虫を描く私――標本画家のひとりごと 川島逸郎

2023.2.22

23一つの主題に挑む――ホタル科幼虫を描くまで

独自の創作世界をもつ幸せ

 私が昆虫を観察し描き終えるまでの道のりは、ほとんど「研究」にも等しい混み入った作業の連続なのですが、同時に多くの発見があり楽しいものでもあります。

 今の世ともなれば、新しい撮影機材を駆使し、セットを工夫して組んだりしながら、いかに鮮明なデジタル画像を得るかに力を注ぐ人が多いことと思います。私も虫の生態撮影に熱中した時期があります。しかし近頃は、限られた時間は独自の画を創り出すことに費やさねば惜しいと、いっそう切実に感じるようになりました。

 複雑あるいは微細な構造を持つ対象を、単純な道具だけでどう描いてやろうかと思索を巡らせる時間や、作業を重ねた末に対象を克服したと感じられた瞬間ほど愉快なものはありません。標本画は、華やかさの欠片もない地味な裏方仕事ですが、自分なりの創作世界を培うことができたのはこの上ない幸せだと思えます。

 

一つの主題で描きためる

 標本画に傾倒した当初の熱意、私を突き動かす原動力は何だったろうかと、今にして考えてみることがあります。身体の衰えや気力の低下に抗おうと、初心に戻ることで現在の立ち位置を再確認しようとしているのかもしれません。気がつけばいつしか、歳を取ったものだと感じることも増えました。

 以前にも触れたように、学生時代の私はトンボ幼虫(ヤゴ)の成長に関心を抱き、それらを図解することに熱中していました。各部分の形態が、脱皮するたびに変化し発達してゆく様子がとても面白かったのです。大学卒業のための研究ではありましたが、一つの対象を自ら選ぶことから始まったこの行いは、第三者へ科学的に情報が伝わるように図示しなければならないという意味で、無意識ではあったにせよ、標本画の世界へと足を踏み入れる第一歩だったろうと思います。当時も、日本産トンボのほとんどの種類で、終齢幼虫の形態までは判明していました。けれども、成長に伴う形態変化を含む生活史は、ごく普通の種をはじめ、今もなお明らかになっていません。日本産トンボの幼虫の成長を網羅的に調べ、外国の論文のように詳しく記載していきたいとの野望は、若気の至りそのものだったでしょうが、その種数の多さは、私の能力には壮大過ぎたようです。時を経るにつれ、一生のうちにやり切るのは難しいと悟るしかありませんでした。

  その後、学術用の標本画制作に携わることが増えるにつれ、研究活動からは遠のいていったのは割ける時間を考えると必然でした。以来、どれほどの点数を描いたでしょうか。すでに何をいつ描いたかの記憶はなく、すべての原画は私の手を離れて世の中に散ってゆきました。ふと振り返った時、自身の手元には何らの蓄積もないことに、いつしか一抹の虚しさを覚えるようにもなりました。ここ数年に至って、私は一つのテーマ性のもとに描きためた作品群を遺してゆこうと決意したのですが、それにはこうした背景もあったのです。

  トンボはあきらめましたが、他に描きためられる画題はないか、あれこれと思案する中で浮かんだのが蛍です。蛍が発する光の美しさに魅せられてのことではありません。日本産の種数はトンボのおよそ四分の一ですから、ある程度は網羅して描けるのではないか?良く知られた虫でもあり、一つの分類群としては手頃な規模であることに加えて、トンボと同様に幼虫形態の面白さから選んだのでした。眺めて面白いものは、描いても面白いに違いありません。あくまで描く上での裏付けであるとの立ち位置を見失わないようにしつつ、三十有余年前の初心を思い出しながら研究を再開しました。

 

ホタル科の幼虫形態を描く

 とは言え、三十代の前半に始まった、生来の体質から来る視力の悪化はいっそう進み、最近は、野外に赴いての昆虫採集も難しくなってきました。残念ですが、若い頃に採りためておいた資料を活かすのが良いようです。乾燥標本の多い成虫とは違い、幼虫はエチルアルコールで固定し、そのまま液中に投入した液浸標本になっています。ホタル科の幼虫の頭部は多かれ少なかれ前胸の中に引き込まれているので、詳しく観察するには、胸の中から慎重に取り出さなければなりません。その作業は第8回でも書いた通りで、新鮮な生の状態であれば解剖は楽なのですが、固定されて筋肉などが硬くなった標本では中々厄介です。それだけに、苦心の末にクリーニングに成功した検体を顕微鏡下で光を通し、鮮明な像を目の当たりにした瞬間の嬉しさは格別です。ここに至れば、精度の高い観察結果と、それに比例した質の描画を手にしたも同然ですから。

