しゃにむに写真家 吉田亮人

2019.10.6

04約束

 

 京都の太秦は東映と松竹の映画撮影所があることで有名だが、僕たちはこの撮影所にほど近い、家賃12万円、2LDKの新築マンションに暮らしていた。
 場所柄もあってか、テレビで見たことのある俳優さんが同じマンションに暮らしていたり、近所の焼肉屋に行くと撮影所のスタッフが業界めいた話をしていたりと、映画やテレビの世界を垣間見られる一方、じつに庶民的で、生活するには便利な土地だった。結婚してこの地に住み始めてから3年が経っていた。
「まあ、離れがたいけど、ここに住み続けんのはどう考えても無理やわな。引っ越そか」
 教員生活最後の1年が終わろうかという、2010年3月。妻のこの一言で、僕たちは彼女の実家に引越しをした。失業による収入減と、それによる家賃支払い能力の大幅低下を見越して、僕たちは居候を決め込んだ。僕は写真家を目指すマスオさんとなったのだ。
 妻の実家には、義母、義妹、そして義妹の夫の3人がいて、そこに僕たち親子3人が転がり込んだものだからとても賑やかになった。
 広々とした新築マンションから、かつて妻が少女時代も青春時代も過ごした子ども部屋をあてがわれ、そこが僕たちの生活スペースとなった。以前の生活と比べると多少窮屈ではあったが、居候生活は思いのほか、心地よかった。
 義母も義妹も娘の面倒をよく見てくれたし、義母が毎食作ってくれる料理も美味しかった。何よりもいつも家に誰かがいて、賑やかな声が鳴り響いているのがよかった。
 それにしても、義母は僕が仕事を辞めて写真家になることに対して何ひとつ言わなかった。それは義理の息子である僕への遠慮なのか、それとも僕たちの選択を受け入れてくれているのか、どこに本心があるのか分からなかったけれど、本当に何も言わずにいつもニコニコと笑いながら毎日家事をせっせとこなすのであった。
 そういう義母の無言の態度は逆に「お前一生懸命やれよ、わかってるやろな?」というメタメッセージとしても受け取ることができたわけだが、当時の僕はそんなことに気づくこともなく、居心地よくマスオさん生活をさせてくれる義母にただただ感謝するばかりだったし、いま考えても本当に有り難いものだった。
 そんなある夜のこと。妻から「ちょっといい?」と一声がかかった。
「あのさ、これからのことやけど……」
 悪いことはひとつもしていないはずなのに、この人に真剣な表情で話しをされると少し緊張してしまうのはなぜだろう。
 すっかり寝息を立てて眠る娘のお腹をポンポンと優しく叩きながら、妻が言った。
「これから収入なくなるやん。だから当面は私が生活面は支える。だけど、亮人が写真で活動する分は自分で賄ってな。それについては私は一切支えるつもりはないし。自分のことは必ず自分でやって」
 そうきっぱりと言うと、「あと」と付け加えた。
「先生を辞めてまで写真やるからには、この社会にインパクトを与えられるような写真を撮っていってほしい。亮人の写真を見た人の考え方とかさ、生き方とかがちょっとでもいいから変わるくらいの作品を撮っていってほしい。どうせ写真やるんやったらそこを目指してほしい。それで最悪食えんくてもいいと私は思ってる。でも、これから一生をかけてそういう作品がひとつでも作れたら、最期死ぬ時、私たちの人生よかったなって思えるんちゃうやろか」
 妻とは、この社会にはびこる矛盾、不平等、不公平、悪徳、偽善、疑念などについて、よく話をしては毒づいていた。しかしそれでもそういう社会で生きていかなくてはならない僕たちにできる唯一のことは、思考し、行動し続けることなのではないかという結論にいつも行き着いていた。
 妻はこの話の延長線上に、いま僕を当てはめて写真をやれと言っているのであろう。僕はそれを聞いて、「そうやなあ」と相槌を打つしかないわけだが、自分ができるかどうかは別として妻が言っていることは至極真っ当な意見として理解できた。
「それだけ忘れんと、これから写真やっていってな」
 写真のことは何も知らなかったし、具体的にどんな写真を撮りたいのかというイメージもなかった。でも、どうせ写真をやるならばそういうことを念頭に置いて写真を撮りたいと僕自身も漠然とは思い描いていた。ただ、それをどうやって具体的に写真に写し出していけばいいのかは、まだ濃い霧の向こう側にあるのだった。
「あと」と、また妻が付け加えて言った。
「写真をやったら? って勧めたのは私やけど、やるって決めたのは亮人やってこと、忘れんといてや。これからうまくいかへんこととか、失敗とかあると思うけど、絶対に私のせいにせんといて。やるって決めたのは自分なんやから。自分で決めたことやから、全ては自分に責任があるって自覚しといて。それは約束な」
 春がもうそこまでやってこようとしていた。

(第4回・了)

 

この連載は月2回更新でお届けします。
次回2019年10月23日(水)掲載