しゃにむに写真家 吉田亮人

2021.2.16

42「願い」

 


 2019年8月から2020年7月まで「あき地」で連載をしていた、写真家の吉田亮人さんの「しゃにむに写真家」がこのたび書籍になりました!

本体価格 1,600円、2月17日(水)全国発売!
〈いしいしんじ さん、推薦!!〉


 タイトルは『しゃにむに写真家』

 妻の一言から教員という仕事を捨て、無謀にも写真家の道を選んだ。専門的に学んだことのない男が、右も左もわかないまま踏み出し、挫折し、傷つき、そして国際的に評価を受けるようになるまでの10年を振り返る。
——「働くとは何か」「生きるとは何か」について考えた渾身の一冊にできあがりました。

 そこで、2月17日(水)の発売に先駆け、収録原稿の試し読みを4回に渡って公開します。

「お前は何考えちょっとか!?」——両親に「教師をやめる」と電話した翌日、父が宮崎から飛んできた。到底納得できないとまくし立てる父に、うまく答えられない「僕」。そこで妻が言った言葉とは……。



「願い」

 子の幸せを願わない親はいないだろう。つつましくも、ささやかであれど、この世に受けた生を健やかに、まっすぐに生きてほしいと多くの親は心から願う。その願いは親と子の数だけ存在し、願う幸せの形も千差万別、無数にある。
 親が描いた人生の形をそのまま描くことが幸せだと思う親もいれば、子が描く人生の形を見守ることが幸せだと思う親もいる。そこに正解はない。あるのは幸せを願う親の気持ちと、子自身の思いだけである。
 二〇〇九年晩夏。じりじりと灼けつくような京都の残暑の中を、宮崎からはるばる父がやって来た。「教師やめるわ」と、電話したその翌日のことだった。写真家になると決断したものの、そのことを両親になかなか切り出せずに数ヶ月経ってしまっていたのだが、妻にせっつかれる形でようやく重い腰を上げて伝えた。
 あまりに唐突な僕の告白に「おまえは何考えちょっとか!?」という非常に正しい反応を示した父は電話を切ってすぐに、翌朝一番の伊丹空港行きの飛行機チケットを取り、僕たちの住むマンションまでやって来た。
「写真家になるって、おまえ、そんなことできるわけねえやろが! こんな年にもなって、子どもも生まれたばっかりで、どうするとや! ちゃんと考えちょっとか!」
「夢と現実は違うとよ。写真なんか、趣味でいいじゃねえか。大体、写真でどうやって飯食うとか?」
「せっかく先生として今まで積み上げてきたのに、おまえ写真なんかやったら何も役に立たねえじゃねえか」
 難しい顔をしながら家に入ってきて、席に着くなり僕と妻に機関銃のように正論を浴びせかけてくる父。もう何としてでも息子の血迷った考えを阻止しようという強い決意が、必死の形相と、怒気を含んだヒステリックな声から痛いほど伝わってきた。
「夢と現実は違う」と言われればそうだと思うし、「写真でどうやって飯を食うとか?」と言われれば、それを説き伏せるだけの説得材料も持ち合わせていない僕はそんな父を直視できずに、じっとうつむくしかなかった。
「大体、これじゃ何のために必死になって働いて、大学まで行かせたか分からんじゃねえか! おまえを写真家にするためじゃねえとぞ!」
 宮崎で小さな中華料理店を営む両親は、身を粉にして働きながら大学まで行かせた我が子に、それに見合うだけの姿になることを期待したに違いない。だから僕が教員になったことを心から喜んだ。息子が社会的にも経済的にも一定の地位と安定を得ることができて一安心といったところだっただろう。それは、個人飲食業者という浮き沈みの激しい不安定な仕事を長年やってきた人間だからこそ抱く、切なる願いだったのだと思う。そうすることが両親の考える優しさであり、幸せだったのだろう。
 しかしそれが今、目の前でくずれ落ちようとしている。しかもよりにもよって写真家などという得体の知れないものになるとほざいているのである。今までの自分たちの人生は何だったのだろうか。子どもの幸せを願い、必死になって働いてきた自分たちの生き方そのものを否定されたような両親の気持ちはそのまま言葉となって、僕の耳に重く響くのだった。
「写真家になるって、どう思ってるとや!?
 僕に言っても賢明な答えは出ないと思ったのか、父は妻に向き直って聞いた。するとそれまで黙って父の言い分を聞いていた妻がはじめて口を開いた。
「今日はわざわざ来てくださってありがとうございます。お義父さんのお気持ち、いま聞かせてもらって分かりました。ご心配される気持ちも分かります」
 父をしっかり見すえ、静かで穏やかな口調で話し始める妻を、僕はうつむき加減のまま横目で見た。
「何を馬鹿なことを考えてと思われるのもしょうがないと思います。でも、これは私と亮人がこれからの人生を真剣に考えて出した答えなんです」
「真剣に考えて出した答えが教師をやめて写真家になることね? 俺たちにはとても真剣やとは思われんが。普通、そんな馬鹿なことせんでって、止めるのが妻の役目やっちゃねえとね?」
 妻の言葉にすぐさま反応する父の言葉を聞いて、馬鹿なことを提案してきたのは妻のほうなんだけどなあと思いながら、うつむく僕。
「何が嫌やとね? 亮人が教師でいるのがそんな嫌やと?」
 怪訝そうな表情で聞く父。それに対して妻はあくまで静かに話を続ける。
「嫌とかではないんです。これからの私たちの生き方、人生、それから親としての姿、そういうものを考えた時に、亮人の仕事は教員ではないなと思ったんです」
 ひとつひとつの言葉を丁寧に選びながら話しているのが伝わってくる。
「今はお義父さんたちに私たちの考え方は理解されなくて当然だと思っています。まだ何も始まっていないし、何も結果も出してないですし。だからこれからの私たちの行動を見てもらうことでしかこれは理解できないと思うんです」
「理解できんねえ。まったく理解できんが」
 腕組みをしながら父が不服そうに言う。
「でも、私たちはこう生きていくって決めたのでそれを温かく見守ってもらえませんか」
 妻がそう言うと堪忍袋の緒が切れたのか父が大声で言い放った。
「そんな都合のいいことあるかね? あんたたちの人生は俺たちの人生でもあるとぞ!」
 そう言った瞬間だった。
「私たちの人生は、お義父さんたちの人生ではないです!」
 妻が畳み掛けるように言い返し、続けて強い口調でこう言った。
「私たちの人生は私たちのものです。たしかに亮人がここまで成長して、こうやってあるのはお義父さん、お義母さんのおかげです。それは私もとても感謝しています。でも私と結婚して、二人で新しい人生を作っていこうと決めたんですから、私たちがどう生きようと、どう人生を作っていこうと、誰も口出しできる権利はありません。たとえお義父さん、お義母さんたちであってもです。だから、これ以上何も口出ししないでください」
 父はその言葉を聞いて、怒りで顔がひきつり、丸テーブルに乗せた両手はギュッと握りしめられ、妻をにらむように見つめていたが、妻はそれをモノともせず、さらに言葉を重ねる。

