虫を描く私――標本画家のひとりごと 川島逸郎

2022.8.24

17窮余の策? 〜『完訳 ファーブル昆虫記』図版制作の舞台裏〜

 

私と『ファーブル昆虫記』

 『ファーブル昆虫記』は古くから日本では有名で、さまざまな普及本や訳本の多さも相まって、とりわけ少年少女の間でよく読み継がれてきたのではないかと思います。ただ、私にとってそこに出てくるのは遠い異国の虫たちで、身近な日本の種に置き換えることができず、どうにも馴染めませんでした。長じるにつれ、日本の昆虫学者でハチ学の大家でもある岩田久二雄(1906〜1994)の、世俗を超越したエッセイの数々に強烈に惹き付けられていったこともあって、この異国の書物にわざわざ深入りするまでもないと、長い年月を過ごしてきました。舶来の書物以前に、我が国にはより評価されるべき母国語のそれがある、との思いが強かったのです。

 そんな私の元に、『完訳 ファーブル昆虫記』(奥本大三郎訳、集英社)の挿画の制作依頼がもたらされたのは、2013年頃でした。その時点で全10巻からなるこの大冊はすでに大半が出版されており、残るは9および10の2巻(各上下巻に分かれた計4冊)のみとなっていました。従って、先人の多くの絵を引き継ぐ形になったわけですが、上に述べたように著作そのものへの馴染みも薄く、登場する異国の虫たちに親しみを覚えていたわけでもなかったので、一瞬、お引き受けするか微かな迷いが生じました。けれども担当編集者が私の絵について熱く語ってくださり、その熱意に感じて依頼をお引き受けすることにしたのです。

 

絵のモデルとなる現物資料(標本)がない!

 1巻から8巻にはスカラベ(いわゆるフンコロガシ[糞転がし])やカリバチ(狩人蜂)をはじめ、まさに主役級、花形ともいうべき昆虫の数々が登場しています。が、終盤に近づくにつれ、どこか影の薄い、いわば端役と言ってもよい地味な虫たちが増えてゆきます。このあたりは、異国の大先達であっても避けがたい流れだったのかもしれない、と言ったら私の考え過ぎでしょうか。

 それぞれの挿画を描き起こすに当たって、事前に多くの資料を編集者から提供いただきました。さらに写真資料や昔の図版類とともに、実物資料(標本)をお借りすることもありました。ところが、クモ類やカイガラムシといった、マイナーな虫が登場するようになると、それはだいぶ変ってきました。形態情報を読み取りやすい生態写真は減ってゆき、過去の誰かしらによる図もまた、元よりそのまま筆写することはないにせよ、どうにも参考にならない精度のものばかり。標本資料に至っては手配の目処すら立たず、といった状況も増えてきました。

 こうなると、それなりに幅広く予備知識や経験を持っているつもりの私であっても、画に活かせる良いアイディアとはそうそう浮かんで来るものではありません。時には編集方のアレンジで、その分類群の専門家に教えを乞うべく、じかにお伺いしたりする場面もありました。しかし、何よりも精密に描こうとする立場の私にとっては、描画とは、やはり実物と向き合ってこそ。いかに詳しい解説であろうとも、話を聞くだけでは実物と解説の双方を隔てた間隙を埋め切ることはできないと痛感させられたものです。

 しかし、ないものはないのです。置かれた状況の中で何とかするより他に、残された道はありませんでした。

 

窮余の策を講じる

 そこでここでは、写真のみを元にして描いた挿画を三点、制作に当たっての舞台裏も交えつつ紹介してみましょう。無論、標本画のような精度に及ぶべくもありませんし、一般書籍でもあることから学術的な資料性あるいは実証性を求められるものではない、と腹を括ったからこそ描けたとも言えます。

