虫を描く私――標本画家のひとりごと 川島逸郎

2023.4.12

24余りに「普通の虫」、ナナホシテントウを描く

ナナホシテントウ その姿の真実

 この連載を始めるに当たり目次案を練る中で、担当編集者からもアイディアが寄せられました。よく知られている虫を私が描き、その中で感じたことを紹介してほしい、とのご要望です。そこで今回からは、そんな虫たちを新たに描きながら、私自身の実感を綴ってゆきたいと思います。

 市街地の路傍や公園でも日常的に見られる、身近な虫の代表格のナナホシテントウ。その愛らしい姿は、誰もが知っていることでしょう。それは私にとってもそうなのですが、さしたる関心を抱いたこともなければ、その形態を真面目に観たこともありませんでした。なぜか? 余りに「普通の虫」であるがゆえ、その存在を軽く見ていた感があったことは否定できません。そのため、私が持っていたナナホシテントウのイメージと言えば、あの赤は生きている間だけの鮮やかさで、死後には見る影もないほどに暗く変色してしまう(標本にしても見栄えがしない……)、摘めば脚の関節から黄色い毒液を出す(しかも、テントウムシ独特の悪臭で)といった位なもの。我ながら、いかに関心が薄かったかが偲ばれます。

 とはいえ、真っ赤な地色の中に七個の黒斑を並べた上翅は見た目にも分かりやすく、とても描き易そうです。想定される難しさをしいて挙げれば、体表の滑らかさから来る強い光沢の描写でしょうか。ところが、虫体を顕微鏡で覗いた瞬間に、予想とは真逆の難しさが潜んでいたことを知ったのです。ただ滑らかなだけに見えたその体表には、微細かつ浅い点刻が高密度で一面に広がっていました。つまり、あのつるつるしたように見える体は、実は凸凹だらけなのです。表面の滑らかさや光沢を表現しながらも、これら細かな点刻が埋没することのないようにせねばなりません。絵のサイズとも関連して、点刻と点描のドット双方の大きさは、さしたる違いもないものになりそうでしたから。その結果、ナナホシテントウの絵は、点(ドット)を一つ一つ置いてゆくにもひどく気を遣う、描き易いとはとても言えない心労の絶えないものとなりました。

 

2023年制作 ©川島逸郎

 

頭蓋

 それぞれのパーツも描いてみました。まず頭です。テントウムシの小ぶりな頭(頭蓋・とうがい)は、前下方へうつむき加減であることが多く、多少なり前胸の中に引き込まれているので、あまり目立ちません。その形はこれと言って特徴もなく、甲虫の仲間としては平凡で、正直、描くモチベーションは上がりませんでした。上唇(じょうしん)は小さくやや円みがあり、前縁近くにはとりわけ長い剛毛が並んで生えています。これらは頭部に生える毛の中でも太いものであることから、二本の線によって描いていきます。その二本を滑らかに収束させてゆき一本の毛に仕上げるのは、あらゆる描画作業の中でも、もっとも神経を遣い根がくたびれるものです。頭蓋の色素沈着はきわめて強くほぼ漆黒ですが、両方の複眼の間にある一対の白斑が目立ちます。とても地味な事柄ですが、この図で注意を払った点の一つに、複眼内縁の湾曲具合や後頭孔(前胸との連結孔)を正しく示すように描線を引いたことが挙げられるでしょう。この画の横棒の長さは0.5ミリです。

 

2023年制作 ©川島逸郎

 

触角(右側)

 この虫の触角は、生きているときにはあまり目立ちません。体の大きさに比べてかなり短く小さいためです。先端に向かって幅広く棍棒状になる形が目につく程度で、節の数も11節で甲虫目としては標準的なものですが、各節の形状とともに長さの比率も正確に写し取ります。生物顕微鏡レベルで観る限りでは、各節に長めの刺毛(感覚毛)がまばらに生えていることだけは判りました。が、さらに倍率を上げて観察すると、微細な感覚器もそなわっているのが見えて来るのかもしれません。横棒の長さは0.1ミリ。

 

2023年制作 ©川島逸郎

 

大あご(左:上面、右:下面)

 テントウムシは見かけによらず貪欲な虫で、このナナホシテントウも同じです。アブラムシの仲間を好んで食べ、時には同じ種の卵や幼虫までも襲うことがあります。その食べっぷりから、大あごはさぞやいかつい形をしているだろうと想像していたものの、その形状や造りは、思いのほかシンプルでした。上下から見ると幅は広いものの、全体的に厚みがなく平らです。齧ることに長けた昆虫の大あごは、それに適した切歯が先端に並んでいることが多いのですが、そうした並びはなく小さく尖っているだけでした。尖った先端から内側は直線状で、狭く上下に並行した二本の隆起線(エッジ)になっています。下側のエッジには微細な突起が密に並び、大仰な歯(内歯)は一本もありません。さらに基部寄りには、一本の突起が生えています。通常、この位置には食べ物を磨り潰す臼歯部があるものが多いのですが、ナナホシテントウでは、左右の突起の噛み合わせだけで砕いているのかもしれません。縦棒の長さは0.1ミリ。

 

2023年制作 ©川島逸郎

 

