真夜中に母語を煮る ひらいめぐみ

2025.12.26

03「頑張ろう」敬語問題

 

 朝、起きてスマホを手に取ると、一緒に仕事をしている友人のHさんから、仕事の依頼に関する連絡がきていた。早速返事をしようと文面を読み返すと、「明日から師走だね! 忙しくなるけど頑張ろう!」という言葉で締められている。むむ。どう返すのが正解だろう。「そうですね!」だと言葉選びになにも気を遣っていないようで憚られるし、「お互い頑張りましょう!」も、やや上から目線な気がして、友人とはいえ年上のHさんへかける言葉としてはふさわしいと思えない。
 こういうことでいちいち躓いていたせいで、会社員の頃はメールひとつ返すにもものすごく時間がかかっていた。なにかを教えてもらいたいとき、「ご教示いただけますでしょうか」と書いていたところ、取引先からのメールで「ご教授いただけますでしょうか」と書かれていたことがあった。ご教授? 「ご教示」だけじゃなくて、「ご教授」って言い方もあるんだ。へー! どう違うのか調べてみよう。「ご教授 ご教示 違い」とパソコンの検索欄に打ち込む。上位に出てきた複数記事を読み漁ると、どうやら「ご教授」と「ご教示」の明確な違いは、「教わる期間の長さ」にあるらしい。「ご教授」はある程度の期間をかけて専門的な知識や技能を教えてもらうとき、「ご教示」は相手がすぐに答えられる内容を尋ねるときに使う表現のようだ。なるほど。じゃあここでの「ご教授」は使い方が違うな。でも取引先の人にわざわざ教えるわけにいかないしな。自分は間違わないように区別しないと。……こういった具合で、誰かからきたメールに使われていた言葉、自分でメールを打つときに使いたい言葉でちょっとでも気になることがあると、調べずにはいられない。どうせ一、二分で解決することなのだから、忘れないうちに確認しておいたほうが、後々良いと思うのだ。

 しかし、調べずそのまま大人になってしまったのが、今朝の連絡のような、目上の人から「頑張ろう」と言われたときの返し方である。「『頑張ろう』敬語問題」には、実のところ二十年以上前から頭を悩ませていた。小学六年生の頃、わたしは転勤してしまった保健室のS先生と文通をしていた。S先生はいつもサンリオのかわいい便箋に書いたお手紙とともに、サンリオグッズを同封してくれていて、ポストを開けるのがいつもたのしみだった。保健室の先生は、担任の先生ほど距離が近い存在ではなかったから、そのぶんなんでも話せる存在で、わたしはいつも手紙で「学校でこんなことがありました」「わたしは今こんなことを頑張っています」と先生に聞いてほしい話をびっしり手紙に書いた。手紙は封筒に入れるので、どんな内容を書いたか、家族に知られることはめったにない。ただ、年賀状は別だった。子どもの頃はまだ年賀状の文化が廃れる前だったので、もちろんS先生にも年賀状を書いた。母に投函してもらおうと渡すと、S先生に書いたメッセージを見た母は、「先生に『頑張ってください』って書いてる!」と笑った。なにがいけないのだろう。新しい学校に転勤して、大変に決まっている。わたしも頑張っているのだから、先生にも頑張ってほしいじゃないか。母に尋ねてみると、「うーん、目上の人には『頑張ってください』って言わないんだよね」と言われる。「じゃあなんて言うの?」「『応援してます』とかじゃないかな」。「応援してます」と「頑張ってください」じゃ、「頑張ってください」のほうが力強い言い方ではないか。「応援しています」だと、ちょっと弱々しい感じがする。「頑張って」の「がんば」の濁音も鼓舞の度合いを表しているのだから、ここは「頑張ってください」じゃなきゃだめなのだ。自分で納得しきれないと、断固としてルールを崩さない頑固な子どもだったので、S先生をお手紙で応援したいときには「頑張ってください」と書き続けた。
 そういえば、子どもの頃にもうひとつ敬語がわからない言葉と遭遇して、戸惑った経験がある。小学生になってから、「登下校する際に近所の人とすれ違ったら、挨拶をしましょう」と教わった。茨城の田舎なので基本的には車社会なのだが、散歩をしているおじいちゃんおばあちゃんや、家の前で庭いじりをしている人など、下校時にはご近所さんとすれ違うことが少なくなかった。朝は、いい。「おはようございます」と言えば、「おはようございます」と返ってきておわりだからだ。問題は、下校時だった。「こんにちは」と返すと、一定の割合で、「あら、おかえりなさい」と言う大人がいるのだ。家族でもない人に「ただいま〜」と言うのがおかしいことは、小学一年生のわたしでもわかった。じゃあ、なんて返すのか。「ただいまです」じゃ『サザエさん』のタラちゃんみたいな言い方で恥ずかしい。「ただいま帰りました」では、かしこまりすぎている。下校で知らない人とすれ違うたび、お願いだから「おかえりなさい」って言われませんように……!!! と願いながら挨拶をした。たまに言われると、軽く会釈をして、小走りでその場から離れるようにした。「ただいま」の丁寧な言い方はその後もわからないまま、小学校を卒業した。未だに正解は見つかっていない。

