虫を描く私――標本画家のひとりごと 川島逸郎

2022.5.25

14修正は徹底的に

 

削るか、塗るか

 これまでお話ししてきたように、標本画は緻密な観察を積み重ねることによって描写すべき特徴(形質)を見極め、どう描くかを吟味するそのような工程を経て描かれています。それゆえ、筆をおいた時点で、すでに高い完成度をもっているのです。ですが、何分にも人が描くものですから、外形のカーブの度合いや虫の体を形作る各部分(外板)の幅と長さの比率を誤るといった間違いを犯すことはあります。その他にも描線などの構成要素に乱れや不均一さが生まれたり、紙のほうに問題が起きたりして、修正が必要になることもあります。今回は、表立って語られることの少ない修正についてお話ししてみましょう。

 私は未だに手描きですから、修正もまた前時代的かもしれません。およそ現代の作業とは思えないその方法とは、「何」に画を描いたかによって、大きく二通りに分けることができます。

 まず、一つ目です。修正が必要な箇所を「削る」方法について述べることにしましょう。この方法は、最近の私は使わなくなりましたが、トレーシングフィルム(ケミカルマット)に描く場合にとりわけ有効です。要は、修正が必要な箇所をペンナイフ(デザインナイフ)の鋭い先端を使ってかりかりと削り落としてゆくのです。描かれたインクは、内層に浸み込むことはなくフィルムの表面に乗っているだけなので、その付着した部分を削るだけで済みます。実に、シンプル極まりない作業ですね。

 次に、二つ目の、面相筆や細筆を用いて修正箇所を白絵の具(ホワイト)で「塗る」方法です。これは、紙に描いた場合に行います。ただ、黒インクを白絵の具で完全に覆い隠すことは思いのほか難しく、絵の具の水溶き加減を調整しながら、二、三度と塗り重ねないといけない場合がほとんどです。紙の色味にも馴染みやすい白のチタニウムホワイトは、カバー(被覆)力も強いことから修正に多用されますが、それですら一回の塗りで済んだ経験はなく、その回数分の手間が掛かるのが正直なところです。

  修正と言えど、二つの方法はいずれも、顕微鏡下または拡大鏡などを覗きながら慎重に行うものです。

 

修正のタイミングと理由

 冒頭で述べたように、明らかに誤った描写をしてしまったときに修正を施すわけですが、それが重大な場合は、最初から描き直してしまった方が良い結果(=完成度の高い絵)をもたらします。ですから、修正とは結果的に、そのほとんどが描線のふるえやゆらぎ、太さの乱れ、紙への滲みを直すといった軽微、微細なものにとどまります。

 筆をおいたタイミングから私の修正作業は始まります。描画面を、拡大鏡あるいは低倍率の実体顕微鏡を使って舐めるように眺め、修正箇所を探して廻ります。描いている途中でも、「これは、修正が必要になるな」と自覚した場面があったりしますので、それらをしらみ潰しに白絵の具で上塗りしてゆきます。徐々に先細となって鋭く尖っていなければならない毛は、もっとも注意すべき要所の一つと言えるでしょう。ペンをさばいたときに意図せず飛び散ったインクの点を消したり、点描で置いた点(ドット)の乱れを円いものへと正したりする処理もまた、修正にはつきものです。手間と言えば手間ではあるのですが、描画の総仕上げでもあり、より美しく整った画面を生み出すための最終段階と思うと、作業のモチベーションも、いやが上にも高まるというものです。

 

生々しい修正の跡に、人間臭さを見る

 元より、後から修正をしなくてよいように最善を尽くすわけですが、完璧というのはありません。量の多い少ないこそあれ、白が入らなかった絵は一枚もないのです。修正が絶対に必要な箇所、修正したほうがより質が高くなる箇所と、何かしら見つかるものです。年数を経て見直すと、かつて加えた修正にも甘さを覚え、さらに上塗りしたい衝動に駆られることすらあります。経年によって浮き出てきた紙への染みとともにどうしても気になってしまい、再度処置を施すこともあります。私自身の絵に限りませんが、先人である往年の標本画家らの手になる肉筆の絵に白い修正跡を見い出すといつも、どこか表現しがたい感慨を覚えたものです。これは、一体なぜでしょうか。描画そのものにとどまらず、手ずからの作業の跡に、より良いものを創り上げようとした人間の生々しい息吹や強烈な意思が、ほんの間近に感じられるからかもしれません。

 

【図① オオオバボタル幼虫の部分(触角・下唇)と修正箇所の一部(拡大)】

 幼虫の頭部のうち、触角とその先端の丸い感覚器、下唇を線画で示したもの。外形や分節の様子の他、毛を含めた感覚器だけを抽出して図示している。各部分の側に添えられている直線は、大きさを示すためのスケールバー。拡大図は、描写が難しい刺毛の鋭さを損なわないよう、とりわけ念入りに施した修正を示している。 2016年制作。©川島逸郎

 

【図② オオオバボタル幼虫の部分(小あごひげ・小あご外葉)と修正箇所の一部(拡大)】

 口器のうち、太短い3節の小あごひげと、2節からなる外葉を線画で示したもの。やはり、外形や分節の様子の他、毛の状態をとくに図示したもの。拡大図は、上述した刺毛への修正とともに、外形を表すラインでのふるえや滲みを取り除くために施した修正も示している。 2016年制作。©川島逸郎

 

【図③ オキナワクシヒゲボタル幼虫の部分(触角・口器の基部・脚)と修正箇所の一部(拡大)】

 触角とその先端にある円錐状の感覚器を拡大したもの、口器の後方部、脚を線画で示したもの。やや古い絵で、描写に稚拙さが残るほか、特徴の要所を押さえ切れていない。しかし、研究心を持って観察や描画を積み重ねているうちに観察眼も肥え、画技も上達してきた。拡大図では、添えられたスケールバーへの修正も見ることができる。 2007年制作。©川島逸郎

 

【図④ ツシマヒメボタルの雄交尾器(側面)と修正箇所の一部(拡大)】

 雄の交尾器を側面から描いたもの。一本の中央片は、左右に一対ある側片に挟まれているために側面からは見えないが、先端が鉤状になったその形状を、点線で示している。点線は、直線として引いたものを白絵の具(ホワイト)によって等間隔で区切ることによって作ってゆく。拡大図は、通常の修正に加えて、点線を作るそのさまも示している。 2019年制作。©川島逸郎

 

 

(第14回・了)

 

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次回は2022年6月22日(水)に掲載予定