 成虫であれば、種類あるいは遺伝的な違いは形状や色みにもある程度は現れるのですが、幼虫ではそのような違いはなく、近縁なもの同士を見分けるには向いていません。一方で、一連の観察があってこそ得られた収穫もありました。それは、幼虫形態には成虫とは別の次元での「正直さ」があるものだな、と実感できたことでしょうか。つまり、科や属といった、種よりも高い次元での分類学的なグループ分けを実によく反映している特徴が幼虫にはあるということです。例えば上唇がないこと、頭蓋(とうがい)背面には「Yの字状」の裂開線があること、腹側は大きく左右に開き、その部分に小あごや下唇が嵌っていることなどが挙げられるでしょう。成虫の姿形だけを見れば、同じホタル科とは思えないような大きな差異があっても、幼虫形態の上では、この科のものであることが明らかな特徴を共有していることに何度感心させられたことか。

 ただ、頭蓋にとどまらず、部位ごとにそなわった微細な構造物には形の多様さがあり(図①〜⑤)、触角第2節の先端にある感覚器の形にまで個性があることも面白かったです。消化液を出す管があたかも注射針のように先端に開口する鋭い大あごは、異なる餌の食べ方を反映してか、分類群ごとに特有な形状を示す様子には見応えがありました。こうしたことを読み取りながらスケッチし、正確な図に仕上げてゆく充実感たるや。

 私は、多くの先人が遺した図譜やモノグラフといった仕事にとりわけ魅了されてきました。何よりそれらに掲げられた数々の図の、人間の手作業による技能の高さと仕事量に打たれたからに他なりません。私の一生で、果たしてそこまでの境地や領域に到達できるかは分かりません。ですが、力の及ぶ限りは挑戦を続けてゆきたいと思っています。

 

【図① ゲンジボタル幼虫の頭部】蛍の幼虫が水生との日本人のイメージは、もっとも有名なこの種から来ている。第8回で顕微鏡スケッチを示したが、これはその完成図の一つ。古くから一般にも知られた幼虫だが、その形態が詳細に記載された例はほとんどない。2021年制作 ©川島逸郎

【図② ヒメボタル幼虫の頭部】森林などで群飛して点滅発光することでよく知られた種。形態、遺伝子ともに地域による変異が多く、分類も難しい。基準産地と推定される九州の個体をもとに描いた図だが、各地の幼虫形態を観る上での基点になればとの考えもあった。2017年制作 ©川島逸郎

【図③ ハラアカマドボタル幼虫の頭部】八重山諸島の一部に生息する種。マドボタル類の幼虫は陸上で活発に活動し、カタツムリ類を好んで食べる。図④のヤエヤママドボタルと同じ仲間ながらも類縁はやや離れ、細長くならない頭部など、形態にも違いがある 2022年制作。©川島逸郎

【図④ ヤエヤママドボタル幼虫の頭部】日本の蛍では最大で、雌やその幼虫は特に巨大になる。ひじょうに長く伸びる膜質の頸部を含め、前胸から頭部にかけては細長い構造となり、巻貝の殻の奥まで頭を差し入れるのに適している。画面構成上、触角は分離して収めた図 2022年制作。©川島逸郎

【図⑤ オオオバボタル幼虫の頭部】オバボタル類の幼虫は地中や地表近くにすみ、ミミズなどを好んで食べる。マドボタル類と同じ亜科に含まれるが類縁は異なり、形態の上でも相違が多い。食性と関連してか、頸部は長く伸縮することがない上に、膜質の付着位置が頭蓋の中ほどにある。2014年制作 ©川島逸郎

 

 

 

 

(第23回・了)

 

 

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本連載は今後しばらくの間、不定期更新でお届けします。
次回の更新をお待ちいただけましたら幸いです。