虫を描く私――標本画家のひとりごと 川島逸郎

2022.3.23

12数える毛と数えない毛

 

昆虫に生える毛のさまざま

 今回は、昆虫の「毛」の描写について書いてみたいと思います。毛あるいは羽毛で覆われた獣や鳥とは大きく異なり、体が外板(外骨格)からなる昆虫にも実は毛が多いと言うと、意外に感じる人もおられるかもしれません。その体を拡大してみると、どのような虫であれ、実にさまざまな毛が体の随所に生えていることが分かります。片や、拡大せずとも見える毛もあります。例えば、私たちの身近にも見られるチョウの艶やかで美しい模様を描き出している「鱗粉」は、実は毛が変形したものです。通常の毛は糸状に細く、先端に向かって尖っているものですが、チョウのそれは幅広くなり瓦状に重り合っているのです。チョウに比べ、ハチはもっとイメージしやすいのではないでしょうか。ハナバチの仲間の、豊かに全身を包む毛の一本一本は、幾重にも枝分かれしていて、その表面積を増やした分だけ、より多くの花粉が付着するようになっています。樹液や果汁を舐めるカブトムシやクワガタムシの口先がどうであったかも、ぜひ思い出してみてください。

 

多様な生え方を見抜く

 毛をそなえた昆虫、とりわけその全形図を描くに当たって見渡してみると、色々な長さや太さの毛が視界に入ってくるでしょう。これがまた、さまざまな密度で生えているのです。これらの毛を、いかに描くべきか? もしも獣であれば、毛並みや色つやなどに気を配りつつ、ある程度感覚的に描くことは許容範囲かもしれません。昆虫でも、体毛の密生したマルハナバチのような場合、毛の長さや、毛先の揃い方あるいは乱れ方に気を付ければ、一本単位の密度まで厳密に描写する必要はありません。ところが、多くの昆虫ではそうはいきません。毛の長さや太さはもちろん、密度から配列までも気を配らなければならないのです。なぜなら、その配列ひとつを取ってみても、その本数や並び方は、種類ごとに一定の規則性を伴う場合が多いからです。正確に描くためには、これらすべての特徴を踏まえ、それぞれの状態を見抜いてから取り掛からねばなりません。それが見抜けるようになるまでには、膨大な時間と経験とを要しますが、こればかりは、どうしても避けては通れない道のりでもあるのです。

 

虫ごとに固有の毛

 今回は4点の図を用いて、昆虫の毛の生え方の規則性と、逆にそれらに縛られない毛とはいかなるものかを具体的に見ていきましょう。

 まず、ハネカクシ科の2種を取り上げます。翅が短くなって腹部の大半が露出するこの科は、甲虫の中でもっとも繁栄し多数の種が含まれる仲間の一つです。ホソコガシラハネカクシの一種(図①)は、全身に多くの毛が生え、その長さや太さ、密度もさまざまです。触角はきわめて微細な毛が密生していますし、上翅や腹部は、やや長い剛毛によって密に覆われています。対照的に、光沢に富んだ頭部や前胸に生える毛は極端に少ない。それがこの図から一目瞭然でお分かりいただけることと思います。ところが、これら少ない毛の配列と本数は、決して誤ってはならない要所なのです。頭部と前胸のそれぞれで、主だった長い毛の生じる位置が決まっていることが、左右の対称性から見て取れます。このことは前胸の毛の配列でより明瞭になります。この虫を描く際に、正中線を挟んでもっとも内側に並ぶ7本の毛からなる一対の毛の列の状態が正確に描き出されていなければならないのです。一方、上翅や腹部の毛は数こそ多いものの、密度さえ誤らなければ、そこまでの厳密さを要しません。

 

【図①ホソコガシラハネカクシの1種 翅が短縮化し腹部が露出するハネカクシは、甲虫の中でも種の多様性が高く繁栄している仲間。体の各部分に、多様な長さや密度の毛が生える。これらの毛のうち、規則性のあるものはつやのある頭部と前胸に並ぶ毛。これらの位置や本数は、種や仲間ごとに一定である。2009年制作。 ©川島逸郎】

 

 コガシラハネカクシの一種(図②)も、図①の種と基本的には同じです。前胸の2列の毛は、各々5本からなります。一方、全身の側方に突き出した剛毛は、大まかな本数や間隔は決まってはいるものの、その位置に厳密さはありません。

 

【図②コガシラハネカクシの1種 前の種と同じように、頭部や前胸に一定の法則に則った毛が生えている。胴体の側方に張り出した剛毛は、ある程度の本数や間隔はある程度決まっているが、その位置は必ずしも厳密ではない。2009年制作。 ©川島逸郎】

 

 図③は、クロマドボタル幼虫の頭部です。細かな毛は明らかにランダムに生えていますが、太く長い剛毛の中には、規則的な生え方をするものが含まれています。触角に生える剛毛は見た目ほどには規則性はないようですが、頭蓋の前縁(大あごの基部近く)近くに生える一対、左右の側単眼の前方に生える一本は明らかに規則性があります。このことを押さえておけば、近縁の他の種類を描く際、毛の生え方を読み取る予備知識にもなるわけです。

 

【図③クロマドボタル幼虫の頭部 頭蓋本体のみならず、そこに付属している触角や口器など、各部にわたって多様な毛が生えている。側単眼の直前にある一本や、頭蓋の前縁に生じる長い一対は規則性をともなった毛であることは明らかだが、触角の毛は、長さこそあるものの、生える位置や本数は安定しておらず、目立つ割に規則性はないものとみなされる。2013年制作。 ©川島逸郎】

 

 図④の3および4は、「ヤゴ」の下唇です。トンボの幼虫であるヤゴは、4対ある口器のうち、普段は畳んで収納している一番後方の下唇を伸ばして獲物を捕食します。この下唇の内側に並んで生えている剛毛の本数は、種類あるいは近縁の仲間ごとにそれぞれ本数が決まっていることから、しばしば種の見分けに使われる特徴で、この図もそれを示したものです。図④の4は下唇前方の右側半分、先端の節の外縁に沿って5+1本の、後方の節には8+5本の剛毛が見えます。後者では、内側の短い毛はややランダムで本数が乱れることがありますが、外側寄りの太く長い8本という数は、ほぼ一定です。先端の節には歯状に円みのある突起が並び、さらにその先端には短い剛毛が固まって生えていますが、この本数は必ずしも決まってはいません。

 

【図④ ベトナム産コヤマトンボ属幼虫の各部分 トンボの幼虫「ヤゴ」は、折りたたまれた下唇を前方に伸ばして獲物を捕らえることは有名。分類群によって、その形状の他にも、内面の各部に列をなして生える毛の本数はある程度決まっており、種類を見分ける特徴ともなる。右上の図の上にある部分に5+1本、下の部分に13本ほど並んだ毛が、この種での特徴。2008年制作。 ©川島逸郎】

 

  小さな昆虫がそなえる毛でさえも、無造作に生えているわけでは決してなく、密度であれ、長さであれ、何らかの決まりの下にあるのです。さらには、種類ごとに固有の、厳密な規則性まで存在しています。虫の毛の一本に至るまで正確に写し描き出すことこそ、科学的に有効な標本画の使命であり、醍醐味でもあります。

 

 

(第12回・了)

 

画集『虫を観る、虫を描く 標本画家 川島逸郎の仕事』が発売中です。
本連載は月1更新でお届けします。
次回は2022年4月27日(水)に掲載予定