことなく重そうな足取りで歩を進めた。
 奈良県立図書情報館へ到着した僕たちは早速、課長の乾さんに会って館内を案内してもらう。乾さんの説明を聞きながら、小西さんと岡田さんは熱心にメモを取る。僕はというと館内の様子を見学者気分で漫然と見るばかり。
 すると小西さんが、
「吉田さん、こことここをあとで押さえましょう。それからこの本も押さえてもらっていいかな。それから、ここに誰かお客さんに立ってもらって写しましょうか」
 と、次々に撮影ポイントを伝えてくる。
 それに「はい、分かりました。了解です」と返事をする僕。
 一通り館内を案内してもらって、何があるのかを把握したところで、早速本格的に取材が始まった。ライターの岡田さんは乾さんに質問をして熱心に取材ノートにメモを取っている。僕は小西さんと行動を共にして、先ほどの撮影ポイントを周って撮影し始めた。
「じゃあ、ここ撮りましょうか」
 小西さんが初めに差した場所は、館内のメインゲート。天井が高く広々としたそこにカメラを向けてファインダーを覗きみると何だか肉眼で見た時の広々とした感じが全くない。レンズのズームを目一杯広角側に回して見るが、やっぱりどこか印象が違う。これでいいかなあと何となく決めきれないままシャッターを切る。自信がないものだから、小西さんに「これでいいですかねえ」と今しがた撮ったばかりの写真を見せる。小西さんは「うーん、とりあえずあっち側も撮っといて」と言う。
 言われるままにパシャパシャと撮影し、次の撮影。机に本を並べて撮影してくれということだったので、それを撮ってみる。しかしまたこれでいいものかと悩み、とりあえず撮った写真を小西さんに見せながら「これでいいと思いますか?」と尋ねる。小西さんは「うーん」とまた唸りながらだんだん曇り顔になっていく。
 そんな具合で撮影の全てに置いて何か自信が持てず、写真の良し悪しを小西さんの判断に求めながら、長い1日が終わった。
 取材後、僕たちは夕食も兼ねて居酒屋に入った。とりあえずビールで乾杯し、小料理に箸を伸ばし、美味しいねなどと言いながら今日の取材のことを振り返り始めた時だった。
「吉田さんさ」
 小西さんが僕に向き直って厳しい表情で言った。
「君、ダメだよ」
 何の話か摑みかねて、キョトンとしていると小西さんが続けた。
「僕は君の作品を最初見た時、すごい奴がいると思ったんだよ。すごい写真撮るカメラマンがいるって。それで仕事を一緒にしたいと思って今日お声がけさせてもらったわけ。でも今朝、君が持ってきてた機材を見た時、僕は正直びっくりしたよ。カメラとレンズ一個だけで、仕事ができるのかって。作品撮影はその機材だけでいいかもしれないけど、これは仕事だよ仕事。仕事ではいろんなものを撮ることを求められるわけ。機材とそれを操ることができる技術がなきゃ絶対に撮れないものってあるんだよ。だから僕たちはプロにお願いするわけでしょう? 機材だけじゃなくて、その場その場で対応する能力もそう。今日ずっと側で君の仕事を見てたけど、正直ものすごく不安だったよ。現場で不安を抱かせるようなカメラマンはダメだよ。君には仕事来ないと思うよ」
 そう言って小西さんは僕の顔をじっと見つめた。
 僕は突然の言葉に頭の中が真っ白になり、ビールのジョッキを持つ手が震えた。それをバレないようにそっと膝の上に乗せて、堅く拳を握りしめ、俯いた。
 重苦しい空気が3人の間に流れる。さっきまで美味しく食べていた小料理の数々も色を失い、何の料理だったのか、どんな味だったのかもう思い出せない。店内に流れる歌謡曲は右から左へ虚しく通り過ぎ、ちっとも頭に入ってこない。僕は自分自身の無知さと情けなさと惨めさとでここから消えてしまいたい気分だった。
「すみませんでした。今日は本当にすみませんでした」
 今さら謝ったってしょうがないのは百も承知だけれど、謝らずにはいられなかった。
「いや、もういいんです。わかってくれたらね。でもこういうことって普通は言わないんですよ。仕事して、ああこの人ダメだなって思ったら、何も言わずお疲れ様でしたって言って、もう声はかけないんです。でもね、君にはなぜか言いたくなるから言わせてもらいました」
 そう言ってから小西さんはジョッキに手を伸ばしビールを流し込むと、「なーんか言いたくなるんだよなあ君は」ともう一度呟いた。
 それから何を話して、店を出て、帰ったのか覚えていない。しかし、あの小西さんの言葉だけは苦い記憶として深く深く心に刻まれた。

 

(第22回・了)

 

この連載は月2回更新でお届けします。
次回2020年7月7日(火)掲載