  一、二枚目はカイガラムシです。小型の虫であるカイガラムシは、管状の口をもつセミやカメムシに近い仲間です。雌は翅を持たず、体からろう状の物質(ワックス)を分泌して殻を形作ったりするため、しばしば虫体そのものが完全に覆われて見えなくなります。ちなみに、この仲間を標本にする場合は通常の乾燥標本ではなく、体表面を覆うワックスとともに体の中身を溶かして除去した表皮のみをプレパラート標本にします。ケルメスタマカイガラムシの雌(図①)は、球状の殻によって虫体はまったく見えません。用意された生態写真もまた、この状態で樹枝に固着した状態のものしかありませんでしたが、逆に言えば、体の細かな部分は分からずとも、殻の球体さえ忠実に描けばよいだけのことと割り切ったわけです。

【図① ケルメスタマカイガラムシ(雌)  もはや球状の殻だけの姿で、本来もつはずの触角や脚といった細かな構造を気にかける必要もない。その分、殻の丸さや滑らかさ、完全に樹枝に固着した様子を正確に描写することに集中した。2015年制作。 ©川島逸郎】

 

 ハカマカイガラムシの雌(図②)は、やはり、数枚の生態写真を元に描いたものです。体を覆う殻こそ作りませんが、体節の各部にある分泌腺からワックスが分泌され、長く伸びたそれらが集合体となり、あたかも「袴」を身に着けているかのような姿形を生み出します。分厚く身にまとったワックスによって、やはり体の細かな部分の大半は見えませんが、それら分泌物の質感や集まり具合をきちんと再現できればよい、と決めて描いたのです。ただ、ワックスの集合から外へ突き出た触角や脚だけは悩みました。本当は、プレパラート標本を生物顕微鏡下で観察した上で、正確なスケッチを取りたい。ですが、実物の標本がない以上、ここはまったくの想像、勘によって描き込んでおくより他にありませんでした。ただ、完全に割り切れるまでの境地には至れず、もやもやした思いを抱えることとなりました。

 

【図② ハカマカイガラムシ(雌) 体の各部から分泌されたワックスは、実線を用いず、あくまで点描のみで描写することによってその質感を表現した。ワックスの質感については、他の種で観察し得てきた体感が、ここでの描写に役立っている。2014年制作。 ©川島逸郎】

 

 昆虫ではありませんが、クモで起こった象徴的なエピソードを、最後に紹介したいと思います。欧州産のクロトヒラタグモ(図③)を描いていたときのこと。やはり生態写真しか手配できず、いよいよ着手の段になっても標本が調達できる見込みが立たず、編集者は焦り、困惑し切っていました。見兼ねた私が捻り出した案とは、日本のヒラタグモを土台に描いてしまおうという、まさに「荒技」でした。手配していただいた生態写真によれば、欧州産の種は日本産と腹部の模様が一見して大きく異なっていましたが、全体的な姿形はお互いによく似ていました。そこで、近縁の種どうしであれば基本的な体のつくりに大差はないだろうという、いささか根拠に乏しい冒険に踏み切ったわけです。私は、ヒラタグモが普通種で、特徴的なその巣(平坦な住居兼産室)とともに、身近にある人家の壁や板塀でも容易に見つかることを知っていましたから、急いで採集に出かけ、手頃な雌の成体を確保してきました。肝心の絵の仕上がりですが、最低限、日本産ヒラタグモの実物には忠実に描けたつもりです。その上で、腹部の斑紋だけは欧州産に見えるようアレンジしましたが、そう大きな支障でもなければよいがと、未だに気に掛かりではあります。

 

【図③ 「欧州産」クロトヒラタグモ 実物を知らないまま描くことはきわめて稀だが、皆無ではない。しかし、一応の写実を謳う絵では、まったくの想像のみで描くことは通常はできない。日本の身近にも近縁の種(ヒラタグモ)がいたことは、不幸中の幸いだった。2014年制作。 ©川島逸郎】

 

 ここに記すだけでも、実にさまざまな割り切りをしてきたことが思い出されます。その用途が何であれ、学術的な根拠だけは伴う絵(=標本画)を日頃の旨としている私ですが、時には、そこから離れた仕事をしなければならない場面もあります。しかしそのことは逆に、しっかりした土台や根拠をもつ制作について、それらの重みを改めて実感させてくれる貴重な体験ともなりました。

 

 

(第17回・了)

 

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次回は2022年9月28日(水)に掲載予定