虫を描く私――標本画家のひとりごと 川島逸郎

2022.4.27

13シンプルな線画でこそ伝わることとは?

 

単純な線画に情報を凝縮させる

 平面的だと思われがちな線画でも、実は立体的な表現ができることは、第10回に書きました。つまり、その見かけ以上に、さまざまな情報や制作者の意図を込めることができるわけです。今回は、その辺りをさらに掘り下げ、いくつかの作品で具体的に紹介してみることにします。

 まずお見せするのは、身近なアリの中から25種を取り上げ、それらの種類を見分けるために作った図の一つです。アリの場合、体の特徴の多くは側面から見たほうが把握しやすいので、その方向から各部分を観察する必要があります。こうした理由から、識別図も側面を描きました。

 

【図①トゲアリ 必要な情報を抽出し、線のみで表現した図は、種ごとに固有の特徴が浮き彫りになり、一見して分かりやすい。二通り以上の太さの線を使い分け、「陰影」に当たる部位を太くすることによって、シンプルな線画であれ立体感を生み出すこともできる。2019年制作 ©川島逸郎】

 

 描画装置(第4回参照)で形取りをしてゆくわけですが、スケッチは部分ごとに取り、後で側面での姿形へと合成します。その際に各部分がばらばらな方向を向き、傾斜がついた状態では正確にスケッチできません。スケッチすべき角度にいちいち標本を設置し直さなければならず、手間が増えてしまいます。その手間を軽減するために、まずは標本の整形から始めます。触角や脚などのあらかたが顕微鏡描画装置を通して覗いたときに、もっとも外形の特徴を現しやすい水平の状態となるように均しておきます。

 次に、引くべき線を決めます。引いてよい線とは外形を表す線、それに縫合線の二つだけ。多くの外板からなる昆虫の体の造りを正しく表現するには、それらの境界を明確に示す必要があるためです。ただ、前者はともかく、アリの体のうち、とりわけ胸部と腹部との間で融合して消えることも多い後者を見極めるのは中々大変で、経験に比例する観察力が要ります。しかし、ここを見極めること、つまり情報を取捨選択した上で、取り上げるべきものをどう画面に凝縮させるかを決めることこそ、アリの体の観察や描画の醍醐味であると言えるでしょう。

 

情報の引き出し方

 次に、虫の体から情報をどのように引き出すかを見ていきましょう。ホタルの幼虫に限りませんが、頭部には多くの形態情報が凝縮されています。それに向き合い、未知の形態情報の数々を目の当たりにしてゆくのは、常にエキサイティングです。

 ただ、ホタル科の幼虫の場合、一つ問題があります。頭部が胴体(胸部)の中に引き込まれていることが多いのです。そのため、解剖によって取り出さないと隅々まで観察ができません。ここで大事なのは、最初から頭部だけをきれいに取り出そうと焦らないことです。頸部の膜質や余計な付着物などは付けたままでよいのです。もし破損してしまえば、後々制作される描画の質にも響きます。取り出した後は、上に述べたような残り物の除去とともに、薄めた水酸化ナトリウム溶液で中身をきれいに溶かし去ります。空洞にしないことには、光を透過させたとき、汲むべき「線」が見えてこない場合が多いからです。すでに繰り返し述べていますが、なすべきことは描画以前にも多くある、ということですね。標本画の質を高めるには、描く以前に必要な、こうした細かな処理技術を身につけているか否かが分岐点となります。それだけに、光に透ける頭蓋にトレースすべき描線を見出すことに成功した喜びと快感とは、他に例えようもありません。

 

【図②ヒメボタル幼虫の頭部(腹面) 頭蓋本体ばかりでなく、触角や口器など、各部に多様な毛が生える点は、第12回で示したクロマドボタル幼虫と同じ。生え方に規則性のある毛を見抜くことが容易ではない場合は、ランダムに生えているように見える毛を無視せず、標本に忠実に写しておく。頭部を構成する各部分の位置関係や連接具合を示すため、それらの位置によって、複数の太さの線を使い分けている。2018年制作 ©川島逸郎】

 

