ちょうどいい待ち合わせの時間がわからない。
会社員の頃に、とある料理家の方のご自宅で取材をさせていただくことになったとき、かなり気合いを入れて、同僚たちと待ち合わせた時刻の一時間前に着く電車に乗った。遅延もなく予定通りの時間に到着し、駅の近くをうろうろしたり、スーパーで野菜の値段を眺めたりしながら優雅に構えていたら、あっという間に待ち合わせの五分前になっていた。あ、まずい、そろそろだ。早足で改札の前まで戻ってみたものの、同僚のKさんとNさんの姿はまだない。結構ぎりぎりに着くのかな。ところが、待ち合わせ時間を二分、三分と過ぎても誰も来ない。一人ならまだしも、違う方面から向かってきているはずの二人がどちらも遅延しているなんてことはあるだろうか。五分を過ぎた時点でさすがに怪しいと思い、チャットで連絡すると、すぐにKさんからメッセージが返ってきた。
「ええっ、〇〇駅にいるの?! そっちじゃなくて、××駅のほうだよ!」
最悪だ。早く到着することばかりを気にかけていたせいで、似てる名前の別の駅をのんきに一時間もうろうろしていたのだ。もっと早く気づくことができていたら、時間通りに到着できたかもしれないのに。しかも、間違えて来てしまった駅から本来行くべきはずの駅は路線が違うので、微妙にアクセスが悪かった。どうしようかとおろおろしているうちに、Kさんから「会社でタクシー代請求できると思うから、ひらいさんはそこからタクシーで来て!」と連絡がくる。泣きそうな顔でタクシーに乗り込んで、運転手さんに行き先を伝えた。スマホが明るくなり、プレビューのメッセージをタップすると、Kさんだった。「こっちは大丈夫だから気にせず!」違うんです。ほんとうは一時間前には着いていたんです。誰よりも早く(間違った)駅に着いていたんですよ〜〜〜〜〜っ! やりきれない思いで到着後、料理家の方と、Kさん、Nさんに詫びると、「いや〜、ひらいさん、やると思ったわ」とみんなに笑われた。次の機会なんてそうそうないのに、(次こそは必ず〇〇駅を降りるっ!!!!!)と固く誓った。
あの日以来、早く到着する時間に出ようとすると、なにかほかの大事なことへの意識が抜け落ちてしまうのではないか、と思うようになり、早過ぎない到着時間を目指して向かうようにしている。それでも待ち合わせの十五分前や十分前なのだが、電車の遅延だったり、急な腹痛の襲来などが原因で、余裕を持った時間に着かないことがままある。そういった状況で、まだ少し心に距離がある人や、初めてお会いする人を待たせてしまうときは、
「すみません! 到着がぎりぎりになりそうです」
と伝えている。
一方、地元の友だちや、気を許している相手だった場合、「ごめん! ぴったりぐらいに着きそう」と連絡することが多い。意識的に使い分けているわけではない。ただなんとなく、「ぎりぎり」よりも「ぴったり」のほうが相手との関係にふさわしい気がするからだ。
たとえば待ち合わせ時間が十四時だったとしよう。「ぎりぎりに着く」と言うのは、十四時近くに到着するときだ。「ぴったりぐらいに着く」の場合も、待ち合わせ場所に少なくとも十四時ごろには到着することを意味している。「実際何時に着くかは確定していないけれど、おおよそ十四時ごろには着く」という点で、「ぎりぎり」も「ぴったり」も同じ意味合いだ。
それなら、なぜ使い分けているのか。おそらく基準になっているのは、目的地まで「どうやって向かうのか」である。「ぴったりぐらいに着きそう〜」と友だちに連絡するときは、いつもの速さで歩いて向かっている。しかし、「ぎりぎりに着く」と連絡をするときは、階段を駆け上がったり、小走りで向かっている可能性が高い。駅から待ち合わせ場所まで遠ければ、タクシーに乗っているかもしれない。とにかく全力で「ぎりぎりでも十四時」を目指して向かっているのだ。「ぴったりに着く」と言うときは、早く着くための努力をしていない。自然の成り行きでそのぐらいになりそうな見込みがあるだけで、信号待ちとか、駅のトイレで忘れ物をしたりして取りに戻ったりしたら予定の時間を過ぎるかもしれない、と思っている。
「ぎりぎり」と「ぴったり」のほかにも、使い分けをしているオノマトペは山ほどある。どんな場面で、どう使い分けしているのか意識したことはなかったけれど、それぞれの言葉に感じるキャラクター性が自分の中にあるように思う。たとえば「ぎりぎり」と「ぴったり」はこうだ。
【ぎりぎり】
いつもなにかを心配していて、周囲の人に迷惑をかけていると思っている。先のことを考えてくよくよと悩み、落ち着かない。慢性胃炎を抱えており、年中胃に優しいものばかり食べている。汗をかくことが多く、いつもハンドタオルが手放せない。
【ぴったり】
あっけらかんとしていて、あまりクヨクヨ悩まない性格。たのしいことが好き。支払いの合計金額がゾロ目になったレシートを集めてお気に入りの缶に保管している。仕事終わりや休日には友だちや同僚とわいわい過ごすことが多い。
これらの例にならって、似ているオノマトペたちのキャラクターを捉えてみると、使い分けのヒントが見つかるかもしれない。
オノマトペ性格辞典
【ぐっすり】