小あご・下唇

 さらに口元をよく見ていくと、三角形をした一対の物体が下から覗いて見えます。実は、この三角形は小あごの一部(小あごひげの先端節)なのです。昆虫の口器は、基本的に四つの部分から成りますが、頭を背面から見たときにまず見えるのがその第一である蓋状の上唇で、その上唇のすぐ下に第二の大あごが見えます。それより後方、第三および第四のものは背面からはほとんど見えませんが、かろうじて覗いているのが第三の小あごひげの先というわけです。

 口器の中でも、小あごや下唇(かしん)を改めて観てみよう(そして、描いてみよう)と私は思い立ちました。ただでさえ見えない位置にある上に、理解の難しい細かな構造物であることから、一般に関心を持たれることはないでしょうから。

 正確に描くには、まずそれらを頭蓋から取り外さなければなりません。これら口器を含めた頭部が漆黒のため、切り込みを入れる地点を見定めるのに難渋しました。何とか完全な状態で外すことができたので、構造を正確に把握するために、付着した筋肉などは水酸化ナトリウム溶液で溶かし去ってから観察を始めます。正中線に沿った中央部が下唇で、その先端に生えているのは2節から成る一対の下唇ひげです。小あごひげに比べると格段に小さく、幅広くもならずシンプルな円柱状なのが対照的でした。下唇を左右から挟む形で、両側に小あごがあります。二股に分かれた小あご本体の先端は、内側のものを内葉、外側のものを外葉と言い、それぞれに細かな感覚毛や突起が生えており、ここも二本線による毛の描写に難渋させられた部分です。小あごひげは4節で、上に述べたように先端の節は三角形に拡大しているので目立ちます。その先端の縁はスリット状に開口して膜質になっていて、その表面にはきわめて微細な感覚器で覆われていることだけは見て取れます。電子顕微鏡を使えばさらに詳しい様子が観察できるでしょうが、ここでは実体あるいは生物顕微鏡レベルでの情報を描き出すことだけにとどめました。何にせよ、小あご、下唇ともに細かな部分が複雑に組み合わさっているので、各部の外形はもちろん、それぞれの境界線を見極め、明確な線で仕切るか点線に止めるかといった表現を決めねばなりません。それら口器の基本的な造りについての予備知識がなければ、正確な読み取りや描写はできない標本画(線画)の典型です。縦棒の長さは0.25ミリ。

 

2023年制作 ©川島逸郎

 

後翅(右)

 一旦歩き始めれば止まらないなど中々に活発な虫であるナナホシテントウは、丸みのある容姿からすると意外なほどよく飛びます。その光景は、皆さんも目にしたことがあるかもしれません。赤く丸い上翅を持ち上げた次の瞬間、その下から開かれる後翅の長さは印象的なものがあります。ただその後翅にせよ、私は今まで仔細に眺めたことはなかったので、この機会に改めてしっかりと観察することにしました。

 姿形のわりに長い一方、幅は狭いので、全体的には細長い形をしています。こうした外形を正しく写し取るには、展開させて平らに延ばす必要があります。普段は縦に一度、横に二度(山折り谷折りを示す二通りの点線)折り曲げられて収納されているので、その畳み癖がやや邪魔して展げにくいのですが、慎重にカバーグラスを被せてプレパラートにします。細長い翅を支える翅脈の配置を読み取り、それらの連絡の仕方を透過光で見極めるためです。しっかり形成された翅脈は翅の基半部に集まっていて、中ほどには翅膜が厚くなった部分が散らばるほか、とくに翅の後縁近くでは、色素が沈着しただけの脈も現れます。こうしたぼんやりとした脈は、拡大すればするほど気づきにくく、むしろ低い倍率で引いて見渡したほうが把握しやすい場合も少なくありません。このような形質の多様さを見極めながら、それぞれに適切な表現で描き入れてゆきます。折り畳み線の多くは、翅脈や硬化部に沿った膜質の部分を走ります。前縁の中程、最初に大きく折り畳まれる辺りには、とくに硬化した部分が集まっています。翅の先の半分を占める膜質の部分は翅脈こそ走っていない反面、翅膜の色素沈着が強いのが気になります。これは膜質部の翅脈の欠如を補うように強度を増す効果でもあるのかもしれない、などと想像を逞しくしながら点描を加えました。横棒の長さは0.5ミリ。

2023年制作 ©川島逸郎

 

 今回、ナナホシテントウを描いてみて、虫そのものへの関心のなさは別にして、描画中のモチベーションをいかに保持するかについては、再認識させられることとなりました。何をどのように観るかという明確な目的意識こそ、欠かせないということです。個人的な選り好みもあるでしょうが、ただ全体像を写生するだけなら、ナナホシテントウを取り上げてみようとは思わなかったでしょう。今回の制作では、描き始めこそ漫然と虫体を眺めるしかなかったのですが、派手な見た目の割には何ら変哲もなさそうな形態にも見どころはないかと探索したところ、先に挙げたような意外な一面が見えてきたのです。テントウムシの仲間についての深い知識を私が持ち合わせてさえいれば、見るべき面白さがさらに引き出せたのかもしれません。結局、今回は目に映った映像以上の絵は描けませんでしたが、分解しながら細かく眺めてみると、私自身が今にして初めて気付き、知ることのできた喜びもありました。もし、再びテントウムシを描く機会があったときには、また違った地平線で向き合えるでしょうし、一段でも向上した絵が描けることでしょう。

 

 

(第24回・了)

 

 

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本連載は今後しばらくの間、不定期更新でお届けします。
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