単純な構造から読み取り、描く

 逆に、より単純な構造を持つ、ヒメボタル幼虫の脚を取り上げてみましょう。単純とは言え、よくよく観察するほど多くの情報を含むことが判り、それらを表すのに線画が適しているという好例です。脚も頭部と同じように、内部に筋肉系が残っていると観察に支障があります。胴体から切除したのち、希釈した水酸化ナトリウムに漬け込んで蛋白質を溶かし、切り口からすべてを押し出して取り除きます。

 中身を空洞にすると、表面の毛や微細構造が鮮明に浮かび上がって来るのです。描画装置を使ってそれらをトレースするスケッチは、楽しい作業の一つ。例えば、ホタル科の幼虫では、基部から2番目の転節に微かな分節の兆候があることが多いのです。この画を描いたときも、予測通りにそれがあったので、点の連なりとして描き込んでいきます。逆に、付け根にもっとも近い基節の表面だけに細かな顆粒状の表面構造をそなえていたことは、この種類に特有でした。これらも正確にトレースし、墨入れのさいは丸ペンを使って一個一個、丁寧に描き入れます。根気や辛抱が要ることです。

 毛の生え方は幾分ランダムですが、かと言って長さや密度などを疎かにはしません。ランダムな中にも一定の法則はあり、そこから外れることはないからです。

 

【図③ヒメボタル幼虫の脚 5節(基節・転節・腿節・脛節・附爪節)からなる構造を押さえ、それらを描き分けた上で、表面に生える毛も正確に写す。比較的単純な構造なので、平板な画面とならないように用いる線の太さを選び、使い分け、立体感を出すことに努める。2018年制作 ©川島逸郎】

 

顕微鏡細密描写の限界に挑む

 次に挙げるのは、宮古および八重山諸島に産するマドボタル属幼虫の脚の表面微細構造に着目した図です。脚の全体を見渡したときに真っ先に目に映る特徴といえば、節の分かれ方や主だった毛の生え方ですが、さらには、表面はどのような微細構造で、種類によってどう違うのだろうかとの発想から、表皮を拡大してみました。そこから見えてきたのは、鱗片状の毛の幅の違いでした。3種類のうち、類縁が離れたハラアカマドボタルのそれだけが格段に幅広い。深めた観察の手応えを感じたものです。今どき、こうした微細構造は電子顕微鏡で撮影すれば事が早いのでしょうが、絵描きの私には手で描いてしまったほうが早いですし、用いる顕微鏡の倍率の許す限りの細密描写に挑むこと、それこそが何よりの楽しみであり、やりがいでもあるのです。

 

【図④宮古・八重山諸島産マドボタル属幼虫の脚の表面構造 上段はハラアカマドボタル、中段はヤエヤママドボタル、下段はミヤコマドボタルの脚の、それぞれ腿節(右列)と脛節(左列)の表面構造。鱗片状になった毛の幅の違いを示しており、より近縁である後の2種では、毛の幅が狭く細長くなる点が似ている。それらの毛根が嵌るソケット部分や、微細な突起などを忠実に写している。2020年制作。 ©川島逸郎】

 

消えた情報をも示す

 最後は、スジグロボタル幼虫の腹面の構造を示した図です。この幼虫については第7回にも書きました。背面(背板)の一面に、描くのも難渋させられるほど微細な網目状の表面構造をもつことは、そこで示した全形図の通りです。背面ほどではないにせよ、腹面の随所において同様の表面構造が存在することが、この幼虫の顕著な特徴の一つです。描かないわけにはいかないでしょう。

 

【図⑤スジグロボタル幼虫(腹面の構造) 胸部(左)腹面を構成する外板どうしは、とりわけ融合が進んでいる。不明瞭になったそれらの縫合(境界)線の見極めが、この図を作る上での肝である。そこには、退化や融合が進む以前の、原始的な状態について知っていなければならない、というハードルはあるが。2019年制作 ©川島逸郎】

 

 その一方で、とりわけ胸部(左)では、腹面を構成する外板どうしの融合が進んでいるため、それらの境界(縫合)線は明らかではありません。本来そこにあったはずの線を念頭に置きつつ、こうした退化状態を的確に示すのには、情報を抽出し単純化して示せる線画ほど有効なものはないと思います。見た目にも明らかな情報ばかりではなく、「何が消えているか」を一目瞭然で示せることもまた、情報の整理が行き届いた線画ならではの強みと言うことができます。

 

 

(第13回・了)

 

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次回は2022年5月25日(水)に掲載予定