虫を描く私――標本画家のひとりごと 川島逸郎

2023.1.24

22勇み足はご法度

 

あえて自由さを捨てて

 今回は少し趣向を変えて、私の創作哲学や信条を述べることから入ってみたいと思います。絵を描くこととは、自らの感性に任せ、何にも束縛されずに画面を創り出せるということでもあります。その自由自在さこそが大きな喜びにもなり、時には、精神を解き放つ行いにもなり得るでしょう。

  にもかかわらず、あろうことか私はその自由さからは目を背け、あえて束縛や制約の多い標本画の世界を志向しました。何を見聞きするにも、真実はどうであるのか? 作りごとではない事実を知りたい、という欲求や関心が常に頭を占めていた私でしたので、自然科学と、そこに連なる標本画に惹かれたのもその延長であったように思います。

 標本画を通じて長年にわたり生き物に触れ、自然の中に身を置いてみて感じたのは、そこには原理とその集積こそあれ、人間が精神世界で創作するような物語が存在するわけではない、という確信でした。そうした思いが、絵を通じて事実や原理をできる限りそのまま伝えたいという原動力となりました。

 

科学という土俵の上で

 ただ一本の線を引くにも、何らかの根拠に基づいていなければならない。そんな標本画の制作を頑なに続けてきた私の拠り所は、科学という土俵です。その上で私がいつも念頭に浮かべていたのは、何にもまして再現性です。私が昆虫の形態を観察する際は、昔ながらのオーソドックスな方法を採っています。実体顕微鏡または生物顕微鏡で観察し、それらに付属する描画装置を用いてスケッチしますから、「対象の虫の有り様について同じ方法、つまり実体あるいは生物顕微鏡で観たときに、誰しもが同じ観察結果に行き着ける」ように描くのです。このように、私の絵は鑑賞というよりも実用のためのものなのです。そのため描く虫には、その種類がもつ平均的な姿形の個体を選びますし、第三者が参照し活用するのにどう描写してあれば便利かを、常に考え続けます。次の段で詳しい実例を紹介しますが、再現性のある情報を伝えるには、描き手の想像や空想が画面に入り込んでしまっては元も子もありません。事実にはどこまでも追従し、そこから離れてはいけないと考えているのです。

 

たとえ想像はできたとしても

 そのことを示すために、ここに二つの標本画(全形図)を取り上げてみました。いずれの図も体のごく一部が欠損しています。しかし、見る人のためには完全な姿の図を掲げることが理想でしょう。

 それに昆虫の標本では、一部が破損していたり欠けているのは、珍しいことではありません。複数の標本を併わせてそれぞれの欠損部分を補い合い、一個の完全な姿形に再現するのはよくあります。時には、ただの一個しかない基準標本(ホロタイプ)や、欠損のある標本のみで描かざるを得ない場合も生じますが、そのような場合にいかに描くか、描き手の技量が問われるところです。

 中国云南省産のゴミムシダマシの一種(図①)は、標本の右上翅に小さな破孔が一つ開いていました。その位置から想像するに、一旦昆虫針を刺したものを抜いた痕跡であったろうと思います。左上翅は何らの傷もなく完全だったので、それに倣って埋めて描いてしまおうかとも考えました。しばらく思案したのちに、そうした処理は控えようと決めました。なぜなら、上翅の表面に、規則的とは言えない凹凸が並んでいたからです。とどのつまりは、規則性を伴わない形質ゆえに厳密には想像はできないと判断したのです。ささいなことのようですが、左の状態から容易に察することはできても、想像はあくまで想像に過ぎず、それを再現とは言えないでしょう。

 

【図① 云南省産 ゴミムシダマシの1種 Foochounus reni】 学会誌表紙用に描かれた標本画。上翅は鈍い緑色の金属光沢をおび、大小の隆起が連なった間に、粗い点刻列が条線を成していた。右肩近くの破孔もさることながら、この条線の本数は誤ってはならない形質で、慎重に読み取った。2018年制作 ©川島逸郎

 

 もう一枚のスマトラ島(インドネシア)産のヒゲブトオサムシの一種(図②)では、左右の前脚の先、五節あるはずの附節がともに欠けていました。左は基部の三節、右は同じく一節は残っており、左によれば、少なくとも三節目まではどうであるのかは分かります。が、先端の二節分は左右とも存在していません。描こうにも、どうすることもできません。これも完全な中および後脚から想像できそうに思われるかもしれませんが、前脚だけ形が変化する虫というのも結構いるのです。ですから前以外の脚に倣っては描けないのです。この図を制作した時は、同じグループの近縁の二十種余りを同時並行で描いていたので、それらを見渡せば想像はできましたし、その想像もおそらく外れてはいなかったでしょう。ただ、実在しないものを想像で補って描くことはもちろんできませんから、ここは点線によって、想定される外形だけを示すに留めました。

【図②  スマトラ島産 ヒゲブトオサムシの1種 Paussus sumateranus】学術論文用に描かれた標本画。同じ仲間の二十種余りを同時進行で描く仕事だったが、それらはお互いがよく似ており、描き分けるには画家自身も特徴の各々を見極めねばならなかった。触角や脚の傾きが左右で異なるのは、立体的な形状を二方向から示すため。2014年制作 ©川島逸郎

 

 このように科学という土俵の上で標本画を描くのは、時として自由さを欠き、想像を膨らませることにも制約が掛かることがあります。それを可とする私でさえ、窮屈さを覚えることがなくもありません。ただその一方で、兎にも角にも厳密さを追い求め、禁欲的に絵を描くような人間がいても良いのではないか。そんなことを想いつつ、今もなお、虫を前に描き続けています。

 

 

(第22回・了)

 

 

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次回は2023年2月22日(水)に掲載予定