 頑張るの語源
 丸腰で「頑張る」と向き合っていたら年単位で時間が過ぎてしまいそうなので、ひとまず辞書で引いてみることにした。『岩波国語辞典第七版新版』では、以下のように書かれている。

①忍耐して、努力し通す。気張る。
②ゆずらず強く主張し通す。「―って言い返す」

 ①の「耐えて努力する」は普段使う意味合いと一致している。②の意味も、おおむね①で説明がつきそうだ。②の後ろには「我(が)に張るの意」と付け加えられていた。これが語源なのだろうか。
「頑張る」の語源を調べてみると、ある論文が見つかった。安田女子大学で日本語学や言語学の教授をされている川岸克己先生が書かれたものだ。川岸先生は、「頑張る」に関する論文を複数出されている。そのうちのひとつである「『頑張る』における構造と変化」では、「頑張る」には「目張る」と「我に張る」二つの語源説があり、方言やもとの語構成から「頑張る」の語源を考察している。
「目を張る」については以下のようにまとめられている。

①目を見開いて、何かをじっと見て、意識をそこに集中する。

②ある一定以上を継続する。

③困難をはねのけ、我慢してやりとおす。

 目の前のことに意識を集中させることができないときは、視線がうろうろしがちだ。自分自身に置き換えてみても、身に覚えがありすぎる。原稿をやらなければならないのに、なかなか気が進まないと、つい爪切りを始めたり、スマホを見たり、掃除機をかけたりして、なるべく集中すべき対象から目を逸らそうとしてしまう。その点、「眼張る」の「目を見開いて、意識をそこに集中させ」、「一定以上を継続し」、「我慢してやりとおす」という意は、実際の動作ともしっかりリンクしていると言える。

 もうひとつの語源である「我に張る」は、「自分の気持ちや考え(我意)をどこまでも持ち続けることから『我(に)張る』という語が生成され」たとして、以下のように整理されている。

①自分の気持ちや考えをどこまでも持ち続ける。

②自分の気持ちや考えをしっかりと持ち、困難に打ち勝って、事を成し遂げる。

「一度自分で決めたことや考えを曲げずにやり遂げる」ことも、たしかに「頑張る」要素のひとつだ。「頑張る」ことの対象は、「誰かに押し付けられたこと」より「自分の意思で選び、決めたこと」のイメージがある。誰かにやれと言われて無理やりやろうとしても頑張るのは難しい。あくまでも、「頑張る」ためには自分の意思が必要なのだ。

 「頑張る」の英語
 小学生の頃に、木村拓哉さん主演のドラマ『グッドラック』が放映されていた。そのときに、英語で「頑張れ!」は「Good Luck!」と言うのだと知った。そういえば、「頑張る」は英語でなんと言うのだろう。「頑張る」と「頑張れ」でも表現がそれぞれあるようなので、まずは『ウィズダム和英辞典第3版』に載っている「頑張る」を書き出してみた。

  work hard
  do [try] one's best(例:do my best)
  try hard
  make an efforts
  preserve
  hold on [out]