「もし、亮人が写真でうまくいかなかったとしたら、それは亮人と私の責任です。私に見る目がなかったんだなって思いますし、恥ずかしい思いも甘んじて受け入れます。でも、亮人は絶対大丈夫です。絶対ちゃんと結果出していくって、私は信じてるし、道を作っていけると思ってるから大丈夫です。もうそれを何も言わず、何もせず、ただ見守ってやってください。それが親の役目だと私は思います」
 妻がそう言い切ったこの後、父が何を言って、どうやってマンションを後にしたのか何も覚えていない。ただ落胆した父の顔と、妻の強烈な言葉と、この場で何も言えなかった自分の情けない気持ちだけは鮮明に記憶に残った。
 苦い気持ちを抱えながら、ああ、僕は本当にいよいよ、写真をやることになるんだという、妙な実感がはじめて湧き上がってきた。

 

(願い・了)

『しゃにむに写真家』刊行記念
オンラインイベントを開催!(全3回)


第1回目のゲストは、推薦文をお寄せくださった作家のいしいしんじさんです
テーマは「撮ること・書くこと・生きること」。表現することを職業とするお二人に「写真家に〝なる〟・写真家に〝なる〟ってどういうこと?」を語っていただきます。


開催日時は2月18日(木)20:00~21:00です。
イベントの詳細、チケットの購入は「Peatix・亜紀書房ページ」まで。ぜひご参加ください!


試し読みはこれにて終了です。続きは明日17日発売の『しゃにむに写真家』をぜひお読みください!