虫を描く私――標本画家のひとりごと 川島逸郎

2023.11.15

27鱗粉に隠された真の姿――チョウの体

 

蝶蛾に抱いてきたイメージ

 悲しいかな、とかく嫌われがちな昆虫にあって、人々に受け入れられやすいものと言えばチョウでしょう。何と言ってもその姿の美しさ。大きな翅を彩る色彩の豊かさ、現れた斑紋が醸し出すデザインの妙です。昆虫の愛好家にせよ、古来、そこに魅せられた人々がその大半を占めてきたようです。私自身は生来の風変わりな性もあってか、妖艶な斑紋をもつ大きなヤママユガ科や流れるような体形のスズメガ科など、ガに魅せられた十代の一時期こそあれ、チョウに熱中したことはありません。ただそんな私にも、チョウやガについては自分なりの思いがありました。彼らの見た目の美しさにはさして惹かれはしなくとも、じかに手に取り顕微鏡の下で観察するという行為だけは怠らなかったのは、知りたいことが尽きなかったからに他なりません。これから述べてゆきますが、彼らに対する私の最大の関心は形態、すなわちその体の造りにあったのです。

 

観察を阻む鱗粉

 採集した虫が何であれ、一度はじかに見なければ気が済まない性分の私ですから、真っ先に顕微鏡で覗く習慣が染み付いています。関心が薄いと宣いつつ、チョウやガも折に触れて野外で手中にしたものを持ち帰っては、拡大して観察していました。「鱗粉」と呼ばれているパーツの集合が産み出す艶やかな色彩や斑紋がいかに形作られているのか、または教科書的な知識だけはある鱗粉そのものの造りに興味があったのです。この鱗粉は、実は「粉」ではありません。翅の表面に、ただふんわりと乗っているだけの物体ではないのです。専門の文献資料を参照すると、このパーツについては「鱗片(鱗毛)」と表記するのが適しているようですから、以降はそのようにしましょう。

 さて、チョウの体のあちこちを拡大して観察すると、全身のほぼすべてがこの鱗片で覆われていることが分かりました。つまり、表皮はまったく見えません。とりわけ翅では、チューリップの花のような形の鱗片が屋根瓦のように折り重なっている様子が見て取れます。その配列には規則性があって、整然と列を成すさまは中々壮観で見事なものです。一方、胴体ではその並びに規則性はなく、きわめて高密度に生えた鱗片は円みの強いものから細長く毛状になったものまで、さまざまな形がありました(図①)。

 

【図① モンキアゲハの鱗片(鱗粉)の多様性】 ここでは、一匹のチョウの体に「生え」る鱗片、鱗毛の形の多様さを示してみました。部位ごとに同じ形のものが並びますが、位置を違えれば、その形や構成も変化に富むことが分かります。その形状は、チューリップのような形のものが一般的と思っていましたが、想像以上の多様さがありました。横棒の長さは0.1ミリ。2023年制作 ©川島逸郎

 

 頭部であれば毛状のもので占められますし、胸部であれば毛状のものから花弁のようなものまで幅があります。腹部では、先端のギザギザのない円いものばかりでした。鱗片の形とその構成は、体の部位によって様相が異なることも知りました。ですが、形はどうあれ、その根元には小さな柄をそなえることだけは共通しています。実は、鱗片に覆い尽くされたチョウの体の表皮にはソケット、言うなれば「毛穴」が無数にあります。ここに、毛根になった鱗片の柄の先がはまり込む形で「生え」ているわけです。つまり、鱗片とは幅広く変形した「毛」に他なりません。それが、私たちの髪の毛のような、通常の糸状のものから幅広く変形している上、生えている密度が余りに高いために、肝心の体そのものはすっかり覆い隠されてしまっているわけです。要するに体の造りを詳しく観察したい私のような者からしてみれば、鱗片とは、構造への興味とともに、どうにもこうにも邪魔な存在でもあったのです。

 

胸の造りを目の当たりにして

 どのような仲間の虫であれ、造りを理解することが難しい部分の筆頭が胸部です。それはなぜでしょうか。まず胸部は背腹ともに細かく分かれた板(節片)から成ることが多い上、側方には翅が、腹方には脚が生えています。それらの基部構造が加わるためにさらなる複雑さが生まれます。逆に、腹部などはいたってシンプルなものです。大雑把な表現をすれば、背と腹それぞれが一枚の単純な板、すなわち背板と腹板からなり、両側方の接続部を側板で繋ぎとめた程度の構造ですから。

 今回を良い機会と捉え、私はチョウの胸部の造りをじっくりと眺め直してやろうと思い立ちました。まずは体表をびっしりと覆った鱗片を除去しないといけません。鋭く尖らせた柄付き針の先で、根気よく鱗片を剥ぎ落としてゆくのですが、性急な作業は禁物です。甲虫のように硬い表皮ではないでしょうし、柔らかな膜質の部分がどこに隠れているかも分かりません。勢い余った針の先でうっかり壊してしまっては元も子もないので、忙きがちな心をぐっと抑え、顕微鏡の下、針先で虫体を撫でるようにスライドさせながら鱗片を薙ぎ取ってゆきます。その鱗片の密度たるや想像以上のもので、剥がされた鱗片が吹き上がるように爆ぜてくるのには困りました。あたかも、水辺に生えるガマの穂を指先で割った時のようです。爆ぜ返った鱗片をそのままにしておいては表皮が見えてこないので、時々、吹き飛ばしながら作業を進めます。次第に節片のそれぞれが露わになり、造りの全容が見えてきました(図②)。