嫌味なところがなく、裏表のないまっすぐな性格。声が人一倍大きく、よく「ぐっすりさんの声、隣の会議室まで聞こえてきましたよ」と言われる。喜怒哀楽がはっきりしているが、後までずるずる感情を引きずらないので、嫌なことがあっても次の日には覚えていない。
【すやすや】
穏やかでやさしく、いつもにこにこしている。声が小さくて、コンビニやスーパーの店員さんによく訊き返される。眠る前に、その日うれしかったことをひとつ、手帳に書くようにしている。ぬいぐるみ集めが趣味で、子どもの頃に買ってもらった犬のぬいぐるみ「トッピー」がいちばんの親友。
「ぐっすり」と「すやすや」はよく眠れたときに使うオノマトペだ。ほかに「ぐーすか」もあるが、「ぐっすり」と「ぐーすか」は兄弟のような位置付けなので、ここでは省略させていただく。どちらも安眠した点では同じだろうが、「ぐっすり」のほうが大の字でいびきをかいて寝ていそうで、「すやすや」のほうが寝返りが少なく、小さくこじんまりと、もしくは仰向けで静かに寝ていそうな印象がある。
【あたふた】
几帳面で、整理整頓が得意。部屋の中のものにはすべて住所があり、なにがどこにあるか把握している。「なにかあったときのために」と思って備えるあまり、カバンの荷物がいつも多い。予測していなかった事態が起こることが苦手で、旅行を計画する際には、三十分刻みでスケジュールを細かく決めている。
【てんやわんや】
落ち着きがなく、じっと座っているのが苦手。常に部屋が散らかっていて、家を出てから忘れ物を取りに行くことが習慣化している。なにかをやらかすことに対して異常な恐怖心があることで、かえってケアレスミスを頻発し、しばしば同僚や上司を巻き込んで周囲を困らせる。
予想外の出来事が起こったときに慌てたり、パニックになったりする状態を表す「あたふた」と「てんやわんや」。「あたふた」は普段落ち着きのある人が慌てたときの様子、「てんやわんや」は一人で慌てふためくというよりも、大人数があわあわしている様子が思い浮かぶ。『岩波国語辞典 第七版新版』にも「各人が勝手ふるまって騒ぎ立てるさま」と書かれていたので、複数人ないし大勢を巻き込んだ「てんやわんや」であることが想像できる。
【ぴかぴか】
完璧主義者。毎朝五時に起きて運動と食事を済ませ、必ず部屋のすみずみまで掃除をする。家の中では、ガラス張りのお風呂がお気に入り。弱音を吐いたり、感情的になったりすることがなく、いつでも機嫌がいいので、周りからは「未来からきたロボットなのではないか」とひそかに噂されている。週末、革靴やシルバーアクセサリーをせっせか磨いているのが至福の時間。
【きらきら】
静かで控えめな性格。毎朝自然光で起き、ベランダで陽の光を浴びながら、炭酸水を飲んで一日をはじめる。長年お世話になっているネイリストの人が施してくれたネイルを眺めながら仕事をするのが日々のモチベーション。休みの日にはよくプラネタリウムを観に行っている。
「ぴかぴか」と「きらきら」は光っているものの状態を表している。「ぴかぴか」は強い光源、もしくはガラスや鏡のようなつるつるしたものの表面の輝きに対して、「きらきら」は光源が微細なものが光っているものに使うイメージがある。たとえば街中のイルミネーションは、遠くから眺めるなら「きらきら」見え、ひとつの電球にずいっと近寄れば「ぴかぴか」見えるだろう。
【ゆらゆら】
細かいことを気にせず、その場の成り行きでなんとかしようと考える楽観主義者。本人としてはなにも考えていないだけなのだが、「ミステリアスな人」というレッテルを貼られることが多く、一定数の人たちから好意を寄せられている。趣味は週末に湖畔まで出かけ、なにもせずぼんやり過ごすこと。
【どんぶらこ】
ちょっとやそっとのことでは動じない、肝の座った性格。曲がったことが許せず、おかしいと思ったら立場が上の相手にもはっきりと物言いをする。人情をなにより大事にし、恩を感じている相手には義理堅い。好きな四字熟語は「勧善懲悪」。好きな食べ物は桃。
「ゆらゆら」と「どんぶらこ」はどちらも受動的に揺れている状態を示しているオノマトペだ。決定的な違いとしては、「どんぶらこ」は桃が流れるときにしか使わない点にある。昔話の「桃太郎」以外で登場することはこれまでもこれからも二度となく、「どんぶらこ」には、ただ桃を流すときの擬音として一生を背負ってもらうことになるだろう。「ゆらゆら」に似ているものとして「ぐらぐら」もあるが、「ぐらぐら」は受動的に揺れている状況に加え、不安定な状態にあることが要素として加わっているように思う。
その場に応じて、感覚的に使い分けていると思っていたオノマトペも、こんなふうにあらためてそれぞれの特徴を考えてみたら、それぞれがどんなキャラクターなのか案外摑めていた。「言霊」という言葉もあるくらいだから、オノマトペひとつひとつにもそれぞれのキャラクターが宿っているのは、あながち間違っていない気がしている。待ち合わせで到着が思いのほか遅れてしまうことがわかると、胃のあたりがぎゅっとしてくるのは、脳内で「ぎりぎり」と「あたふた」が一緒に駆け巡っているせいなのかもしれない。
(つづく)
バナーデザイン:藤田 泰実(SABOTENS)