「hard」が使われるあたり、英語でも「頑張る」には困難なことに立ち向かっていくニュアンスがあるのだなと思う。「持ちこたえる」「抵抗する」の意味合いがある「hold out」や、「維持する」の意味を持つ「preserve」が英訳となるのは、「眼張る」の語源にあったような「一定期間を継続する」ともつながっている。英語でも日本語でも、「頑張る」に対する捉え方は一致していそうだ。

次に、「頑張れ!」と誰かを励ますときのフレーズをあげてみる。 

  Come on! / Cheer up!
  Stick to it!
  Do your best!
  Hang in there!
  Good Luck!

「Good Luck!」だけでなく、「Take it easy!」も海外の映画などで耳にしたことがある。おもしろいのが「Hang in there!」だ。近いものに、「Break a leg!」という言い方もある。このふたつを直訳すると、以下の通りになる。

 「Hang in there!(そこにぶら下がれ!)」
 「Break a leg!(骨折しろ!)」

 怖すぎる。ただでさえ困難に立ち向かわなければならないときに、なぜこんな手厳しい言葉をかけられなければならないのだろう。「骨折しろ!」にいたっては、ただの悪口だ。「hang in there」は「困難な状況でしがみついて持ちこたえる」ことから、「もう少しの辛抱だよ!」という意味合いで使っているようだ。「break a leg」についても、日本で大変なことをするときに使う「骨が折れる」という表現を思い浮かべれば、ニュアンスが少し理解できる気がしてくる。大変な状況にいることに寄り添いつつ、励ましている感じなのかもしれない。

 ちなみに、和英辞典には補足として、以下の説明が書かれていた。

 米英では日本のようにこのような励ましを言うことは少なく Take it easy.(気楽に構えて) / Don’t work too hard.(あまり無理をしないでね)のようにリラックスさせることの方が普通

「頑張れ!」と言うこと自体、日本特有の文化のようだ。

 目上の人への「頑張れ(頑張ろう)」の正解
 「頑張る」がどういう意味なのかつかめてきたので、目上の人に「頑張ってください」「頑張りましょう」と言いたいときにはどういった表現を使うのが正解なのか、考えてみたい。冒頭の仕事仲間で年上のHさんに「(一緒に)頑張ろう!」と言われたときのようなシーンを想定してみる。

 「ドライアイになるまで集中し続けましょう!」
 「周囲に惑わされず、己と向き合いましょう!」
 「最後までぶら下がり続けましょう!」
 「骨折するまでやってやりましょう!」

 だめだ。「頑張りましょう!」と言うよりも怖い。たぶん、この人全然寝てない。レッドブルで睡眠不足を誤魔化して目がばきばきになってる。もし後輩からこんな言葉が返ってきたら「一度休みをとってゆっくりしたほうがいいよ」と肩に手をそっと置くだろう。「Good Luck!」を参考にした「お互いの幸運を祈りましょう!」も、自分は頑張る気がないニュアンスが出てしまって変だし、「Take it easy!」から「気楽にやっていきましょう!」と言うのも、やっぱり「頑張りましょう!」と言うのとほぼ変わらない、ちょっと上からな物言いが気になる。ならば、欧米の人たちのように、頑張ることを労う方向で、「無理せず乗り切っていきましょう!」などと言うほうがいいのかもしれない。

 二十分ほど悩んだ末、Hさんには「いよいよ12月ですね! インフルなど流行っているようですので、お身体ご自愛ください!」と返信した。正確には「頑張ろう!」に対しての返事になっていない。小学校の頃の保健室のS先生とは今もたまに文通しているが、長らく応援している気持ちを伝えられていない。労う気持ちを伝える言葉は、どうしても「頑張ってください!」「頑張りましょう!」の勢いには劣ってしまう。いっそ「頑張ってください」でいいのでは? と思う自分もいるが、もう少し頑張って考えたい気持ちもある。引き続きドライアイになるまでぶら下がり続け、骨折しながら正解を探さなければ。

(つづく)

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