【図② モンキアゲハの胸部(左側面)】 表面を覆い尽くした鱗片、鱗毛を根気よく除去していった下から現れてきたのは、想像に違わず複雑な節片(外板)の集合体でした。これにしっかり向き合い描いてみたのは、今回が初めてのことです。2023年制作。横棒の長さは2.5ミリ ©川島逸郎

 

 予想はしてはいたものの、その複雑さを前にすると、虫の体を理解することの難しさを思い知らされるばかり。目に見えている節片の一つ一つにも然るべき名称があるはずですが、節片どうし、あるいは膜質部との境界線すら定かではなく、わずかにある文献上の図といくら見比べても判別できそうもありません。各部の名称を記入し掛けましたが、途中で断念しました。左側の頸部すなわち前胸辺りは、描線を描き入れてはいますが、おそらく正確ではないでしょう。今さらながら言えるのは、虫の種類ごとにもつ多様な構造について、正確に理解するのがいかに難しいかという一言に尽きます。それを知ることができなければ、正しく描くこともできません。単なる研究活動にとどまらず、本分たる描画の質を上げるためにも学ぶべき事柄に際限はなく、おそらく一生の勉強、鍛錬が続くのだと、剥ぎ取った鱗片の山、そしてその下から現れたチョウの体を前にして思わされました。

 

二度目の口器

 チョウの体のうち、皆さんでも何となく形が想像でき、実際に目にしやすい部位はストロー状の口吻でしょう。私も一度描いてみたことがある(図③)のですが、再び挑戦してみることにしました。種類は違いますが、同じアゲハチョウ科ですからそう大きな違いはないでしょう。この口器を初めて目の当たりにした時は、昆虫の基本形からあまりに隔たった改変ぶりに当惑したものです。それもいまだ記憶に新しいですが、今回、少しは冷静に観察ができそうです。その分だけの理解も進むと良いのですが。

【図③ アゲハ(ナミアゲハ)の頭部(前面・一部)と下唇ひげ】 チョウの口器を初めてまじまじと眺めた際の図で、その周囲だけ鱗片を除去してあります。改変ぶりに戸惑い見えるままに描写はしたものの、何がどうなっているのか最後まで判らず、もやもやした感覚に捉われたまま筆を擱いたのを思い出します。2020年制作 ©川島逸郎

 

 前回は口元だけ鱗片を除去したのですが、これまた折角ですから、今度は頭全体を丸裸にしてやろうと目論みました。存外に毛深いアゲハチョウの頭部も、それらを取り去ってみれば頭蓋の形は何ら変哲もないものだったのには、いささか拍子抜けしました。それなりに発達した触角に相応しく、それら一対のソケットもしっかりした造りです(図④・⑤)。複眼は大きく発達する一方で、本来は頭頂にあるはずの単眼は見当たりませんでした。そのことを知れたのも、今回の処理作業の賜物と言えるでしょうか。

【図④ モンキアゲハの頭部(背面)】 頭部にも鱗片や鱗毛が密生しており、頭蓋(とうがい)の形状はまったく分かりません。鱗片や鱗毛をすべて除去してみました。その外形は至ってシンプルでしたが、頭頂には、触角の基部である一対のソケットが現れました。横棒の長さは1ミリ。2023年制作 ©川島逸郎

【図⑤ モンキアゲハの頭部(前面)】 今回描く目的の一つに据えた口器のうち、模式図はしばしば見ますが、よく知られたストロー状の口吻以外の部分まで正確に描かれた例を知りません。毛が並ぶ上唇は判別できましたが、大あごは見出せませんでした。小あごの外葉が長く変化した口吻とその左右に生える下唇ひげは明瞭ですが、小あごや下唇の本体は消失していました。横棒の長さは1ミリ。2023年制作 ©川島逸郎

 

 さて、問題の口器(図⑤)ですが、その後方部のある頭蓋の下面まで念入りに鱗片を除去したおかげで、前回よりも詳しく知ることができました。上唇はごく短く狭く残っていましたが、横一列に立派な毛が並んで生えていたので、判別は容易でした。一方、大あごはそれらしき痕跡すら見つけられず、完全に消失しているようです。長く発達した口吻は小あごの一部の「外葉」が変化したものとされていますが、小あごひげとともに、本体部分はついに認めることができませんでした。基本的に四対からなる口器のうち、もっとも後方に位置する下唇では、鱗片をびっしりと生やした下唇ひげだけが発達しています。生きて活動している間も、くるくると丸めて収納された口吻を左右から挟み、カバーしている様子は目立つものです。このひげも、本体そのものは小さくか細いので、そこから鱗片を取り去るのはひと苦労でしたが、図3の右にその有り様を描いています。今回は、頭蓋にどのように付き、その位置を占めているのかが分かりやすいように線画で示してみました(図5)。

 図を通じて、鱗片に隠されたチョウの体の一端を紹介するつもりが、またも長々と説明的に書き連ねてしまいました。ですが、チョウにさしたる関心はなかった私でも正確な描写を目指して向き合ってみれば、じかに現物を観ただけのことは言えるものだなと実感します。昔から変わらぬ信条として、世に出すからには、描画にせよ文章にせよ他からの孫引きや聞きかじりではないものをと心がけてきました。オリジナルの知見を糧に、認知を鍛え続けなければと自らに課してきた来し方を思い浮かべています。それこそが、否それだけが、私の画風を作り出してきた根本でしょうから。

 

 

(第27回・了)

 

 

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本連載は今後しばらくの間、不定期更新でお届けします。
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