虫を描く私――標本画家のひとりごと 川島逸郎

2022.2.23

11光を捉える

 

立体構造を照らし出す光

 前回、線の強弱その他の小技を施すことで、シンプルな線画であっても立体構造(三次元情報)を表現できると書きました。今回はさらに進んで、点描において立体構造を示す光の表現に主題を据えてみます。

 昆虫の標本画では、体の表面に現れる微細な構造や凹凸を取り上げる場合が多くあります。それらの大半は、点描で陰影を付けて立体感を表現します。立体感の表現に徹するなら、点は必要最小限の数量や密度でよく、たとえ漆黒の虫であれ、真っ黒く見えるほどの高密度で置かなくともよいのです。もっとも、私の近年の点描画は、形態や表面構造だけでなく、それぞれの虫に固有の色調や斑紋を併せて描いたものがほとんどで、その分多くの点を要したものとなっていますが。抽出すべき特徴を厳選し、多くを削ぎ落とした描写の画面も美しいものですが、一個の虫の姿として、形態、色彩の特徴をともに表現したいと考えたためでした。

 いずれにせよ、点の置き方もまた、対象を照らす光とそれによって生じる陰影をいかに的確に捉えるかによって決まります。

 

光線によって変現する見え方

 描画に限らず、小さな昆虫の構造を観察するには、顕微鏡と照明が欠かせません。ここでもっとも大切なのは、対象の表面構造を観察するのに適した光の照射の仕方や角度があることです。同じ物を見たとしても、それらの光線が異なれば、こうまで見え方が違うものかと驚くほどです。写真撮影でも、光を回し過ぎた場合など、実物からはどこか違和感のある映像になりがちですが、それと相通ずるかもしれません。そのため、描写に当たってはまず、大まかに光の方向を決める必要があるのです。この光の方向こそが、虫の体の全体的な立体感を生み出します。私が虫の全形図を描く場合は、すべてにおいて「左上」方向から光を当てると決めています。当然、点描の点は像の右下に向かうに従って数が増え密度も高まるはずですから、利き腕が右である私にとっては、紙上での右手の移動にも伴って描き込み易いわけです。

 

光をいかに捉えるか?

 次に、表面の微細構造やその質感を、観察によって見極めてゆきます。この工程はすなわち、光とその陰影を捉えることに等しく、一番気を遣うところです。

 キイロスジボタル(図①)は、全身にあまり光沢はありません。しかし、むしろそのような虫でこそ、体の随所にいかなる光の反射と陰影とが生じるものかを、注意深く見なければなりません。

 黒い複眼は、この虫の体で唯一きめの細かい平滑な表面をもちます。このようなパーツは、高密度の点描で黒みを表現し、併せて周縁に生じる乱反射を入れないと、その球状の立体感を出すことはできません。

 横長の長方形に近い前胸背板は、正中線が浅い凹みとなっているほか、周縁部は平らに圧されているので、それらの弱い陰影を付けるだけでも立体感を出せます。

 

【図① キイロスジボタルの雄  宮古および八重山諸島に生息する、レモン色の可愛いホタル。後述の図②のヒルギカタジョウカイモドキとは対照的に、粗く大きな凹み状の点刻をそなえる。加えて、和名の示す通り、上翅に一本の太い筋状の隆起線が走っている。点刻の個々とともに、隆起線の陰影を丁寧に描き入れることで、特徴的な表面構造を表現している。2003年制作。 ©川島逸郎】

 

 もっとも際立った特徴をもつものは、やはり上翅でしょう。和名が示す通り、左右の各々に一本ずつ、縦向きに強く隆起した条線が走っています。その線の外側は、側方に向かって傾斜しているので、特につよい陰となる右側では、左側よりも暗く仕上げてゆきます。また、翅の全域にある点刻は直径が大きく、散らばる密度は粗くなっています。直径が大きい分、底まで光がよく入り込むので、点で塗り潰すことはしません。せいぜい、点の連なりによって円く描かれる周縁の左上に当たる部分の間隔を密にし、その陰影を表現する程度にとどめています。

 変わった和名のヒルギカタジョウカイモドキ(図②)は、キイロスジボタルとはまったく肌合いの異なる小甲虫です。この仲間は、雄の触角や上翅に奇妙な構造物をそなえるものが多く、そこに目が向きがちですが、描くのがもっとも難しかったのは体表の微細構造でした。とりわけ上翅ですが、鮫肌状に見えた表面構造を、当初は凹んだ点刻が密にあるものと勘違いして描いていました。上方から落とした光で見ていたためですが、横から光を照らし見直してみると、それらは凹みではなく、凸状の顆粒だったのです。そのため、その一つ一つの陰影を逆転させるという、大幅な描き直しが必要となりました。かなり小さな虫ではあったとはいえ、長年にわたって昆虫を描いてきたゆえの先入観に慣らされてはいけないと、大きな反省と教訓になった絵です。

 

【図② ヒルギカタジョウカイモドキの雄  雄の触角に付属物をもつ、風変わりな甲虫。頭部や前胸、上翅それぞれに特有の表面微細構造をそなえる。小型なことも相まって、それらの構造の読み取りには難渋させられた。とりわけ上翅では凸状の顆粒状であることに気づかず、当初は凹み状の点刻と見誤っていた。光の当て方を変えることで初めて実態に気づき大幅に描き直すという、大きな教訓を残した作品となった。2010年制作。 ©川島逸郎】

 

 最後に、昆虫そのものではないですが、コアシナガバチの巣(図③)を挙げておきます。働き蜂が、齧り取った植物繊維を唾液とこねて拵えた紙製の巣で、巣房の孔の他は、取り立てて目立った陰影を表現してはいませんが、細かな芸を施した部分を一つ挙げておきましょう。先端寄りの巣房の底に付着された卵を描き入れておいたのですが、卵がおびる真珠様の光沢とともに、その一つ一つの付着点周りに、陰影が丁寧に描き込まれているのがお分かりいただけるかと思います。ほんの些細な処理ではあるものの、画家としての描写への拘り、一種の矜持と言ったら大袈裟でしょうか?

 

【図③ コアシナガバチの巣  アシナガバチの巣は種類ごとに固有の形状をもち、コアシナガバチは巣房が一方に付け足されてゆくとともに全体が反り返る。各巣房の接合部分とともに、下向きに開いた巣孔の陰影の表現に気を遣った。先端寄りの各巣房の底には卵も描いているが、それら卵の一つ一つにも、丁寧に光沢や陰影を描き入れている。2013年制作。 ©川島逸郎】

 

 

(第11回・了)

 

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本連載は次回より月1更新でお届けします。
次回は2022年3月23日(水)に掲載予定